第26話

 いつの間にか工場長が一道から米沢に変わっていた。それだけでなく、一道を製造から外すようにしているのがあからさまに分かった。要するに神津や米沢からすれば一道は邪魔だったのだ。そうかといって、トラブルや困ったことがあると直ぐに助けを求めにきた。必要なときだけ使うという魂胆のようだった。一応、一道の肩書は技術主任になっていた。これに従って給料もきっちりと下げていた。

「金の亡者め!」

 一道は諦めがちに一人で愚痴た。桜井に、「アルバイト料はもらっているのか」と聞くとほとんどもらってないということだった。これには一道が怒りをあらわにして、

「桜井君は工場に住んで警備までしているのだからせめて守衛代を出せ」と神津にかみついた。神津はしぶしぶと桜井にもアルバイト料を出すようになった。

 ある日、工場の就業時間が終わってほとんどの社員が帰った時、一道は部屋の窓を開けて工場内を見ていた。毎日のことだったが、ラインが止まった後に一人の女子従業員が掃除をしていた。電気代節約で終業のチャイムがなると同時に照明を落とすので薄暗く、今までそれが誰なのか分からなかったし、また、気にもしていなかったが、よく見ると鉛筆削りで配線の被覆を取ってくれていた有沢和美であるのに初めて気がついた。彼女はいかにも寂しそうだった。彼は部屋から降りて彼女のそばに行った。

「残業をやらされているのか?」

「いえ、これが私の仕事になったのよ」

「被覆はがしはどうなったんだ?」

 一道が尋ねると有沢は朴訥に、彼が居なかった間の事情を話し始めた。それによると、神津と米沢が工場に入り浸りになって、高一中二の量産の準備を始めたが、配線の被覆を剥すのに有沢がやっていた鉛筆削りではとても対応できない状態になった。それで、被覆剥し機を導入したが、有沢はどうしても恐くてそれが使えなかった。仕方がないのでそれ以外の仕事に回されたが、どの仕事も他の人よりも作業が遅くなってしまい、うまくできなかった。結局、製造が終わった後の掃除が仕事になったということだった。

「最初に工場に来てくれたときも被覆剥し機を怖がって使えなかったが、どうしてそんなに怖がるのだ?」

「私はこうなったから・・・」

 有沢は箒を握っていた右手を広げて一道の目の前に出した。人差し指と中指が先端の第一関節から先がなかった。これまでそれに気がつかなかったのは彼女が上手く隠していたからだろう。

「前の会社で、シュレッダーをかけていた時、書類と一緒に指先も切ってしまったわ。それ以来、機械の近くに指をもって行くことができなくなったの」

一道は言うべき言葉が分からなくて口をモゴモゴさせている。

「・・・社長さんから、工場の掃除は専門の業者にやらせた方が安くつくので、私は今月いっぱいで辞めてくれと言われてます」

 有沢は無表情に言った。一見すると他人事のようにも思える。一道の顔がひきつった。

「いーや、辞めなくてもいい。俺が社長に掃除を続けられるように言うてやる。もともとからこの工場で働いてくれていたのだから、そのくらいしてくれても罰は当たらないだろう。今晩、社長の家に行って話をつけてきてやる」

 彼は唇を震わせながら言った。

 夜遅くなって、一道は神津の自宅に行った。家の敷地は行くたびに広くなっているように思える。隣接する土地を次々と買い足していって、今では周辺地域では最も広い庭のある家になっている。

 玄関に神津が出て来るなり、一道は怒鳴るように言った。

「有沢さんを辞めさせようとしているようだが、そんなことは俺が許さんぞ。有沢さんは高一の制作を始めたときから来てくれている人だ。勝手なことをするな」

 一道の剣幕に神津は驚いた表情になった。

「いや、クビにするとは言うていない。ほかの仕事ができないか考えてみよ、と言っただけだ」

「それが、辞め、ということだ。絶対にそんなことはさせないぞ」

一道は握りこぶしを震わせている。神津は何時もの一道に輪を掛けたような激しさに後ずさりした。

「分かったわかった。だが、どうしてそんなにお前が必死になるのだ?」

一道は一瞬、喉がつかえて言葉が出なかったが、

「俺と結婚するからじゃ」と口をガクガクさせながら言った。神津はしばらくポカンとしていた。

「なんと、そうだったのか。それだったら早く言わないか。有沢さんにはいつまでも好きなだけ働いてもらったらいいぞ」

 神津は一道の目の中をのぞくようにして今度はニヤニヤしながら言った。

「オーイ、里江、こちらに来てみろ。一道君が面白いことを言っているぞ」

 神津が結婚話を面白半分にもてあそぶような気配がしたので、一道はそそくさと家を出た。そしてその足で、有沢が一人で住んでいるアパートへ向かった。顔が緊張で引き吊り、頬と口元がピクピクと忙しく動く。足は少しずつ速くなり、競歩のようになる。アパートは工場から十分ほど歩いた同じく線路沿いに建っていた。部屋に行ってみると、有沢は遅い夕食を食べていた。相変わらず無表情な顔で不健康に色白く、動作も鈍いので、どこか能面のように見える。最初に一道の顔を見たときは細い目を見開いて少し驚いた様子だったが、

「仕事のことですか?」とすぐにいつもの顔になった。

「あぁ、そうだ。今、社長に掃除の仕事を続けられるように話しはつけたが・・・」

 一道は緊張して顔中をワナワナさせるだけで次の言葉が出てこなかった。ずいぶん間が経ってから、どうにか顔中汗だらけにして言った。

「実は、社長にお前と結婚するから仕事を続けさせてくれと言ってしまった」

 これにはさすがに有沢も目をキョトキョトさせながら驚いていたが、しばらくするとまた無表情になった。

「エェ、いいですよ」

 顔の表情からは嬉しいのか嬉しくないのか、いっこうに分からないが、何度もうなずいた。

「ああ、よかった。これでやっと俺も嫁がもらえる」

 一道は緊張が解けると同時に飛び上がりたい気分になった。

 彼はアパートを出ると、大きな頭をユサユサ揺らせながら足が地に着かない状態で工場へ帰った。桜井は一道が今までに見たことがないほど浮き足立っている様子に驚いた。

「いったい、どうしたのですか、何かあったのですか?」

 桜井は何事が起こったのかと不安にさえなりながら尋ねた。

「たいへんな事が起こった!」

 一道はこう言ってから嬉しそうな表情になり、事情を話した。桜井も聞いているうちに顔が緩んで、最後には二人で大笑いとなった。

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