第44話
桜井が古いギターを持って工場の方に降りようとしていた。一道はそれを何気なく見ていた。
「そのギターは、捨てるのかい?」
「はい、もう長年使って古くなったので捨てます。響きの良い少し高価なギターを新しくい買いましたから」
桜井はギターを振りながら下りて行こうとする。
「もったいないなあ。俺におくれよ」
「どうぞ、捨てるものですから」
一道は桜井からギターを受けとると弦を弾いたり、ボディーをたたいたりしていた。
「ボディーはなかなかいい響きをしているなあ。これは、ひょっとしたら面白いかもしれない」
一道は何かを考えている様子だった。
「何かに使えますか?」
桜井が不思議そうに尋ねる。こういう一道の知恵のをひらめきには桜井は今までに何度も驚かされ、感服している。
「これをスピーカーボックスにしたらどうだろうか。しかも、スピーカーユニットをボディーの中に向けて取りつけたらどんな音がするだろう?ひょっとしたら、ギターの生の音に近い音がするのではないかと思うが・・・」
「ハァー、それは予想がつきませんねぇ。でも、弦の代わりにスピーカーのコーンを動かすわけですから、理屈的にはこのボディーの中で共鳴する音は実際に弦を弾いて出てくる音とそれほど大きな違いはないような気がします。ただ、解放されたスピーカーの背面の音波がどのような干渉するか、これはやってみなけれは分かりません」
桜井は首を傾けながら言う。
「それじゃ、やってみようか」
一道は早速ギターの背の部分の中央あたりに十三センチフルレンジ用の穴を開ける。そして気密がしっかりと保たれるようにスピーカーを取り付ける。それを2A3バッテリーアンプに接続する。
「ギターだからギターの曲を聴いてみようか。そうだ『湯の町エレジー』の始ののところはギターだけの演奏だったなぁ。あれを聞いてみよう」
一道は懐メロCDの中から『湯の町エレジー』の入っているものを探してプレーヤーにかける。すぐに哀調を帯びたギターの音色が指向性を感じさせない広がりで部屋一面に響く。工場は操業中で騒音は連続して聞こえているが、ギターからは明瞭な輪郭の音が出て周囲の雑音が気にならないほどだ。
「これは、また、すごいことになったぞ。ギターそのものの音じゃないか」
一道は分厚い手のひらでひざを打ち鳴らしながら大声を出した。
「そうですねえ。まともにギターの音ですねえ。スピーカーから出ているとは思えません。考えれば、現にギターから出ているわけですから、ギターの音に間違いはありません」
二人はさまざまなジャンルの音楽をかけて聞いてみる。それでわかったのは、ギターの音はよく響いて大きく聞こえるが、それ以外の人間の声や楽器は音が隠れ気味になることだった。音源にスピーカーボックスになっている楽器と同じ種類のものがあるとその楽器の音が大きく共鳴するのだった。考えればを当然のことだったが、実際に聞いてみるとギターとそれ以外の楽器の音がかなりの音量差になるのに驚いた。
「これは面白いことになったぞ」
一道は目を輝かせる。
「それでは、ギターだけの曲を聴いてみましょうか。『アルハンブラの思い出』というのがあります。まず僕が下手ですけれども始めの部分だけ実際にギターを弾いてみます。その後、CDを聴いてましょう」
こう言って桜井はスピーカーユニットをつけたままのギターで初めの部分を弾いた。次にCDで同じ曲をかけた。音量は実際の演奏と同じ程度にした。結果は、生の演奏とほとんど変わらない。
「ウーム!」
二人は唸った。
その時、毅が階段をドタドタと上がって部屋の中に入ってきて、怒鳴った。
「就業時間中に、テレビを見たりギターを弾いて遊ぶなと親父から言われていただろう・・・」
毅は何か続けて言おうとしていたが、実際にギターを弾いているのではなくて、スピーカーをつけたギターから音が出ているのが分かり、一瞬おどろいて立ちすくんだ。それから曲の最後まで聞いて、
「オーッ!これは素晴らしい。下で聴いていたら実際にギターを弾いているものと思った」
毅は感嘆の声を出した。
「それはそうじゃ。本物のギターから音が出ているんだから本物の音にちがいないだろう」
一道はおもしろそうに言う。毅はいつもの不快な顔もせずに腕組みをしてしきりに何かを考えている。
「それじゃ、さまざまな楽器にスピーカーをつけて、それぞれの楽器の音を出せば、ほとんど生の音に近い音が出るということか」
「そうですねえ。いろいろな楽器が一緒になって演奏されたものを録音したCDからひとつの音源の波形を電気的に抽出するというのは、非常に難しいと思いますが、例えば特定の楽器にその楽器の混合された音波を共鳴箇所に流せば、その楽器に最もよく共鳴する音が強調されて出てくることは間違いありません。ちょうど、ロー・ハイ・パスフィルターがあるように、物理的な波形パスフィルターになります」
桜井は丁寧に答える。聞いていた毅の顔が金儲けのネタを見つけたような表情になった。
「それじゃあ、一道君、今から社長命令を出すよ。できるだけ多くの楽器を購入して、それぞれにスピーカーをつけて、まるで目の前で生の演奏をしているような音を出しておくれ。ステージは、本社の三階が物置になっているから、あそこを改装して、舞台とホールを造るよ。そこに設置しておくれ」
毅は珍しく元気な声を出す。途中から米沢も来ていたが、彼が身を乗り出した。
「そして、その、日本初の試聴室を全国に宣伝して、人を集めましょう。そこに、《望郷》シリーズを展示して、いかに優れたラジオやアンプであるかを納得させましょう。この企画は、マスコミも取り上げてくれるでしょうし、売り上げを飛躍的に伸ばすことができますよ。いやいや、国内にとどまらないでしょう。世界で初めての試みに違いない、この楽器スピーカーは世界中の話題になって世界中で《望郷》が売れるようになるでしょう。プロジェクトに名前をつけましょう・・・そうだ、『原音再生プロジェクト、世界初楽器スピーカーシステムの驚異』と命名しませんか?」
米沢は目をキョトキョトさせている。
「そんな調子のいいことを言っているが、これには金がずいぶんかかるぞ。楽器を買ったり、木管楽器はスピーカーとの接続部分にはそれぞれに合った形のものを作らなけれはいけない。たかがバッテリーを買う十万円を出すのにさえ、ブツクサ言ったくせに、本当に金を出す気があるのか?」
一道はわざと白けた雰囲気をつくって言った。
「いやいや、大丈夫だ。生演奏のように聞こえるのであれば、いくらでも金を出すから、最もいいものを作ってくれ。あの時は一道君の不遜な態度が気に食わなかっただけだからさあ」
毅の声は弾んできていた。
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