第17話

 日曜の朝、一道は会社の車の助手席に桜井を乗せて松次郎の家へ向かっていた。頼んでいた高一中二のキャビネットとスピーカーボックスを貰いに行くためとアンテナの支柱にできるような長い竹を探すためだった。

 中国自動車道を出てから松次郎の家までは〝自然の懐〟という表現がよく合うような里山の豊かさに包まれた道だ。一道は松次郎の家に行くたびに季節を感じた。もちろん工場でも夏の暑さ、冬の寒さは感じるのは当然だが、心を動かされるような季節感とはつながらない。松次郎の家のあたりには、いつ行っても季節に溢れていた。行く度に新しい場所に来たような新鮮な感動を覚える。

途中、県道から逸れて古い道に入ると背の高い杉林の中を通る。枝が空をおおい薄暗くなる。周囲の音も遮断されたような静かさになる。その上、道に杉の枯れ枝がたくさん落ちて敷きつめているので、タイヤの音も消えてただ車のエンジンの音だけが聞こえるように感じる。

「不思議なトンネルみたいですねぇ」

 桜井が面白そうに言った。杉林を抜けて行くと、雑木林があり、里の方へと続いてゆく。所々に渋ガキだろうか葉の落ちた木に真っ赤に熟した実が今にも落ちそうにたれ下がっている。周辺の木々は黄色くなり、茶色くなって、葉を散らしている。あまりモミジのように赤くなっている木は見えない。

「晩秋というやつか・・・」

 一道が山肌に目をやりながらつぶやいた。〝晩秋〟という言葉も彼の風貌からするとアンバランスな雰囲気だった。

 少し車を走らせると松次郎の工場の前を通った。棟が以前より増えている。おそらく《新望郷》の生産が伸び続けるので、次々に規模を拡大しないと間に合わないのだろう。工場を通り越すとすぐに松次郎の家だ。

「ジジイ、ババア、居るかい?いま着いたぜ」

 いつもの調子で桜井が玄関を開けると同時に言った。

「マーちゃん、よく来たね。けっこう早く着いたね」

 今回は到着するおよその時間を連絡しておいた。

「ジジイも居てる?」

「裏庭で炭焼きの火加減を見ているよ」

「今の時代に、まだ炭焼きをやっているの?」

「そうだよ。間伐材がたくさん出てきて捨てるのはもったいないから、木炭にして保存をしておくんだよ」

 マサ子は孫がいかにもかわいいというようにニコニコ笑いながら裏庭の方を指さす。一道と桜井が土間を通り越して裏庭の方に出ると薄いもやのように漂う煙と酸っぱいにおいに取り囲まれる。その煙とにおいは裏庭のいちばん奥の山の斜面に近いところから出ていた。そこには赤土で庭の端から山の斜面を登るようにかまが作られていた。一見、焼き物の登り窯を小さくしたように見える。その一番高いところに煙突がつけられていてそこからにおいの元の白い煙がゆっくりと立ち上っている。下の炊き口のところで松次郎が薪を入れていた。

「ジジイ、キャビネットを取に来たよ。それと竹はあるかな?」

 桜井が離れた所から大きな声を出した。

「オォー、マーちゃん、よく来たな」

 松次郎はかがめていた腰を伸ばして振り返って目を細めた。それから炊き口を適当な隙間を残してレンガでふさいでから二人の前に歩いてきた。

「竹は何に使うんだ?」

「工場の屋根の上にアンテナを立てようと思う。そのポールとして使おうと思うけど、いいのがあるかな」

「それだったら、いくらでもいいのがあるぞ。以前に、なにか使い道があるかと思って何年間か寝かしている長い竹がある。あとで取りに行ってやるからまずは、腹が減っているだろうから昼メシを食えよ。一道さんもよく来てくれたな。おいしいものは何もないが食べてくれ」

 松次郎は頑丈な肩を揺らして家の中へ入った。

 おいしいものは何もないと言っていたが、昼食をごちそうになると一道も桜井も何とおいしい食事なんだろう、と思う。ほとんどが山と畑でとれたものだが、味付けといい、食感といい、申し分ない。特に一道や桜井にとっては日ごろとかくインスタント食品を食べることが多いだけにこういう食事は何よりのごちそうになる。二人にとっては久しぶりの心温まる食事になった。

 食後、松次郎は高一中二用のキャビネットとスピーカーボックスを持って来た。

「もう少し木を寝かせていた方がいいに決まっているが、なにせ米沢さんが急がすものだから古いものは無くなってしまったので、この程度の状態で勘弁してもらわないといけない」

 松次郎は申し訳なさそうに言ったが、目の前に置かれたキャビネットは自信に満ちた堂々としたものだった。また、スピーカーボックスは依頼していた通りの密閉型で、裏板も他の部分と同じ材質と仕上げで、表から見えないからといって雑になってはいない。すべての木材は一枚板で作られている。高級家具と同じだった。

「いつもいつもすごく良いものを作ってもらって、有難うございます。ほんとうに感謝しています。すばらしいです」

 一道が感動の声を出した。

「そんなに喜んでくれたら作りがいがあるというものじゃ。それじゃ、竹を見に行くか」

 松次郎は白毛が多くなった眉毛を下げて満足そうだ。

竹やぶは炭窯のある所から十分ほど裏山を登った所にあった。

「できるだけ細くて長くて丈夫なものがいい」

「そうか、それだったらやはり小屋で寝かせているのがいいだろう」

 松次郎は竹林の奥の方へと案内してくれた。しばらく行くと、周囲の竹が切られて空き地のようになったところに小屋が建てられている所に出た。風もなく鳥の声もせず、周辺の音が無数の竹の防音効果で遮られて不思議に静寂な空間になっている。

 小屋にはたくさんの竹を乾燥させていた。その中には確かにアンテナの支柱にするのに適するようなものが多くある。

「これがいいですねえ、一道さん。細くて長いから」

 桜井が一本の竹を取り上げ、空に向けてヒューヒューと振りながら言った。

「立派な竹だ。しかもよく乾燥している。これが貰えるのなら言うことはないが・・・」

「何本でも持って帰ればいい。使い道があって置いているわけではないから。もう何年も寝かしているからひび割れることもないし、弾力も十分にある。なかなかいい竹だぞ」

 一道と桜井は竹を二本もらって竹やぶを出た。車のところまで行き、そのままでは長過ぎてとても車には積めないので三等分に切った。車の屋根にキャリーがついているので、竹をそこに乗せてしっかりと結び付けた。

帰るときには、いつものことだったが、マサ子がたくさんの地元産のおみやげを車に乗せてくれた。

 帰りがけには杉山の家にもあいさつに寄った。米沢の手配で、量産するために自宅の近くに工場を建てていたが、松次郎の工場と同じように順次、規模が大きくなっていた。日曜で工場は休みと思い、一人住まいの自宅に行ってみる。鍵などは掛かっていない。中に入って大声で呼んでみるが出てこない。玄関やそこから見える居間の様子は、真空管の製作を最初に依頼に来た時と変わりない。

「米沢の奴、杉山さんをこき使っておきながら、充分な給料を出していないに違いない。家を新築してあげてもいいくらいの仕事をしているのに」

 一道は苦々しい顔になった。

 誰も居ないと思った工場の方に行ってみると杉山が一人で作業をしていた。一道も桜井もその姿を見て驚いた。前に会った時よりも一回りも二回りも小さくなったようだ。

「杉山さん、体は大丈夫ですか?無理をしないでくださいよ」

 二人が心配そうに言うと、あまり笑わない杉山が振り返って、懐かしそうに笑った。

「あぁ、大丈夫だよ。メシがあまり食えなくて体は重いが、指先だけ動かせばよいから楽じゃ。どういう訳か、プレート、グリッド、ヒーター、カソードの組み立てだけは、ワシしかできない。他の者にいくら教えてやらせてもほとんど不良品になってしまう。だからワシ一人でやっているのだが、なにせ注文が多いから休みの日にもやっておかないと間に合わないのじゃ」

 杉山はまるで手先を自動で動くロボットのように正確に働かせながら口ごもった声を出した。

「くれぐれも無理をしないようにお願いしますよ」

 一道と桜井は杉山の肩をしばらく揉んでから工事を出た。

晩秋の午後はすぐに夕暮れの気配になる。車を走らせているうちに薄暗くなってきた。

「山の夕暮れか・・・いいなぁ」

 一道が何かに憧れるような声を出した。

 工場に帰った時には、途中で行楽帰りの渋滞に巻き込まれたこともあって、午後七時を過ぎていた。二人とも夕食もとらずにすぐにシャーシーをキャビネットに収め、スピーカーをボックスに取り付ける。何時まで見ても飽きない存在感のある、また、どこか安堵感を覚えさせる外観に二人はこの上なく嬉しそうな顔になる。それから直ぐにアンテナを立て始めた。

 アンテナ線は工場の敷地の対角線上に張れば、もっとも長く延ばすことができる。それで竹を工場の上の二階のベランダの手すりに結び付けることにする。最も離れた二箇所に取り付ければ約三十メートル弱のアンテナが張れることになる。桜井はAMの波長からアンテナの長さを計算していた。

「およそ、そんなものでいいと思います」

「よし、それじゃ張ろう」

 両方の竹の先に釣り用の丈夫なロープで玉碍子を取り付ける。それにカミツ工業の資材置き場から取ってきた直径一・五ミリほどの銅線を巻き付けて、解けないように半田付けをする。さらに引き込み線用の銅線も巻きつけて半田付けをする。そして三つに切って運んだ竹を適当な直径の塩化ビニール管に差し込んでつないで接着剤で固めた。

 両方の竹をしっかりと固定するとアンテナは完成した。時間はすでに深夜になっていた。

 二人ともワクワクしながらそのアンテナ線を高一中二に接続する。今までのアンテナはベランダに適当な長さの細い鋼鉄の棒を立てていただけだったから、これで受信レベルは大きく上がった。バリコンを回すと次から次へと明瞭に放送が飛び込んできた。

「これは素晴らしいですね」

「ほんとだ。アンテナの威力というのは思った以上だ」

 周波数表をもとに全国の放送局をチェックしてゆく。北海道や九州の放送局も確認することができた。二人は満足の表情でカップラーメンを食べた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る