第25話

 この年の四月には瀬戸大橋完成のニュースが大きく流れていた。四国と本州がいわば陸続きになった。一道の子供の頃には想像もできないことだった。宇高連絡船からの乗り換えに座席を取るために思い切り走ったことが、すでに過去のことになってしまったのだ。愛媛県の南端の魚村にも時代の変化の波が押し寄せてくるのが、少し戸惑いを伴いながらも感じられる出来事だった。

「瀬戸大橋とかいうやつを渡って帰ろうか」

 一道は低い声でつぶやいた。

 彼は〝夢〟の大橋を通って岡山に渡ったが、接続する道路がまだ整備されていないこともあって、時間的には呉~松山のフェリーを使うのとほぼ同じだった。

 大阪が近づくに連れて一道の感覚は逆転してきた。あのごみごみとした工場での汗と油の生活が現実で、一年間ほど過ごした故郷での生活は夢の出来事のように思えてくる。

・・・やっぱり俺は現実の中で生きるしかないのだ

 夕刻、大阪の無数の無秩序な建物の姿が目の前に現れてくると彼の腹は決まってきた。

 一道は工場に帰ってみて驚いた。以前の文化住宅をつないで作った工場はどこにもなくなっていた。その代わりに前の二、三倍もあるかと思えるような波形スレート葺きの屋根の工場が建っていた。中に入ってみると、神津や米沢がまだせわしく動いていた。工員の人数も何倍にもなっていて一道の知っている者は少なかった。神津が一道を見つけて寄って来た。

「オーッ、一道君じゃないか、よく帰ってきてくれた、待っていたよ。頼みたいことがいっぱいあるが、今ちょっとバタバタしているので、桜井君が学校から帰って来てから詳しいことは聴いてくれるか。彼の言うとおりにしたら不良品ばかりになった」

 神津は桜井に責任を転嫁するような言い方をした。

「三津田さん、ようこそ帰ってくれましたねえ。やはり三津田さんみたいな優秀な技術者がいないとこういう工場はやっていけないよ。助けてよ。このままだと利益がなくなってしまう」

 米沢も傍によって来て頭をペコペコ下げる。一道は二人の様子に言葉とは裏腹に、何時もの事ながらまったく誠意が伝わって来ないので不機嫌になった。

「とにかく、今は長旅で疲れただろうから、部屋でゆっくりしなさい。必ず帰ってきてくれると思って、お前の部屋はちゃんとあの中二階のところの桜井君の隣に作っておいたのだから」

 指差された方を見ると工場の隅に床から二メートルほどの高さに天井にへばりつくような格好で部屋が作られている。一道はろくに返事もせずにその部屋の下に行った。鉄の階段を上がると踊り場で左右に入り口がついていて二つの独立した部屋になっている。一方の部屋にはギターや見慣れた桜井の持ち物が置いていたので彼の部屋と分かった。もう一方の部屋を見ると、一道がいつかプレーヤーを買って聴こうと思って集めていたアナログレコードと電気関係の雑誌が隅に積まれている。それと桜井と二人で作った様々な真空管の製作物が床に雑然と置かれている。それ以外は何もなかった。どうやら他の彼の所有物は全部処分されたようだった。部屋は十畳位の広さで一応、炊事ができるように簡単な調理場がついていた。窓は屋内側にしかなく、開けると工場内が見渡せた。

 工場の就業時間も終わり、暗くなってから桜井が帰ってきた。

「桜井君、久し振りだなあ。元気そうでよかったよ。懐かしいなあ」

 一道は嬉しそうに笑った。

「やはり、三津田さん、帰ってきてくれましたねえ。ありがたいです」

 桜井はもともと童顔な顔をさらに子供のようにほころばせた。

「いったい、この工場はどうなっているんだい?」

 一道は桜井から大阪を出てからのことを詳しく聞いた。

 一道が故郷に帰るとすぐに神津と米沢が工場に入り浸りになって、高一中二を大量生産して通信販売する準備を始めた。そのために、工場の周辺の文化住宅やアパートをさらに買い取って、二百坪以上もある工場を建てた。そして本社工場にあった製造設備もこちらに移設して、本社は洒落た五階建のビルにした。拡張した工場を稼動させるため設備や人員も大急ぎで整えていった。その間、桜井は、一道に無断で工場を改造するのは絶対にいけない、と文句を言ったが聴く耳を持たなかった。ただ、一道が帰ってくると邪魔されかねないので、一道には絶対に連絡をしないように釘を刺されていた。もし一道の方から連絡が入ったら、帰ってこないように上手く言え、と言い含められていた。

 また、杉山が亡くなってからは真空管を自給できなくなったので、米沢が得意の宣伝作戦で真空管関係の業者や専門雑誌に真空管買取のキャンペーンを張った。すると、今でもこれほどたくさんの真空管があったのか、と驚くほど集まってきて、大量生産に充分に対応できる在庫になった。

 高一中二の製造ラインが完成してから、宣伝文句に〝あなたのふる里の放送局が聞こえる真空管ラジオ《望郷Ⅱ》〟として新聞広告に出した。すると高価な値段設定をしたにもかかわらず、多量の注文が入ってきた。それで次々に増産体制を調えて販売していった。始めのうちはあまりクレームや返品はなかったが、神津や米沢が利益幅を大きくする為、コストを大幅に下げるように製造の変更をした。そうして製造された品物からクレームの返品が増加して、今では対応しきれない状態になってしまった。もし、高一中二の製造販売がうまく進んでいたとしたら、神津は、気難しいことを言う一道を工場に帰ってくるように桜井に電話をさせなかったに違いない。

 夜遅くなってから神津が二人の居る部屋にやってきた。

「一道君、なんとか助けておくれ。会社の最大の危機を救ってくれ、頼む。お父さんのお葬式にも行けなくて済まなかった。少ないが、田舎に帰っていた間の手当てだから遠慮せずに取っておいてくれ」

 神津は大げさな素振りでポケットから封筒を取り出して机の上に置いた。そしてそそくさと出て行った。

「とにかく、返品された物を調べてみようか」

 二人は工場の隅に山のように積み上げられている返品の一つを部屋に持って来た。

「何もかも安作りにしてしまったな。キャビネットは薄い繋ぎ板になっているし、スピーカーボックスは裏板を穴の開いたベニヤ板にしている」

 一道は製品化された高一中二を見て、苦々しく言った。

 こういう真空管ラジオの不具合の解決ができる技術者はほとんどいなくて、神津も米沢も困り果てていた。桜井は確かに理論的には優れた頭脳を持っていて、さまざまな数値を出すことは簡単にできたが、実際製作されたものの不具合などを改善することには向いていなかった。

 クレームのほとんどは、耳障りなほど出てくるハム音と受信の不安定さだった。一道は早速木製のキャビネットからシャーシーを取り出して裏返してみた。抵抗やコンデンサーやコイルなどは、一道と桜井が一緒に作った高一中二と変わらない。ただ、大量生産ができるように手配線からプリント基板に変えている。それにしたがって部品のレイアウトも変えている。

「出ているハム音は、電源ハムと思ったので、平滑コンデンサーの容量を大きくしたり、チョークトランスの巻線を多くしたり、電圧増幅の真空管のヒーター用電源を整流して直流にしたけれど、一向に減りません。それで、誘導ハムかとも思い、信号系統の配線をシールド線にしたり、アースポイントを変えてみたりしましたが、それでもだめでした。三津田さん、何が原因なんでしょうかねぇ」

 桜井は指で指し示しながら説明した。手作りの真空管ラジオやアンプは、製作の時に注意しなければならないことが多くある。そうしないとさまざまな不具合が出てくる。長年、製作している者は、経験上からそれらの注意点を身につけており、ほとんど失敗はしない。だから、初心者はベテランが製作してうまくいったものを実体配線図にして、それにしたがって製作するのが無難なのだ。初心者が手作りでゼロから製作すると回路図通りに配線したとしてもしばしば失敗するのも製作上の暗黙の了解のようなものが分かっていない場合が多い。

 一道が改めて見直すと、気になるところが見つかった。それは出力トランスの二次側から電圧増幅管のカソードへ抵抗を通して配線しているNFB回路だった。抵抗はプリント基板上に付けられているが、位置が出力トランスに近くて、カソードまでの配線をシャーシー内を引回す状態になっている。この間に誘導ハムを拾っていると思える。インピーダンスは出力トランス側は言うまでもなく数オーム程度で低く、カソード側ははるかに高い。出力トランス側は接続端子に指で触れてもハムはでないが、カソードに触ると大きなハム音が出る。インピーダンスが高ければ高いほどハムを拾いやすくなる。一道はその抵抗を基盤から取り出して、一方を直接真空管のカソードにハンダ付けして、他方は出力トランスまで配線した。そして少し得意になって電源スイッチを入れた。桜井はスピーカーに耳を近づけて神経を集中する。真空管のヒーターが完全に灯ってもハム音は全く聞こえない。

「エーッ!・・・」

 桜井は驚きの声を挙げたまま次の言葉が出なかった。

「さすがは三津田さん、僕があれだけ苦労してもできなかったのに・・・」

 しばらくしてからしきりに感動の声を上げた。

 次に一道は受信が不安定になるという原因を探した。周波数変換や中間周波増幅回路あたりの作り方は問題なかった。ただ、電波の入り口である高周波増幅回路の二つのコイルの位置関係が、確かにシャーシーの上下には分けているが、干渉しやすい状態になっている。彼は薄いアルミ板を金切バサミで細長い長方形に切って、それをシャーシー内のコイルを囲むように取り付けた。そして電源を入れてみると受信の不安定な問題も全くなくなった。

「さすがは三津田さん!」

 桜井は同じ言葉を出して今度は尊敬のまなざしになっていた。

 翌日から製造ラインを修正して不具合が出ないようにした。

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