第29話
「気に入っている音のする高一中二の低周波増幅段を基本にするか」
一道は現実に直結した話になると声に力が入る。
「そうですねぇ、6ZP1のパラシングルはほんとうにいい音がします。高一中二の電源部は余裕過ぎるほどの容量を持たせて作りましたから、そのまま二台分に供給してもまだ余裕があります。もちろんB電源も両波整流の80Kをパラで使っていますから、ステレオにしても充分過ぎます」
桜井は様々な部品の規格を記憶しているので直ぐに回路図が頭の中に浮かぶようだった。
「それだったら簡単だ。高一中二の高周波部分を取り外して、そこに6ZP1のパラシングルをもう一つ載せればよい・・・だが、あまりにも簡単すぎるなあ」
一道が腕組みをする。
「それでしたら、B電源を80Kの整流から左右に分離させて独立電源にしましょうか。シングルアンプはA級動作ですから常時かなりの電流が流れていて、そこに大きな音声信号が入ると大きな電流が流れることになり、大なり小なり電圧低下が起こります。両チャンネルとも同じB電源を使うと片チャンネルの電圧降下の悪影響を他のチャンネルがまともに受けることになります。その影響を低減させることとチャンネルセパレーションをよくすることにもなりますので、もう一個チョークトランスを増やしてB電源の強化をしてみませんか」
「よし、そうしよう。音の良くなることであれば何でもやってみよう。ついでに、業者に言ってオリエントの電磁鋼板を見本として持って来させよう。それでOPTのコアを打ち抜くよ。タダなら社長も文句はあるまい」
二人の話は次々と決まっていく。
無料にさせたオリエントコアの材料の納品が遅れたので、アンプの完成には一週間ほどかかった。シャーシー上の配置は後方中央に電源トランス、その左右に出力トランスを置く。次に、シャーシーの中央には二個のチョークトランス、その左右にブロックコンデンサー、さらに外側に80Kの整流管を配置する。前方には6ZDH3Aと6ZP1を計八個並べる。完成したものを一道と桜井はしばらく満足げに眺めた。
「三津田さんに似てますね。頑丈で誠実にできています」
桜井が面白そうに言う。
高一中二と同じように6ZDH3AのカソードにNFBが掛けられるようにしていたが、OPTのコアをオリエントに変えているので、どの程度の量にするかは試聴しながら決めることにする。
後面開放型になった高一中二用のスピーカーを二個つけた。それからCDラジカセのラインアウトから入力をとってつないだ。今度はステレオ入力になった。
いよいよ、ナツメロCDをかけてアンプの電源スイッチを入れる。この瞬間は何度体験しても心がおののき、奇跡に直面するような気分にさえなる。真空管がほの明るくなるにつれて、スピーカーから曲が流れてくる。
「ああ、実にいい音だ」
「特に、人の声の再生はすばらしいですねえ。まるで、スピーカーの裏に歌手が居るみたいですねえ」
二人とも感動の声を上げる。目の前で歌手と対峙して発している声を聴いている気持ちにさせられる表現力があった。
6ZP1アンプは人間の声を再生すると絶品だった。人間の声の響きに載せられる感情の微妙な違いまでも明確に表現した。その声を聞いていると歌手の性格までもわかるような気がした。
「やはり、ラジカセや結婚式場の音とは違って、真空管は本当に人間らしい音がするなぁ。この音は間違いなく人間の声だ、人間が弾いている楽器の音だ。これだったらNFBの必要は無いなぁ」
「出力トランスの材料と作りが良かったんだと思います。NFBは音質を改善するいいアイデアですが、原音の信号に手を加えることに違いはありません。出力トランスが性質のよいものの場合はNFBをかけると逆に高音部分がこもってしまうような傾向になる場合があります。このアンプは今の音がいちばん素直で良いと思います。すばらしいですよ。この音に太刀打ちできるメーカー製の半導体アンプはないでしょう。もしあるというなら、そのアンプを持って来て、スピーカーとプレーヤーはこのままにして同じ音量で聴き比べれば一目瞭然です」
「桜井君は嬉しいことを言ってくれるなあ。トランジスタと真空管と、どちらの方が音が良いのか、これではっきりしたな」
二人は意気投合して大きな声になる。
「それはそうです。僕の研究テーマとは少し外れますが、三津田さんの影響を受けて、半導体と真空管とどちらの音が良いのか調べました。その結果、実に単純で明快な答えを得ました。誰が考えても真空管の方が音が良いことは自然の道理なのです」
「ホーッ、そんなにはっきりしているのかい?」
一道は意外そうな顔をする。
「ええ、ごく単純に考えても、半導体は字ごとく半分導体なわけです。物質の中を信号が通るわけです。そうすれば、当然、信号はその物質の原子や分子レベルでさまざまな影響を受けるのは当然です。原音が変化してきます。例えば、スピーカーコードの材質によって音が変わると言って大騒ぎをしている人がいるのを見てもその影響が無視できないことが分かります。実際には家庭で使用する長さや電流量ではスピーカーコードの材質の違いは聴感上まったくないのですが・・・ここで不思議なことがあります。それほど信号の流れる材質が音質劣化に関連があると神経を使っている人がなんと、まったく気にせずに半導体アンプを使っているということです。半導体は物質の中を電気信号が通ることによって宿命的に音質劣化から逃れられないと言うことに思いが至らないのです」
「なるほど、桜井君の言うことには納得させられるな。将来、学校の先生になったら、分かりやすい授業で子供の人気が出るよ」
一道は何度もうなずいている。
「それに対して真空管は、信号が通るところは字のごとく真空なのです。真空中では導体が真空なのですから流れる信号に悪影響を与えるようなもの(・・)は全くないのです」
「そうだ、何も無いんだから音が悪くなることもないな。やはり真空管の方が優れている」
一道は得意そうな顔になる。
「真空とはいったい何なのか、色々調べて一応、結論らしきものを出しました。普通に真空といえば字のごとく『真の空(から)』と言うことですが、現実には絶対的真空というものはこの世に存在しません。『真空(・・)があった(・・・)』と言えば認識できる対象として存在(・・)した訳ですから『真空』ではないのです。把握できないからこそ『真空』なのであって把握された瞬間にそれは『真空』ではなくなります。有無の概念を越えたもの(・・)といえます。そうするとこの宇宙に『真空』の概念で捉えられる存在は皆無といえます。ですから『真空』というのは人間が言葉で創造した自然界に存在しない空間のことになります。もし、あるとすれば『我思う故に我あり』の世界です」
「ウーン・・・?」
一道は腕組みをして首を曲げる。
「としますと、真空管の真空も半導体に比べれば『何も無い』といえますが、実際には様々なもの(・・)が飛び交っています。高度な真空とはいえ、窒素や酸素の分子はいくらでも残っています。もちろん電磁波・光も通過します。そのほか未知の宇宙線や素粒子なども入り乱れているでしょう。そのうえで、本来の働きである電子の移動がなされます。このことは真空にはそれらのものを通過させる媒質が存在するからこそできることを証明しています。実はこれが宇宙の、真空の本質でした」
「ホォー・・・」
一道の目がショボショボしてくる。反対に桜井の目は生き生きしいている。
「この宇宙はほとんど全て真空からできています。もしも宇宙を潰して地球のような固形物だけを取り出したとしたら、それは宇宙の真空に比べれば無限に少ない分量でしかないのです。別な言い方をすれば、真空の中に宇宙の働きの全てが備わっているということです。星々や巨大な島宇宙を生々滅々させるエネルギーと法則性を包含している真空は宇宙の根源であると言えます。真空管はその宇宙の根源のエネルギーと法則性を働かせたものです。真空管を見ると、太陽が輝き無限に放射される種々のエネルギー線、その恩恵を受ける惑星、この構図とそっくりではないですか。真空管は宇宙の本来の働きを小さく封じ込めたものにほかなりません。だから後にも先にも越えることのできないない最高の能動素子なのです」
「やれやれ、やっと結論に到着したなあ。それにしても、いい結論だ」
一道は目をこすっている。
「すみません。また、調子に乗ってしまって。でも、それくらい真空管は良いということです」
「ほんとだ。何よりもこの音を聴けば、確かに宇宙から聞こえてくるような気がする。ハッハッハッ・・・」
二人は暖かな真空管のヒーターを見ながらいつまでも話し合っていた。一道は鯆越から帰阪して忘れかけていた、少年のころの幸せな心の感覚がまた体によみがえってくるのを感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます