第10話

 米沢は高一ラジオを本格的に販売するためにチラシを作った。

「あたたかい音・あたたかい光・あたたかい木」というキャッチフレーズを用紙の上段に大き目の文字で書く。次に品名を「真空管ラジオ《望郷》」と毛筆体で太く書く。中ほどに一道の組み立てたラジオの大写しの写真を入れる。その下には「懐かしい真空管のともしびを見ながら、ふるさとで聴いたラジオ放送の音に耳を傾ければ、こころはこの上なく癒されます」と宣伝文句を入れる。全体の背景に薄く里山の写真を写し込む。いちばん下に、製造・カミツ工業株式会社、販売・米沢商会と入れる。定価は半導体のラジオの五倍位に設定した。

 《望郷》を本格的に売り出すとチラシを配布しなくてもよく売れた。ショップの店頭に並べただけですぐに売れた。一道はその販売数を製作するのが精一杯だったのに、米沢が新大阪駅周辺地域の新聞折込にチラシを入れたものだから注文が多量に入ってきた。とても一道一人では対応できなくなった。

 神津と米沢が製造が間に合わないのにイライラして一道のところへやって来た。

「人手をいくら使ってもよいし、設備投資もしてもよいから、とにかく注文の数を作ってくださいよ。こんなマージンのいいヒット商品に短い人生で何度も出会えるものじゃないですよ。会社にとって今が最大のチャンスです」

 米沢が拳を振り回しながら力説する。

「そのために、この借家と両隣の二軒も高い金を出して買い取ったよ。壁をぶち抜いて床を繋げれば三倍の広さにできる。そして、ここを『カミツ工業組立工場』にして、あちらの部品を作っている方を『カミツ工業本社工場』として本格的に大量生産をやっていくぞ。だから一道君、しっかり頼むよ」

神津は小作りな顔をめずらしく脂ぎらせている。

 二人は意気込むが、組み立てにしても半田付けにしても未経験者がすぐにできるものではない。こういう品物は不慣れな者に作らせると高い確率で不良品が出る。一時的には可動しても長年、使用すると必ずといってよいほど不具合が生じる。一道が作る楽しみを味わうのは二十年以上使ってもびくともしないような品物だった。

「こんな丈夫な物を誰が作ったのだろう」

 大げさに言えば、後世の人がこのように感心してくれることを想像するのが彼の何よりの喜びだった。だから、一つのボルトやナットの締め付けや一本の抵抗の半田付けにしても十分な年数に耐えられるように作業していた。すべての過程でほぼ完璧に仕上げているつもりだった。それを、とにかく数をこなせと言われても一道の気持ちとして、いい加減な仕事はできなかった。かといって、神津や米沢の要求を無視することもできなかった。

「桜井君に頼むしかないか・・・」

 これまでも様々に手助けしてくれている桜井は電気関係の、理論的にはもちろん、実際の作業にも非常に優れてきていた。さらに今ではどこから手に入れてくるのか様々な中古の測定器や雑誌を狭いアパートの部屋いっぱいに持ち込んでいた。そして《望郷》の最終調整は一道の勘頼みでは時間がかかるので、桜井にテスト・オッシレーターを使ってやってもらっていた。

「大学も暇ですし、いくらでも手伝いますよ」

 一道が生産増の応援を頼むと桜井は機嫌よく引き受けてくれた。彼は頭脳明晰な学生で、大学の講義などは余裕でこなしている。実際、何時も飄々として暇そうだが、単位は優秀な評価で修得している。

「一部を流れ作業にせざるを得ないですねぇ」

 桜井は作業の分割とその仕事量を細かく計算し始めた。ボルトとナット一対を締め付ける作業でも、ワッシャーを何個挟むかで仕事量に差を出す。さらに同じ仕事量でも、作業者の得意不得意によって掛かる時間に差があると考えられるものにはそれも勘案して分割していった。

「ガラス加工は業者にやらせるとして、僕たち以外にあと七人の作業員がいるとうまく分業できると思います」

「それじゃあ、社長に言って人を集めてもらおう。ついでに、壁を取払って作業場も広げてもらう」

 仕事の状況を神津に説明してから作業員の増加と作業場の増築を頼むと、めずらしく機嫌よく引き受けてくれた。人数を増やせばそれだけ人件費が増加するので不機嫌になると思ったのだが、よほど儲けが良いに違いなかった。

 返事は良かったのだが、すぐに新聞の求人欄に募集を掲載してもなかなか人が集まらなかった。それもそのはずで、時給が世間並みより安かった。カミツ工業よりもっと高い時給で手の汚れない仕事がいくらでも載っていた。それでも三、四回掲載してどうにか七名、近所の人が来てくれた。七人とも女性だったが、六人は主婦で一人が未婚者だった。両隣の住人も引越して壁を取り払ったので作業場も広がった。

 桜井は計算に基づいた分業設計を現場に当てはめていった。

まず三名で分担してシャーシーへの部品の取り付けをする。次の一名で配線コードを使用場所にしたがって半田づけしやすいような適当な長さに切断して、両端の被覆を剥がす。残りの三名で抵抗、コンデンサー、配線などを半田付けしてゆく。桜井と一道でキャビネットへシャーシーとスピーカーを固定して調整をする。桜井によるとこれで各個人の製作時間は均一化され、最も効率よく作業がはかどるはずだと言った。ただ、半田付けの三人が熟練することが条件になるので、それまではしっかりと教えなければならなかった。

 実際に製造を始めてみると種々雑多な問題がいろいろと出てきた。桜井はそれらをたのしく遊んでいるように見事に解決してゆく。神津がしぶしぶながらも工具類にも資金を出してくれるので、桜井はどこからともなく作業に適した便利な物を購入してくる。部品取り付けのボルトやナットを締めるための非常に小型のトルク調節つきの電動ドライバーを始め、配線用のコードの切断機や被覆除去機など、一道も、よく捜したものだと感心するようなものもある。基本的に体力の弱い工員でも長時間、作業が楽にできるように考えていた。

 工員が作業に慣れるにつれて、スムーズに流れるようになった。ただ、どうしても作業が滞ってしまうのは、一人で担当している、配線の切断と被覆はがしの工程だった。桜井の仕事量の計算が間違っていたのではなく、むしろ他のところより仕事量は少なかったのだが、この作業につけた有沢和美という娘の動作が随分にぶかった。彼女はパートに来てくれた中で唯一の独身者だった。切断機も被覆除去機も電動で一度に七、八本の処理が可能なのだが、有沢は除去機にコードを入れるのを怖がって一本づつ、ゆっくりとしか被覆を剥がせなかった。

「奥のブラシに爪が削られそうで怖い。回っているのが見えなければいくらでもできるけど」

 有沢は年よりも老けて見える顔を少し歪めて言った。感情が顔の表情にはあまり出ないタイプだが、他の者に迷惑をかけることをたいへん気にしているようだった。確かに、除去機は複数のブラシを回転させて被覆を削り取る構造になっていて上下にはカバーがあるが、挿入口からは音を立てて回るのがわずかに見える。普通の者であれば、恐怖心を起すようなものではなかった。有沢の配置換えをすればよさそうなものだったが、彼女の作業の様子を見ていると、他のことをやらせるともっと流れが中断してしまいそうだった。

「・・・それでは一本ずつになるけどアレでやってみますか」

 困っている有沢を見て、どこからか桜井が持ってきたのは電動鉛筆削りだった。芯の太さを調節してコードを入れると単線だったこともあってうまく被覆が削れた。さらに挿入口に配線の太さに合うような円筒の枠を噛ますとスムーズにできた。なにより、指を削られるような恐怖心はまったくおこらなかった。有沢は今度は怖がらずに、鉛筆削り機を二個並べて一度にできるようになった。これで作業の流れはほぼ順調になった。

 七名の工員が慣れるにつれて《望郷》の製造数は延びていった。

米沢は何時の間にか《望郷》専用の梱包用ダンボール箱なども作らせていた。いよいよ本格的な製品として高一が出来上がってきた。完成し梱包されたものを見ると、一道も桜井も考えても見なかった方向になったのに少し戸惑いながらも、妙な満足感に襲われた。

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