第19話

 実家に着いた時は昼を過ぎていた。家の中に入ってみると親戚だけがいて、父親は途中で通り過ぎた城辺町にある愛媛県立病院に入院しているということだった。一道はすぐに引き返して病院に行った。

 亀三は集中治療室に入っていた。妹夫婦や弟夫婦も来て、父親を囲むようにして神妙な顔をしている。意識が無くなったり戻ったりしている状態で、徐々に戻らない時間が長くなってきていた。

 亀三は意識が戻った時に一道が帰って来ていることが分かって非常に喜んだ。亀三は一道の顔を見て手を握り、言葉ははっきりしないが、子供に返ったように盛んにしゃべった。一見すると親と子が入れ替わったような雰囲気になった。しかし、しばらくすると少しずつ言葉の発音がのびのびになり、手を握っていた力も無くなって、意識を失っていった。しばらくするとまた、意識が戻り盛んにしゃべった。まるで、この世にまだ言い残しておくことがたくさんあるかのごときであった。

 医者の話によると、昨夜、急性心筋梗塞の発作を起して、心臓の筋肉に血液を送る太い血管がほぼ全部詰まってしまい、筋肉が壊死してきているということだった。治療方法としてカテーテル手術やバイパス手術があるが、この病院では出来ず、手術可能な病院まではずいぶん距離がある上に、亀三の状態では手術にも耐えられないだろうということだった。それで、対処療法的な治療をして命を延ばしている状態だった。

亀三はまた意識が戻った時に一道の顔を見ると、

「お前にはいちばん苦労をかけたなあ。秀一や弘子のために高校にも行かせてやれなかった。たいした事もしてやれずじまいになった。すまなかった。感謝している」と言って涙を流した。

 一道が病院に着いてから、二時間ほどしてから亀三は息を引き取った。亀三が最後に言った言葉は、

「母ちゃんを頼むぞ。母ちゃんは頭が弱いから、老後の面倒をしっかり見てやってくれ」ということだった。「頭が弱い」というのは、賢くないと言う意味ではなくて、精神的に疾患があるということだった。一道が、

「わかっている。俺がお袋の面倒は一生涯見るから心配するな」と言うと安心した顔つきになった。それから父親は一度、一道の手を強く握ってから、全身を揺さぶるようにして亡くなった。

 通夜、告別式と忙しく段取りをした。簡素ではあったがそれらを人並に行うことが出来た。妹夫婦は岡山へ弟夫婦は大分へそれぞれ、葬式が終わるとさっさと帰って行ってしまった。

 一道は残って、葬儀の後のさまざまな煩雑な手続きなどを母親と共に行なっているうちに日は過ぎていった。早く工場に帰らなければならないとも思ったがもう一方で、せっかく故郷に帰ってきたのだから、もっとゆっくりしていたい気持ちもあった。そして、母親も急に独りになると寂しくなって心の状態に悪いだろうという気もした。

 とりあえず一道は工場の状況を聞こうと思い電話をした。すると桜井が電話口に出た。色々と聞いてみると段取りから製品の完成まで不具合もなく今まで通り稼働しているということだった。

「一ヶ月でも二ヶ月でも好きなだけゆっくりしてください。変な言い方ですが、順調に製造ラインは動き、一道さんや僕などは必要ない状態です」と桜井は一道を安心させてくれた。ただ最後に、

「社長や米沢さんが毎日やってきて、何かバタバタと準備をしています。それにまた、工場の周辺の数軒の文化住宅も購入したみたいです。さらに工場を広げるようです。それでも僕には、何をしようとしているのかは全く知らせてくれません」と不満を言った。この言葉は少し気掛かりになったが、しばらく母親のそばにいてやる決心がついた。

 一道がすぐに帰らなくてもよいという事を知ると、民代はたいへん喜んだ。やはり、四十年以上も連れ添ってきた夫婦だから急に一人だけの生活になるのが非常に不安だったようだ。

「心配することはない。寂しくなったらいつでも大阪の俺の所に来ればいい。工場の二階だから部屋はいくらでもある」

「ありがたいのう。できるだけおまえには迷惑をかけないようにしようと思う。これまでさんざんお前には世話になっているからなあ。じゃが、どうしても我慢ができないようになったら、頼むかもしれない・・・」

 民代の目から涙がポロポロとこぼれた。民代は最近、感情の起伏が激しくなってきていた。

 翌日から一道は、慌てて大阪に帰る必要がないと分かったので気分がずいぶん落ち着けた。

「裏の倉庫はどうしてる?」

「あの時のままじゃ。お前が大阪へ就職して、その後、秀一が高校に行くため下宿先へ出て行った後はそのまま、掃除もせずにほったらかしている」

「オーッ!それはありがたい」

 一道は大声を出して喜んだ。これまで、たまに帰ってきた時でも仕事のことを考えるとゆっくりできず、倉庫の中にまで入った記憶はない。

一道は期待に胸を膨らませて裏の畑の隅に建っている倉庫に行ってみた。この倉庫は家が狭かったので、一道と弟の秀一が子供部屋として使っていたのだった。兄弟は自分たちの倉庫をお互いに研究所と呼んでいた。そして入り口のところに「イルカ越え研究所」と下手な字で書いた板切れを打ちつけていた。

 その時からすでに二十数年経っている。さすがに名前を書いた板切れはなかったが、倉庫の入り口は当時と同じだった。彼は建て付けの悪い入り口の引き戸を開けた。中にはよどんだ空気のにおいがする。そして一歩入ったとたんに、彼はぼう然とした。中学を卒業したときの状態と全く変わっていない。同じものが目の前にある。古い真空管ラジオの部品が雑然と山のように積まれている。当時、もちろんラジオや部品を買う金はなかったから、全部、拾い集めたり、潰れた物をもらったりして集めたものだ。彼が新聞配達をして稼いだ金で買ったのは、半田ごてとハンドドリルくらいだった。そのハンドドリルと半田ごてが錆びにまみれて机の上にある。さらに、取り外した電源トランスや抵抗やコンデンサーやコイルが雑然と机や棚の上に置かれたままになってる。

 彼の心の中で、時が急速に遡っていった。

 この倉庫の中で過ごした時期は、彼のこれまでの生活の中で最も幸せな時期だった。確かに、家は貧しくて普通の子供が買ってもらうようなおもちゃを手に入れることはできなかった。しかし、小学六年のころから真空管に非常に興味を持ち始めて、真空管を触っていることが何よりの楽しみになった。この頃から彼は外に捨ててあるラジオを拾っては倉庫に持ち帰った。そして分解しり、取り出した部品を組み合わせて何か新しいものを作ったりした。それは彼にとっては至宝の時間だった。

 中学になると新聞配達のアルバイトをして、もらった金の大部分は母親に渡して、手元に残ったわずかの金でラジオ関係の雑誌を買った。当時の子供たちがマンガが好きで、毎月の漫画雑誌の発売が待ち遠しくて堪らなかった以上に彼は月々の電気関係の雑誌を買うのが楽しみでしかたがなかった。そしてその記事を見ながら、真空管を使ってさまざまな工作をした。金を出して買う部品は最小限にして、ほとんど拾ってきたもので完成させた。

 一道はこの頃から何かを作り始めると没頭するようになった。完成するまでは時間の経つのも忘れてしまった。夜も食事もせずに深夜まで工作していたので、よく母親が裏の倉庫までやってきて、無理やり電気を消して寝かせることもあった。それにつられて弟の秀一も電気関係の事が好きになり結局、工業高校に進学して電気関係の仕事に就いていた。

 一道にとってこの時期は、何の不満も不安もなかった。いつでもラジオ部品などを見ると期待に胸が高まった。何よりも真空管に触ると心が満たされてこの上ない幸福感が沸き上がってきた。

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