第一章

一.吹き始めた木枯らし

第6話 (一)

 話は一週間前にさかのぼる。



 昼の社員食堂では、今日も慌ただしく食事をとる姿があちこちに見られる。

 放送局という、秒刻みの生活があたりまえとなっている特殊な世界には、ゆとりなど存在してはいけないかのようだ。


 一口飲んだコーヒーをテーブルにおき、沙樹はそんなことを考えた。

 自分がのんびりしているのは番組の収録が終わった直後だからで、生放送直前はあの中のひとりになる。


 昼前のニュースが、木枯らし一号が吹いたことを伝えた。

 冬に備えてコートを新調したいが、彼氏とは休日があわない。


 ――ひとり寂しく、ウィンドウ・ショッピングでもしようかな。


 沙樹はそんなことを考えながら、ヒットチャートをチェックするためにタブレットを操作する。


「あ、来た来た! よかった。これでひと安心ね」


 今月のヘビーローテーションが、五日目にしてトップテンに入った。チャートを見ると、沙樹の口元は自然とゆるむ。

 ほかに目立った曲はないかと見ていたら、三位にオーバー・ザ・レインボウの名が目についた。

 沙樹の気持ちが、唐突にワタルの元にとんだ。


 先週ツアーが終わったばかりなのに、もう次のアルバムに向けてアイデアをまとめているらしい。会話を交わしたのは一週間前、ワタルが仕事でラジオ局に来たときだった。

 最後にプライベートで会ったのはいつだったろうか。二、三日前に電話で話したことさえ、遠い昔に感じられる。


 沙樹が学生のあいだは無理すれば日程を調整できたものの、社会人になってからはそれも難しい。

 ワタルたちのバンド、オーバー・ザ・レインボウのメジャーデビューが決まったとき、いずれはこういう日が来ると覚悟していた。

 が、DMの既読すらつかなくなっては、穏やかではいられない。


 すれ違いの日々は沙樹の心に不安の種を植えつけ、芽を出させるのに充分な時間となっていた。

 頬杖をついて小さなため息をついたときだ。


「沙樹、ここにいたのね。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」


 同期入社の小川おがわ裕美ひろみが突然現れ、沙樹の正面に荒々しく座った。

 アナウンサーだけあって声がよく通る。


「どうしたのよ、そんなに鼻息を荒くして。裕美らしくないぞ」


「そんなことどうでもいいから。まずはこれ見て」


 裕美は写真週刊誌をテーブルにおき、開かれたページを勢いよく叩いた。


「これ、沙樹はどう思う?」


「浅倉……北……ル……熱……、え? 何?」


 指の隙間から記事の見出しを読んでいるので、意味がよく解らない。気づいた裕美が手をどけると、ようやくすべての文字がつながる。


「うそ……北島さんと浅倉梢の、ね、熱愛……?」


「音楽業界ではちょっとしたさわぎになってるのよ。そりゃあそうよね。人気バンドのリーダーと好感度ナンバーワンアイドルの恋愛だもん。

 今朝の芸能ニュースは、その話題でもちきりなんだから。あー、悔しいっ」


 オーバー・ザ・レインボウのファンを公言する裕美は、握った拳をふるわせた。

 追っかけこそしてないが、行ける距離で開かれるコンサートには必ず行くし、ファンクラブにも入っている。

 沙樹は裕美の怒り具合を見ているうちに、週刊誌に書かれた内容がやっと理解できた。だがここで取り乱すことは、絶対に許せない。


「悔しいのはわかるけど、どうしてあたしに質問するかな……?」


 不安を押し殺し、表面上は平静な態度で答えたものの、沙樹の手は小刻みにふるえていた。

 声がうわずっていないか心配になる。


「だってあんた、オーバー・ザ・レインボウがDJやってる番組のスタッフでしょ。メンバーとも顔見知りじゃない。何かに小耳に挟んでない?」


「顔見知りっていっても、仕事仲間ってだけ。それ以外では挨拶あいさつ程度のつきあいだよ。熱愛話だって、今初めて知ったんだから」

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