第14話
《新望郷》はよく売れた。暖かい音質に好感が持たれたのと周波数を印刷した透明ガラスの文字盤を通して、杉山製作の真空管が今までのものよりフィラメントの輝きがよく見えるという外観の良さもあった。売れれば売れるほど評判が高くなり、さらに売り上げが伸びるという状態になった。そのうえ、米沢が全国紙の新聞に通信販売の広告を出したものだから注文が数倍になった。時にはマスコミにも話題の商品として取り上げられたりもし始めた。
これまでの一道の組立作業場の規模では、製造が追いつかなくなる。彼は《新望郷》を大量生産などしたくはなかったが、神津と米沢はここぞとばかり作業場を広げる段取りを始めた。まず、三軒続きにした作業場のさらに両隣の家二軒を買い取った。さらにそれぞれの裏のくっ付くようにして建てられていた家も続けて買い取った。いずれも木造の二階建だった。これで敷地の広さが一挙に百坪を越えるまでになった。
「とにかく製造は止めないで、作業場所と人数を増やして、今の五、六倍の製造ができるようにしてよ。いちばん売れている時に売れるだけ売って、一段落したらこの土地にりっぱな工場をつくるから」
神津が今までに見せたこともないほど鼻息荒く、痩せ気味の体を力ませて言った。ずいぶん儲けていることは間違いない。
工場の工事は購入した全部の家の一階の壁を撤去し、柱だけは残して不要な建具類も取り払って床を一続きのものにした。家と家との間の隙間には簡単な屋根を作って雨水が漏れないようにする。この工事は神津の命令で《新望郷》の組立作業を今まで通りやりながら進めたので、従業員は埃は被るは、音はうるさいはでひどい目に合った。そして一ヵ月ほどで完成した。柱ばかりが目立ち、天井が低く感じられる妙な薄暗い空間ができた。だが確かに広い。二階部分はもともと一道が生活している一棟を除いては部品置き場にしていたが、増えた部屋は特に使う予定もない。
「桜井君、こちらに引っ越して来いよ。家賃も要らないし、アパートよりはるかに広いだろう」
一道が桜井に勧めると喜んで引っ越して来た。それを知った神津の妻の里江が苦情を言い出した。
「一道君の家じゃないんだから、かってに住まわせたら困るわ。一応、貸すんだから、家賃をもらわないと・・・」
里江が面長の顔を意地悪そうに歪めて言った。神津夫婦は共に痩せ型で顔の作りも細い。
「こんなボロ家に住むのに金を出さなければいけないのなら、俺も引っ越す。まして桜井君がいなければ《望郷》の製作はできなかったのを知らないのか。部屋代を取るよりアルバイト料を出せよ。そうしなかったら俺と桜井君は《望郷》から手を引くぞ」
里江の二倍もあろうかと思える頭を振りながら一道が言い返す。
「また、そんな極端なことを言って・・・」
里江は黙ってしまった。
作業場は広くなったが、作業員はそんなに簡単に段取りがつかない。簡単な組み立て作業とはいえ、慣れなければ生産のスピードも上がらないし、ミスも多く出る。できるだけ早めに増産を軌道に乗せようと思えば、新しく雇った作業員が作業内容を早く身につけらるように教えることがポイントになる。そのためには、今いる教える側の従業員と新規の採用者との間に人間関係があった方が、スムーズにいくことは間違いない。一道は新しい従業員の採用をチラシなどでは募集せずに、今いる従業員の人間関係から集めるようにした。
「そんなことをしておったのでは、時間がかかってしかたがないのに」
神津はぶつぶつと文句を言いながらも一道のやり方に従った。
いい従業員が少しずつ増えていった。それに比例して生産量も増えた。キャビネットを製造する松次郎も真空管を作る杉山も増産が徐々に進んだので対応がスムーズにでき、良品を供給できた。
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