第9話 (四)

 帰宅ラッシュも過ぎた時刻だが、相変わらず電車は混んでいる。

 沙樹は吊り革につかまり、流れる景色をぼんやりとながめていた。


 途中に見える高層マンションに、ワタルの部屋がある。

 ようすを見に行こうと考えたが、浅倉梢とワタルが一緒にいるところに鉢合はちあわせしそうで足がすくみ、電車を乗りすごす。


 結局沙樹は自宅の最寄り駅で降り、コンビニで週刊誌とスポーツ新聞を買った。

 部屋に帰って広げると、どこもワタルと浅倉梢の記事を大きくあつかっている。


 見出しを見るのが精一杯で、記事は読めない。

 沙樹は震える手でそれらを古新聞に挟み、ひもで力いっぱいしばった。


 和泉の言うように、だれかのリークだろうか。双方の事務所が出したコメントを読んでから縛るべきだったと後悔する。


 シャワーあとに髪を乾かしながら、テレビをつけた。

 ニュースキャスターが穏やかな表情で、終わりの挨拶をしている。そろそろ日付の変わる時刻だ。

 沙樹はスマートフォンをチェックしたが、通知は一件もなかった。



 オーバー・ザ・レインボウがアマチュアだったころ、沙樹は彼らの活動を手伝っていた。

 どのメンバーとも親しかったが、恋愛関係に発展することはなかった。


 ワタルとつきあい始めたのは、プロになるかどうかという微妙なタイミングだった。

 知名度が上がっているときだったので、目立つ行動を避けるつもりでつきあいを内密にした。

 仲間や事務所にまで隠すつもりはなかった。ただ、わざわざ宣言するのもおかしな気がして、機会もないまま今日まで来てしまった。

 そのため、沙樹とワタルのことを知るものはほとんどいない。


 沙樹から連絡するときは、まずメッセージを送る。

 都合のよいときはワタルから電話がかかってくる。

 慎重の上にも慎重を重ねてきたおかげで、人気の割には週刊誌にキャッチされることは一度もなかった。

 

 それなのにワタルは、別の女性との恋愛話を大々的に報道された。

 

 仕事に追われるふたりなので、デートをするチャンスもめったにない。

 電話不精に筆不精のワタルは、頻繁ひんぱんに連絡してこなかった。つきあい始めたころならいざ知らず、今では沙樹も、それを普通のことと受け止めている。


「でもね、ワタルさん。こんなときくらいは、電話くれてもいいんじゃない?」


 そうつぶやいたあとだ。沙樹はふと、三日前の深夜にワタルから電話が入ったのを思い出した。

 声が聞けて気持ちがはずむ一方で、違和感を覚えた。


 あれはワタルからのメッセージだったのかもしれない。


 何かを伝えようとして連絡してきたのに、寝ているところを起こされた沙樹は、そこまで深刻に考えなかった。

 状況がまったく把握はあくできない。

 ワタルの口から直接聞きたくて何度も連絡を入れるが、電話は電源が切られたままだ。


「まさか、浅倉さんと一緒にいるんじゃ……」


 何気なくつぶやいたあとで、沙樹は頭をふって自分の考えを追い出した。


「やだ。あたし、何考えてるんだろ」


 沙樹はドライヤーを力なくテーブルにおいた。本棚におかれた写真立てを横目で見る。


「最近は、仕事以外で会う時間が減っちゃったね」


 ラジオ番組がなければワタルと顔を合わせることもない。

 それでも沙樹は平気だった。あのような記事を見せられるまでは。


 連絡が途切れるのは仕事が原因ではなく、ほかに理由があった。そんなことに考えがいたらなかった自分が情けない。

 仕事と恋愛を天秤にかけたつもりはなかったが、無意識のうちに仕事を優先させていた。

 その結果がこれだ。


「気持ちがつながっているなんて、ただの錯覚だったのかな」


 部屋の明かりを消してベッドに寝転がり、沙樹はもう一度メッセージを書いた。


『深夜でも早朝でもいいから、時間ができたら電話して』


 送信をタップし、画面をじっと見つめ返信を待つ。

 二分、三分、五分……。

 時間は過ぎるが着信音は鳴らない。


 待ちくたびれた沙樹は、いつしか眠りに落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る