第15話

 二階で一道と桜井が住むようになると、二人は暇さえあれば真空管を触っていた。それは二人にとって何よりも楽しい時間だった。二人で生活するには部屋数はあまりあるほど広い。電気関係のさまざまな作業をしたり、部品や道具や材料を数多く置けたので、ずいぶんと便利になった。

「高一中二を作ろうか」

 一道が憧れるような目をして言った。こんな目つきほど一道に相応しくないものは無い。いや、目つきだけではない。彼の体全体が醸し出す雰囲気は〝夢みる〟というイメージとは縁遠いもので、現実社会の夢も希望もない仕事を、ただ生きるために黙々とやっていくという雰囲気なのだ。そのアンバランスが実にこっけいだったが、桜井はそんなことにはまったく無頓着な学生で、一向に一道の表情など気にしている様子はない。

「高周波で一段増幅して、中間周波で二段の増幅をするものですね」

「中学の時どうしても欲しかったが、結局、部品数も多いし、金もなかったのであきらめていた奴だ」

「そうすると感度はかなり良くなりますね」

「うん、通信機などにも採用されているから、かなり遠くの放送局の電波も聞こえるのではないかと思う」

「どこの放送局まで聞こえるのか楽しみですね。ぜひ作りましょう」

話が決まると、二人の行動は早い。すぐに回路図から検討を始めた。

「杉山真空管を使ってもいいですが、局部発振と周波数混合を三極管一本でやらせるのは不安定要素になりますので別々の球にさせるとしても、調整などいろいろな面で少々心配があります。とりあえず従来の球を使っておいて、うまくいけば、杉山真空管に変更していくというのが作りやすいと思いますけど」

「そうしよう。桜井君の言うことは正しい。それじゃあ、どんな真空管になるだろうか?」

「6D6高周波増幅、6WC5発振混合、6D6第一中間周波増幅、6D6第二中間周波増幅、6ZDH3A検波・低周波電圧増幅、6ZP1低周波電力増幅、80K全波整流、というところですかねえ」

 桜井は資料も見ずにスラスラと真空管の名前が出てくる。

「ああ、いいなあ。中学の時、どれほど憧れたことか。それにしても桜井君はよく、古い真空管の名前をそんなに覚えたなあ」

 一道は感心した様子で桜井を見た。

「ええ、前にも言ったような気がしますが、楽しく得た知識はおそらく一生涯、忘れません」

「それにしても、よく頭に入っているなあ・・・ところで、今度の高一中二もいい音で聴きたいな。やはり6ZP1は三極管接続にして、これも中学の時、好きだったNFBを掛けられないだろうか」

 一道の目がさらに夢見る目になりかける。

「三極管接続にして6ZDH3AのカソードにNFBを掛けますと無帰還の時よりも無歪の出力は少しは上がると思いますが、全体的に利得は下がりますから充分な音量とまではいかないかも知れません」

「なんとかならないかなあ」

 夢見る目が曇る。

「それじゃ、6ZDH3Aと6ZP1をそれぞれもう一本ふやして、パラ接続にしましょう。そうすれば余裕の音量になります。それに、整流管の80Kも二本にしましょう。80Kは百ミリアンペア以上いけますが、念のため増やしておきましょう」

「それじゃ、今度の抵抗式のアッテネーターは二十段階にして細かい音量調節ができるようにしておこう」

 一道の目がまた元気になった。

 ブロックの構成が決まると回路図を描きはじめた。桜井が手書きで手際よく描いてゆく。早々と回路は書き上がりそうだったが、あまり簡単にできたのでは面白くないので、途中でコイルの大きさなど、ああだこうだと言いながらわざと時間をかけて回路図を書いた。回路はごく一般的な単純な回路にした。シンプルな回路がトラブルも少ないし、調整も簡単で、結果的に良い性能が得られる。

 今製造している高一と違うところはスーパーへテロダインという方式が新たに加わることで他の機能は同じようなものだ。回路図の仕上げに桜井は電卓を叩きながら、抵抗やコンデンサーやコイルの巻き数などを書き込んでいった。まるでゲーム感覚のように面白そうに計算していく。

「真空管というのは、ほんとうに懐の深い人間のようですね。数値などをかなり変動させても充分な働きをします。包容力がダントツにあります。半導体は神経質で少し設定値が狂うと損傷してしまいます。真空管がいいですね」

 桜井は完成した回路図を満足そうに見ていた。

 二人は次にシャーシーの設計と部品配置を考えた。これまでのように前面から真空管のともし火が見えるようにする。中央にバリコンを置き、左右に6ZP1を置く。さらに、その左側に80Kを二つ並べ、右側に6ZDH3Aを二つ並べた。6D6と6WC5は電波の干渉を防ぐ為に、アルミのシールドケースを作って後ろに置くことにする。

 回路図や部品配置が決まれば次は部品の製作だ。一道は通常の仕事を終えてから、桜井は一道の時間に合わせてからの製作になった。もちろん一道は四六時中工場に張り付いていなければならないということはなかったので、昼間から部品を作ろうと思えばできたが、就業時間中に本社工場の工作機械を使うのを神津が嫌がったので、従業員が全員帰った後でしか部品づくりはできなかった。神津は金に直接つながることには全面的に協力するのだが、どうなるか分らない事については不機嫌さを露にした。

 実際には一道と桜井が確実に会えるのもその時間帯だったので、よかったともいえる。二人は毎晩、本社工場へ通った。

新しく作らなければならない部品がかなりあった。まず電源トランスから作り始めた。

「《新望郷》の電源トランスはずいぶん容量に余裕があるように設計していますから、高一中二用には、鉄芯部分はそのままで、少し太い銅線を巻いてやれば十分です」

 電卓を叩きながら桜井が言った。彼が持っている電卓は技術者用の物で、かなり複雑な計算もできたので、それ一台でほとんどすべての計算に間に合った。

「それでも十分に余裕持った大型のトランスにした方が発熱も少ないし安心できるだろう。新しく作ろうか」

いつも一道は余裕のあるもの、長期間安定して使えるものを作るのが好きだ。それが一道の性格でもあった。

「そうですね、何年も電源を入れっぱなしにしていても大丈夫なものを作りますか」

 桜井も面白そうにうなずく。そうして、直ぐに電卓で計算しながらを紙の上に鉄心の図面を書いた。《新望郷》よりかなり大型になる。

「これを八十枚ほど重ねれば、十分な余裕のある電源になります」

こう言っているうちにも、桜井は巻芯に巻く一次、二次の銅線の太さと、巻き数を計算していた。一道は早速、プレス機に桜井が描いた通りのセッティングをしてから電磁鋼板を置き、ガンガンと大きな音をさせながら打ち抜いていった。それができあがると分厚い鉄板で、トランスのカバーをまた大きな音をさせて形成した。

 やがて社長の神津が怒った顔をして工場に入ってきた。

「こんな夜遅く、何を大きな音をさせているんだ。近所から音がうるさいと苦情の電話がかかってきたじゃないか」

「少しくらい音がしたって、文句を言うことはなかろう」

 一道が不満そうに言った。

「周囲は静かになっているのだからガチャンガチャンやれば遠くまで聞こえるよ。すぐにやめてくれないか」

「わかりましたよ。ちょうど終わったところだ」

 一道は必要以上に音をさせながら打ち抜いた鋼板を集めてそろえた。

「また、何を作っているのだ」

 神津が覗き込むようにする。その目は、金儲けのネタを素早く見つけるようなまなざしだ。

「社長には、関係ない」

 一道が無愛想に言う。

「いいものができたら早めに私に見せるんだぞ」

 捨てぜりふのように神津が言ってから工場を出て行った。

「これは絶対に売れるような物ではない」

 一道は神津の背中に声をぶつけるように言った。

「後の作業は音が出ないからちょうどよかった」

 一道は次に巻芯の筒を作り始める。《望郷》用のプラスチック成型機の設定を少し変えれば簡単にできた。それを巻き線機にセットして、桜井が計算した通りの巻き数をそれぞれの太さの種類に応じて巻き上げる。こういう作業には一道は熟練していてトラブルもなく出来上がった。とりあえず、百のボルトの通電をして各二次巻き線の電圧を測ってみると設計通りの電圧が出る。その後、鉄心を固定させるワニスを塗った。

 楽しいことは時間が経つのが早い。気がついてみると深夜を過ぎていた。二人は完成した電源トランスをワニスが他のものに付かないように気をつけながら自宅の工場の二階へ持って帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る