第34話

 神津と米沢は6ZP1パラシングルアンプの製造ラインの設置に躍起になっていた。工場の広さには製造ラインを増設するスペースはまだ十分にあった。ラインの企画、設計、設置などは専門業者に任せると必ず不具合が多く出てきた。それは高一中二の製造ラインでよく分かっていた。原因は、業者が真空管製品という慣れないものを扱うので、作業内容の細かいところが分からずに組み立てるところにあった。こういう業者を的確に指導できるのは工場の中では一道と桜井しかいなかった。こんな時だけ神津や米沢は、ペコペコと一道の機嫌をとりながら長時間働かせた。

 二人は朝早くから、深夜まで働き詰めで製造ラインを設置していった。急ぐ必要は全くなかったのだが、神津や米沢が少しでも早く発売する方が利益が上がるということで、急がせるのだった。一道や桜井は働き詰めになるのが苦痛かというと、そうでもなかった。結構、楽しく仕事をしていた。二人でそれぞれの製造工程の内容を話し合いながら具体的な作業の内容を決めて、それにふさわしい設備を整えていくのは面白く、楽しみなものだった。二人は朝だけマンションで食事をとって、あとは少しでも時間の無駄をなくす為、工場で食事をとるようにしていた。和美が二人分の昼と夜との食事を作って持ってきた。時々、夜の食事を三人分持ってきて和美も一緒に食事をすることもあった。そんな時には和美は食後から工場の清掃を始めた。広い工場を全部一人でやるので、終わるのはかなり遅い時間になった。

 6ZP1コンポの製造ラインは三ヵ月ほどかけて完成した。実際に製造を始めるころになると、松次郎からのキャビネットもストックを抱えるほど十分に供給されるようになってきた。また、外部へ発注していたオプション類のユニットも、順調に納入されてきた。

 不良品を出さないために作業員は、他のラインで作業に慣れている者を6ZP1に移動させて、新しく採用した者は既設のラインの方に回した。

いよいよ、ラインを動かして試験的に製造を始めた。一道や桜井が見守っている中で、ゆっくりとベルトコンベヤーが動いて、やがて第一号機が完成した。いつも、第一号機は良し悪しは別にして記念にとっておいた。一号機に電源を入れて音を出してみると、予定通りの音が見事に流れてきた。さらに細かいところまで点検をしたが特に不具合はなく、製造工程や部品の変更をする必要はなかった。

 その後、本格的な製造を始めた。順調に製品が仕上がっていった。

「さすが、一道君と桜井君だな。こんなにスムーズにラインができあがったことはなかったよ。一道君が田舎に帰って、居ない間に設置したラインはうまくいかなくてずいぶん苦労したよ。何千台、不良品を出したか分からない。それ比べたら今度は無駄な金を使わずにすんだ」

 神津が細い体の割には太い声で誉める。

「さすがに、三津田さんと桜井さんはプロフェッショナルですねぇ。プロの仕事以外の何物でもないですよ」

 米沢はいつもの誠実さの感じられない口先だけの言葉を並べる。

「そんなことより、6ZP1が完成したら特別ボーナスを出すと言ったのと違うのか?」

 一道は口を少々とがらせながら言った。

「ああ、そうだったなあ。いや、忘れとった。明日にでもちゃんと渡すよ」

 神津は半分とぼけたように答えた。

 6ZP1パラシングルアンプは「心に響く最高音質・真空管コンポ・望郷Ⅲ」という名前をつけて売り出した。金額は同程度の大きさの半導体コンポの三倍近い値段にしていた。米沢はあちらこちらと得意な宣伝の手を打っていった。すると反応は早く、次々と注文が入ってくるようになった。一道には、こんな高価なものがどうしてこんなに売れるのか、どう考えても理解できなかった。

《望郷Ⅲ》の製造販売は滑り出しも順調にゆき、音質の良さが口コミで広まったことやマスコミで時々取り挙げられたのも追い風となって、その後も着実に販売を伸ばしていった。

 肌寒い風が吹き始めた頃、

「今夜、社長のところへ正式に頼みに行きます」と桜井がすっきりとして言った。

「頼むどころか、社長は頭を下げて、どうかうちの会社に就職してください、と言うよ」

 一道は桜井の将来のことを考えると複雑な気持ちではあったが嬉しかった。

この夜、桜井は一人で社長の自宅へ行き、就職の件を頼んだ。ちょうど米沢も一緒に居た時だった。

「とんでもない、こちらから土下座をしてでも工場にいてほしかったのですよ。ねえ、社長」

「それはそうだ、大学院まで出た学生がうちの会社に入社をしてくれたとなれば、鼻が高いよ。来年の四月から正社員になるけれども、今の段階で、もう、技術部長という役職を与えます。技術主任の一道君よりも役職は上ですから、給料もそれ以上の金額にしますよ」

 神津は喜んだ。

「いえ、それは絶対に困ります。三津田さんの下にしてください。それに給料も三津田さんより必ず少なくしてもらわないと困ります。そうしてもらわないと具合いが悪くて、会社におりづらいですよ」

 桜井は強く言った。

「そうですか。はるかに能力が高い人に、より多くの給料を出してあげるのは当然なのですが、一道君の手前、おりづらくなったら困るでしょうから、考えることにします。安心してください」

 神津は相好を崩した。

 桜井が工場に帰ってくると、和美がまだ掃除をしていた。彼女のお腹はずいぶん大きくなっていた。まもなく臨月を迎えることになっている。高齢出産にもかかわらず心身ともに元気で、陣痛が来てから病院に行けばいい、と仕事の清掃も続けている。桜井は就職の件を和美にも伝えた。和美は無表情ながらもさかんにうなずいて喜んでいた。彼女は掃除を終えて、マンションに帰ってからすぐにたくさんの食べ物や飲み物を入れた袋を下げてまた、工場の部屋へやって来た。そこで深夜まで、三人で桜井の就職祝いをした。アルコールには強くない一道が珍しく多くビールを飲んで、何度も目を潤ませていた。桜井が工場に残ってくれることは一道夫婦にとってこの上ない喜びだった。

「ちょっと早いが出産祝いもいっしょだ」

 一道は上機嫌だった。

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