第48話

 一道の闘病生活は長期間に渡った。入退院を繰り返しながら、一年半近くにもなった。良くなって退院しても少しすると、不整脈が出てきて心臓が締め付けられるように痛み始めた。それでまた直ぐに入院することになった。その原因は一度、広げた血管が何度も詰まったり、他の部位の中小の血管が新たに詰まったりしたからだった。結局、カテーテル手術では治療しきれなくなり、胸を切開してバイパス手術をした。腹部と腕の静脈を切り取り、心臓の詰まっている動脈の代わりに接合した。

「体質的に非常に心臓の血管が詰まり易いタイプです。これだけ血管全体が詰まりやすいと術後も充分に注意する必要があります。あなたの心臓はヒビが入って割れやすくなっている茶碗みたいなものですから、絶対に無理をしないで大事に使ってください」

 手術した医師は一道に念を押すように言った。一道の心臓の筋肉は結果的に三分の二以上が壊死してしまった。心筋は不随意筋で再生しないため、機能は落ちることはあっても回復する可能性は無かった。残された機能は、体調のよい時でも数分間、ゆっくりと歩くことができるくらいだった。自転車にはペダルを踏む力を弱くすれば、どうにか買い物に行く程度は乗り続けられた。車の運転は不整脈さえ出なければ自由に走らせることが出来た。

 急性心筋梗塞は一道自身にとって生死をさまよう重大な事態であったが、闘病中はカミツ工業にとっても激変の事態になっていた。

 入院中や自宅療養中に桜井はしばしば一道のもとに見舞いに来ていた。また、松次郎も古市から何度か出てきて一道の激励に来てくれた。その都度、桜井や松次郎は会社の状況や木工場の様子をくわしく説明していた。一道は二人の話を聴きながらカミツ工業が急激に倒産への道をたどった様子が手に取るように分かった。

 一道が倒れる前から世の中のバブルは急激にはじけ始めていた。国全体の経済が航空機が墜落するように落下していった。その影響で《望郷》シリーズは信じられないほど注文が無くなった。しかしこれだけでは倒産に至らなかった。「あと五十年位は操業が続けられるだけの経済的基盤を作り上げました」と社長交代式の時に神津前社長が言っていたように資産は充分にあった。皮肉にも倒産を決定付けたのはカミツ工業の資産のほとんどであった不動産の暴落だった。神津前社長は不動産の値上がりを見越して、銀行から多額の借り入れをして近畿圏に限らず全国の不動産を大量に購入していた。その価格がこれもまた信じられないほどの速度で下落していった。売却しようにも買い手がいなかった。もし、買い手がつくほど価格を下げれば、売れば売るほど莫大な借金が残ることになった。銀行への返済はすぐに行き詰った。

 まさに、あれよあれよと言う間にカミツ工業は倒産してしまった。

 米沢はいち早く、姿を消した。神津一家もいつの間にか雲隠れをした。後は破産管理人がいるだけになった。従業員も全員解雇で、建物も全て明け渡すことになった。一道と桜井が全魂を傾けて製作していた『楽器スピーカーシステム』も産業廃棄物と化した。当然、桜井も出て行かなければならなかった。

「城崎の実家に帰って、来年度の教員採用試験を目指して頑張ります。三津田さんのおかげで、僕の人生にとって貴重な体験を積ませてもらうことが出来ました。ほんとうに有難うございました」

 最後に桜井が来たときしみじみと言った。

「・・・よかった。そっちの方がいい。桜井君はほんとうに秀才だからがんばってよ。それと、松次郎さんのところへもお礼に行きたいのだけれど、こんな体だからとても遠出できない。もし会うことがあったらよろしく言ってよ」

 一道は声を詰まらせた。

「はい、帰りに途中下車して、爺ちゃん婆ちゃんの家に寄るつもりですので、よく伝えておきます。三津田さんも病気に負けないように、いつまでも元気で暮らしてください」

 桜井は飄々として玄関を出て行った。桜井が帰って行った後、一道は、自分の人生の大きな何かが終わったのではないかと感じた。さらに、ひょっとすると人生のすべてが終わってしまったのではないかという思いがこみ上げてきた。

 和美は会社の倒産後は、すぐにパートに勤めに出ていた。朝、会社へ行く前に明美を幼稚園に送り、帰りにはまた迎えに行って連れて帰って来た。その間、一道は一人で毎日、マンションの自宅でゴロゴロするしかなかった。

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