おれんじな日々

@24no

第1話

「3と5の間には何があるでしょう?」


 何時だったかは思い出せないが、彼女にそう問われたことがある。

 そのとき、「4」以外の答えを持ってなかった僕は、自分で言うのもなんだが普通の男なのだと思う。



 僕と彼女の出会いは大学時代。

 同じ学部の同級生で、基礎科目でたまたま席が近くなり、話をするようになって、いつの間にか仲良くなった。

 付き合い出したのは、一年の秋頃だったと思う。夏休みの終わりにはじめて2人きりで出かけた。結局それが契機になって、学部祭の打ち上げで僕の方から告白し、彼女はOKをくれた。

 苦学生と言うほどでは無いが、年相応の経済力しか持たない僕らの主な逢瀬の場は、大学から徒歩10分のところにある僕のワンルームのアパートだった。

 玄関開けてすぐの狭い一口コンロのキッチン。その脇にある段ボールには、いくつかの買い置きのカップ麺が入っている。

 僕という人間は、初めてのお店ではオススメを頼むし、対戦ゲームではまず主人公を選択する。そうすればとりあえず間違いが無いからだ。そしてそのうちにそれらに愛着が湧き、いつの間にかそれ一択になっている。カートレースのゲームも乱闘するゲームも赤い人を選ぶし、ヌードルもスタンダードな赤いやつ。

 だからその流れで「赤いきつね」を食べるようになるのは、ごく自然なことなんじゃないかな。初めて家に連れてきた日。そんなことを嘯いたら、殴り合いの大乱闘になりました(大嘘つき)。悲しいかな彼女は、赤いヌードルを食べるくせに、弟で戦いそばをすする人類だったのです。そしてテレビ画面上での拳と拳の話し合いを経て、それ以後段ボールの中に緑のやつが紛れ込むようになったとさ。


 付き合ってそれなりに時間が経った頃。

 金曜日の夜はいつも、お互いのバイトが終わった後、最寄りの駅で落ち合う。

 僕も彼女も地方からの上京民。互いに関東地方の5番手争いする県出身のロミオとジュリエットだが、それはとりあえず関係ないので置いておく。彼女の方は既に社会人をやっている4つ上の姉と同居しているのだが、終末は家にくる事が多い。どうやらそうすることでお小遣いが貰えるという姉妹間協定が結ばれているようで、たまに彼女がコンビニスイーツを買ってきて、僕もそのおこぼれにあずかっている。

 ごめんまったいまきたところと合流して、アパートへと向かう。籠に彼女の荷物を入れた自転車を引きながら、2人並んでゆっくりと歩く。僕らの通う大学は東京郊外にあったから、駅前から少し離れると途端に静かになる。根が田舎者の2人には、その夜の暗さがちょうど良かった。

 部屋に着いて、一息ついたらやっと食事の時間だ。すでにバイトだと深夜割増が貰える時間帯に突入しているが、若さにかまけて空腹を満たす作業に入る。

 1000円以下で買った900ml電気ケトルの限界まで水を入れ、スイッチを入れる。

 水がお湯になるまでの数分間、何かちょっとしたことをやるのが僕ら2人で決めたルール。洗濯物片付けたり、床にコロコロやったり、本当にちょっとしたこと。彼女が新書の自己啓発本かなんかで読んだのを実践しようと言い出して、それが結局ずっと続いている。

 ケトルの沸騰間際になると、段ボールからそれぞれの獲物を捕りだし、オールシーズン置いたままのこたつに腰をかける。そのとき、キッチンの引き出しから割り箸を持ってくるのも忘れない。カップ麺とは、食後の洗い物全てをサボるという覚悟を持ちながら食べるもんだ。

 箸を向かいに差し出した後、改めて赤いそいつと向き合う。

 ……おいしそうなフォントしてるじゃん。

 外側を覆うビニールを外し、蓋を開ける。その際、おあげの全身が見えるよう少しだけ「ここまで開けてください」の点線を越えて開ける。そして露わになった狐の全身の上に塗すようにして、粉末を振りかける。それを溶かす様に熱湯をかけることで、おあげのシミむらを避ける事が出来るのだ。

 これは初めて「赤いきつね」を食べた時、従兄弟のお兄ちゃんが「”こう”やった方があげにまでよく出汁しみる」と教えてくれた作り方。大人になってみたら、やってもやらなくても違いがあるような造りの甘い商品ではない事はとっくに理解っているが、小さい頃からの刷り込みで、やらないとどうにも落ち着かない。

 このやり方を最初に見せたとき、子どもっぽいと彼女は笑った。そんな彼女は、姉直伝の天ぷら半分細かく砕いて、もう半分を後のせというアレンジをする模様。それを小馬鹿にしたところで、戦争が勃発。これでもし両者が七味直前派でなかったとしたら、争いはさらに凄惨なものとなっていたことだろう。

 割り箸を袋から出しカップの上に置いたところで、ケトルが水の蒸発する音をあげ、沸騰完了を告げる。うどんの方が待ち時間が長いから、こちらが先手。炊飯器横の台座からケトルを取り上げ、急いで着席。カップ麺に入れるお湯は沸点に近ければ近いほど旨いと、祖父が言ってた。

 シューシューと鳴くケトルを傾けながら、おあげに向けてお湯を注ぐ。跳ねないように慎重に、しかしそれでいてスピィーディーに。熱湯は粉末を崩しながら溶け、お上げのフィルターに染みこみながら、段々と透き通った出汁へと変化して降りてゆく。強烈な出汁の香りとおあげの油のほんのりと甘い匂いが部屋中に広がり、空きっ腹を刺激してやばい。内側の線のギリギリ少ないところでお湯を止め、蓋を閉め割り箸で封印。

 これで後は待つだけ。向かいに座りまだかまだかと待つ彼女に、半分減ったケトルを渡す。彼女の分を注がないのかって? 彼女には彼女のたぬきとの物語がある。それに口を挟むのは無粋というものだろう。

 お湯を注ぎ終えたケトルを定位置に戻すと、”待ち”の時間が始まる。こたつの上に置いたデジタルの卓上置き時計に2人して眼をやりながら、いつもなんとなしにパッケージを読んだりしている。

「…………」

 その間、無言。

 ただ、この沈黙に気まずさは無い。無理して隙間を埋めるように話す事も無く、ささやかな期待感をただただ共有する空間が、とても心地良い。

 彼女が「緑のたぬき」にお湯を注いでから、2分と30秒。一瞬だけ蓋を開け、後のせ用の天ぷらを入れて、閉じる。そこから時間にして10秒。今度は蓋を完全に剥がし、とっておいた七味を入れ、そして――

「いただきますっ」

 割り箸でカップ全体をほぐしながらスープの浸みた細かい天ぷらを麺を絡め、志ん朝もかくやという食べっぷりで、ずるずるずるっと勢いよくすする。そして間髪入れずにお出汁をゴクッ、ぷはーっ。文字にしたらどこのオヤジだといった感じだが、それでも彼女がやると、魅力的に見えてしまうのだから、かなわないなぁと思う。

 付き合い始めた初期の初期に、料理は相手を待たずに来た順からとルールを決めた。そのルールに異存はまっったく無いのだが、目の前でおいしそうに食べる彼女を見ると、この時間がどうしても溜まらなくなる。空腹、部屋に漂う強烈な出汁空気、眼前でおいしそうに食べる彼女、こんなの我慢できるはずが無いだろう。

 そして結局、規定時間5分を待たずして蓋を開け、赤いきつねにがっついてしまう。七味をかけ、おあげを底にまで沈めながら、カップ全体を混ぜ合わせて、出汁を均一にして完成。いったんおあげと卵を脇にやって、麺を一気に吸い込む。

 この塩っけとか。温かさとか。そういうのが全部ひとまとめになって、一気に身体中を満たしていく。勢いそのまま、おあげで麺をサンドし一気にガブり。途端、じゅわぁと口の中に甘辛い出汁が広がる。

 ――あぁ、うまい。それ以外の言葉はもう要らない。

 夢中でうどんをすする僕。それを楽しそうに向かい側から見ている彼女。

 特別ではない、2人のありふれた日々。だけどなによりも美味しい思い出。

 公式よりもちょっとだけ固い麺。


 それからの2人は色々あった。喧嘩をして、仲直りもして、就職からの転勤で遠距離恋愛にもなったし、一度は心が離れかけたこともある。

 それでも2人は一緒に居て、これからも一緒に居ることになった。一緒に住むようになって、実家に挨拶して、結婚して、子宝にも恵まれた。

 同棲前の引っ越し前夜、荷物に囲まれながらすすった赤いきつね。

 就活の不安から家を飛び出し、ネカフェで食べた赤いたぬき(限定品)。

 仕事に追われ、彼女も自分自身も蔑ろになっていた、深夜の黒い豚カレーうどん。

 出張先で、初めて食べたWの文字が表記された関西版赤いきつね。

 長く辛い話をして、伸びきってしまった赤いきつね。

 別れたくないと大泣きし、何時もよりしょっぱかった赤いきつねと緑のたぬき。

 病院を追い出され、お義父さんと連絡を待ちながら食べた赤いきつね。

 子どもにうどんを布教しようとして、すでにそば派だったときのやけ食いをした赤いきつね。

 でもどれだけ食べても、君と一緒に食べる赤いきつねを越えることは無いのだろう――。


「ねぇ、あなた。聞いてる?」

 ふいに話しかけられてはっとなる。どうやらいつの間にか物思いにふけっていたようだ。

「ごめん、何だったかな?」

「今日のお昼ご飯はどうしようって話」

 春に下の娘を送り出して、ガランとなった家。今は久しぶりの2人暮らしを楽しんでいるところだ。

「たまにはカップ麺でもいいな」

「じゃあそうしましょうか。何にする?」

「赤いきつね」

 これまでに何度となく繰り返したやりとり。そしてこれからも何度だって繰り返すだろうやりとり。その度にまた、彼女は僕の前で緑のたぬきを食べて、僕は少しだけ固い麺をすするのだ。


 ねぇ、3と5の間には、僕のしあわせがあったよ。

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