第31話

 工場では高一ラジオ《望郷》の製造は順調だった。杉山真空管の《新望郷》は真空管の供給ができなくなったので製造を中止した。高一中二ラジオ《望郷Ⅱ》は一道が帰ってきてからクレームのついたところを改良してからは順調な製造が続けられるようになった。二台とも時代の流れに逆行するようなラジオだったが月々の注文は確実に増えていた。工場内は従業員がせわしく動いて活気を呈していた。逆に一道と桜井は製造が順調であればあるほど暇だった。桜井は大学院二年になったが、それほど学校には行く必要がないようで、工場にいることが多かった。

「特に講義を受けに行かなければならないということはありません。教材を見れば講義の内容は十分に理解できます。大学は教えてもらうところではなくて自分で勉強することの方を大切にするところですから」

 桜井は頭の良い学生だった。というよりも探求心の強い学生だった。分からないことがあると、納得ができるまでとことん追求する。また解けない計算式があると時間がいくらかかろうが、解けるまで計算をし続ける。それらを苦痛ではなくして趣味のように楽しみながらやっている。だから講義にはあまり顔を出さなかったが、優秀な成績で単位は習得していた。

 桜井にとって何よりも楽しいのは一道と真空管談義をやって、そこからさまざまな回路図を考えて実際に製作する事だった。この頃は二人にとっては暇な時間が多かったので、いつも二人で回路図を書いたり、いろいろと試作機などを製作していた。一道がマンションを購入して、工場の一道の部屋から家具や所帯道具などはマンションに移動したので、広々とした部屋に多くの部品や道具や製作物を置くことができた。

6ZP1パラシングルアンプは予想を超えた快い音を出した。一日中聞いていても全く耳が疲れないし、音量を最大にしてもうるさく感じることはなかった。

「せっかく良いアンプなのだから、スピーカーを改良しようか」

 一道が高一中二に使っているスピーカーを見ながら言った。

「初めは密閉型で作っていたのに、いつの間にか裏ブタに安物の穴の開いたボードを張っただけの開放型にしている。それに板の材質も薄っぺらな継ぎ板にしている。どうせ社長か米沢が儲けを多くするために変えたのだろう。こんなので良い音がするわけがない」

 一道は憎々しげな顔になった。

「そうです、この大きさのスピーカーボックスで、後面開放型にするとちょうどいちばんよく使う中音当たりが前方に出る音と干渉し合って、その部分の音が不自然になってしまいます」

「やはりボックスは密閉型に限るだろう?」

「はい、さまざまな形式のボックスがありますが、密閉型が最も自然な音になります。後面から出てくる音が消されてしまいますから、その音のエネルギーは無駄になりますが、前面の音に悪影響を及ぼしません。密閉型以外は多かれ少なかれ、また良くも悪くも前面に出てくる音に影響を与えます。ただ、低音になると容量の少ないボックスでは空気圧の高低差が大きくなりますので、少しコーン紙の動きが制動されます。それでも、低音が少々出にくいかなあ、という程度の影響です」

「ヨーシ、やはり密閉型にしょう」

 一道は6ZP1アンプにつないでいたスピーカーを取り外した。

「それにしても桜井君のおじいちゃんは優れた職人だな。この安く作らされたスピーカーを見ても、一分の隙もないものなあ」

「えぇ、爺ちゃんは若いころからずっと木製品を作っていますから、何をつくらせても非常にうまく作ります」

「今度はこのスピーカーに合うような容量の大きい密閉ボックスの製作を頼んでおこう。そして裏蓋もしっかりしたものを作ってもらうように連絡しておこう。とりあえずこのスピーカーボックスをその辺にある丈夫な板で側面を補強して、そして裏蓋も作ろう」

 一道は工場に降りて行って厚めの板を見つけてきた。それをスピーカーの上下左右の面に貼り付けられるように適当な大きさに切る。そしてたっぷりとボンドをつけてそれぞれの面に貼り付ける。

「桜井君、要らない毛布はないかな?」

「えぇ、古いのならあります」

 桜井は自分の部屋から不要な毛布を持ってきた。一道はそれをスピーカーボックスの内側に張り付けられるような大きさに切って、接着剤とU字のステップル釘で丁寧に板に固定していく。それから空気が漏れないように十分にボンドをつけて、側板と同じように補強した裏蓋を取り付け、ねじクギで絞め付ける。同じようにもう一台も補強する。

「これで、一日置いておこうか。そうすれば、しっかりとくっ付くだろう」

 翌日、ボンドが固まっているのを確認してからスピーカーをアンプにつないで音を出してみた。

「あぁ、良い音がするなあ。前の音とは全然違う。ただ単にボックスを二重にしただけの違いとは思えないほどだ」

「本当ですね。とても同じスピーカーユニットから出てきている音とは思えません。やはり、スピーカーの音はボックスで決まりますねぇ」

 一道も桜井も出てくる音に聞きほれていた。

 そこへ、急に米沢が入ってきた。米沢は一道から工場長という役職を引き継いでいたが、電気や機械のことは全く分かっていなかった。ただ、どうすれば儲かるかということについてだけは異常に鋭く感が働く。時々、製造ラインに不具合も無いのに一道や桜井の部屋にやってくるのは、二人がまた、金儲けになる物を作っているのではないかということをさぐりに来るためだった。

「ホーッ、良い音だね。こんな音は最近聞いたことがないですねぇ」

 米沢は6ZP1アンプに顔を近づけるようにして聞入る。

「それはそうだ。このアンプのように余裕のある贅沢な作り方をしたアンプなど今ごろの時代にあるわけがない。だいいち、6ZP1の真空管アンプなど、どこを捜してもないだろう」

 一道は不機嫌そうに答える。

「それにしても、真空管がこんな良い音がするとは思わなかった。これはひょっとしたらいい製品になるかもしれないぞ。すぐに社長を呼ぼう」

 米沢は黒い眉毛を盛んに動かしている。彼が眉毛を動かすときは、いつも金もうけのにおいがするときだ。米沢は携帯電話を取り出して神津に来るように連絡をした。神津は自宅の方にいたが、急いでやってきた。神津も金もうけの話となると行動が早い。

 二人とも6ZP1アンプの音を聞いているうちに顔がほころんできた。

「これはいい。こんな良い音がすれば、必ず売れる。三台目のヒット商品になる。真空管CDコンポの新製品の誕生だ。一道君、すぐに製品化してくれよ。しっかり頼むよ」

 神津が意気込んで言う。

「こんな物、売れるわけがないだろう。今時、出力が三ワット弱で、こんなにかさばって重たいアンプをだれが買うというんだ」

 一道はあきれ顔になった。

「いえ、大丈夫ですよ。宣伝する時に、弱点になる事には触れなければいいのです。何ワットであろうが、そんなことは普通の人には関係ないですよ」

 米沢は自信ありげに言う。

「いや、そんなことはできない。嘘をついて物を売るのは詐欺だ」

「そんなに意固地にならずに、技術主任さんなのだから会社のために新製品開発にしっかり取り組んでくださいよ。刑事事件でも、自分に都合の悪いことは言わなくてもよいという黙秘権という権利は認められているのですよ。気難しいことを言わずにお願いしますよ」

 米沢はますますをまゆ毛を動かしながら言う。

「それにしても、安くて高性能なセットコンポがいろいろなメーカーからいくらでも出ている。今時、こんな商品が売れるわけはない」

 一道はぶ然としている。

「いや、そんなことはないよ、一道君。今の時代は、価格は高くても本物の高級品を求める人が非常に多いんだ。こんな本格的な音のするコンポであれば、欲しい人はたくさんいると思うよ」

 神津も自信ありげだ。

「そのためには、スピーカーがよくない。表から見えない裏蓋をこんなに丈夫な木で立派にすることはない。それより、三ウエイにしておくれ。高級コンポで宣伝するのに、スピーカーが一個では貧弱すぎるよ、ねぇ、米沢さん」

 神津は米沢の方を見た。

「そうです。その通りです。高級システムコンポなら、三ウエイでなければ宣伝できません。必ず三ウエイにしてくださいよ、三津田さん」

「それは絶対に俺が許さない。宣伝のためだけに三ウエイにしようと思えば簡単なものだ。何百円くらいのスコーカーとツイーターを取り付けて何十円くらいのコンデンサーで接続すればできる。だが、スピーカーは音がいいのはフルレンジに決まっているのだ。三ウエイなどにしたら、わざわざ音を悪くしているのと同じだ。ダメだ」

 一道が大きな声で言う。

「一道君、また、そんな意固地なことを言って。千円くらいで三ウエイにできるというのは素晴らしい商品企画じゃないか。それによってどれほど商品価値が上がり、宣伝効果が出てくるか知れないよ。頼むから三ウエイにしておくれ」

 神津はまるで拝むようにしている。

「いや、絶対にできない。もしもどうしてもそうせよと言うのであれば、今すぐこのアンプを全部潰す、そうだろう、桜井君」

「そうです。三ウエイにすれば音の信号をコンデンサーやコイルに通さなければいけません。当然、それらは音質を劣化させたり、位相をずらせるものですから、歪みの原因になります。何よりもひとつの音を三つの、位置がずれたボイスコイルから発生させますから、位相のずれや音の干渉は必ず生じます。これらは理論上明らかなことです」

 桜井が一道の援護射撃をする。

 神津も米沢も困った顔をしてしばらく、なんだかんだと愚痴を言っていた。

「それでは、好きなようにしてくれたらいいが、せめて、外観上、スピーカーとアンプの高さは、アンプの上にFM・AMチューナ、CDプレーヤー、MDデッキ、カセットデッキを置いた状態で同じ高さになるようにしておくれよ。この四つともオプションにするからアンプはそれだけでケースに収めるようにしてくれればよい。それから・・・チューナーは、真空管式のものはかさばってセットにするのは無理だから、普通の半導体のユニットを使うよ」

神津は一道が聞き入れそうにないので、機嫌をとるように頼んだ。そして、一道の様子を伺うように顔を見る。半導体式のチューナーに文句を言うかもしれないと思ったからだ。

「そのくらいならできる」

 一道は不機嫌そうに言った。確かに6ZP1アンプに真空管のチューナーを乗せるのは大きすぎて使い勝手が悪くなるように思える。神津は安心した。

「一道君、概略はこんなものだから、近日中に古市の松次郎さんのところまで行って、寸法などの打ち合わせをしてきておくれ。わが社にも三台目のヒット商品ができるねえ」

 神津は興奮気味に言う。

「新製品が成功すれば、一道君にも桜井君にも一緒にポンと特大ボーナスを出しますから頼みますよ。それに日ごろは、何も仕事をしていないのに二人にはいい手当てを出していますからねぇ」

 神津は終りは意地悪そうに言った。一道が目をつり上げて噛みつこうとすると、米沢と一緒にそそくさと工場の方へ降りて行った。

 何時ものことだったが、一道は神津や米沢に対して愚痴と文句を言って一応反論するが結局、言いなりになってしまう。今回、なんとか抵抗できたのはスピーカーをフルレンジ一本の一ウエイにすることだけだった。

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