第8話

「社長と奥さんに気付かれないように車を出すからちょっと待っていてくれ。なにせ、会社の車を使うと、ガソリン代がいる、減価償却がどうのこうのと、うるさい夫婦だから」

 二週間後の日曜日、一道は会社のライトバンを工場の駐車場からこっそりと乗り出して、アパートの前に止めた。そこで新しく作った高一を積み、大型ごみのテレビからはずしたスピーカーを持っている桜井を乗せて、松次郎の家に向かった。途中まで中国自動車道を通ると時間的には、鉄道で行くのと同じくらいで「古市駅」の近くまで行くことができた。

 杉林を通って松次郎の家に近づくと沿道に薄紫のアジサイがところどころに咲いているのが目に付いた。

「アジサイの花はこんなにきれいだったのか。見物用にまとめて植えられたアジサイなんか、造花と同じだ。ここのように自然の中に咲いているのがほんとうの美しさだろう」

 一道はゆっくりと運転しながら少しはにかむような顔をした。

「そんなものですかねえ・・・アジサイの花の色は土壌のPH濃度によって『七変化』するという説がありますが、この辺の色は薄紫ですから、やや酸性なんでしょうねえ。美しいですが、葉を食べると中毒をおこします」

「美しいものには、毒がある・・・ハッハッハッ」

 一道は照れくさそうに笑った。

「それにしても桜井君は何でもよく知っているなあ。若いのに草花のことまで研究しているのか?」

「僕は知ることが好きなんです。どんな分野でもいいんです、未知のものについて理解することが楽しいんです。楽しみなので一度、知るとほとんど忘れることはありません」

「ホーッ、やっぱり頭がいいんだ」

「音響工学を専攻しているのも、音響や音質などというものがまだ、学問的に理論構築されていなくて分らないことが多くあるからです。簡単に言えば今はまだ、どうして音がよいのか悪いのか、単純な測定や主観で判断しているだけで、理論としては全くといっていいほど研究されていないのです。だから面白いのです。例えば、歪率ひとつを取って見ても、測定や解析の研究はなされて、当然のように歪率が低い方が音質が良いとされています。ところが、実際の演奏などでは、歪音が快く感じられることは間々ある事です。どうして歪が快く感じられるのか、理論的には全く証明されていません」

「ウーン、君がしゃべると難しくなるが、確かにそうだ、大金を出せばいい音がすると神様を信じるみたいに思い込んでいるやつが多い」

 音質の話になると二人の会話は弾んだ。

話をしているうちに松次郎の家の玄関前に着いた。松次郎には十日ほど前に高一のシャーシーやスピーカーの大きさ、そしてキャビネットへの取り付けネジの位置などを図面にしてファックスをしておいた。

 松次郎は二人が家に入ってくると早速、真新しいキャビネットとダイヤルを持って来て食卓の上に置いた。

「おそらく取り付けもうまく合うと思う。スピーカーのサランネットはマサ子が選んだものを適当に貼り付けたが、どうだ?」

 木の香りと鮮やかな木目が清々しい。

「オォーッ、すばらしい!」

 しばらくの間、一道はキャビネットを四方から感動の眼差しで見回した。

「とにかく、シャーシーとスピーカーを取り付けさせてもらおう」

一道と桜井は手際よくそれらをキャビネットの中に固定していった。ボリュームと電源スイッチのシャフトも開けられた穴に狂いなく通すことができた。

「ダイヤルの穴の大きさも寸分の狂いもない。すべて完璧だ!」

 一道は感激して言った。前面は一枚板で作られている。ガラス窓となったところからはちょうど、バリコンを中心に左右に二本の真空管が見える。同調用のシャフトに付けられた木のダイヤルは他の二つの物と違ってかなり大きめのものだ。これで同調が楽なはずだ。この大きいダイヤルと下の小さい二つのダイヤルのバランスが懐かしいラジオの雰囲気をかもし出している。スピーカーの部分は格子戸風にくりぬかれている。そして裏から品のよい色合いのサランネットが張られている。裏蓋も手間隙かけて、真空管の熱気がうまく逃げるように細かくくりぬかれている。全体が同じ種類の木材で仕上げられている。

「さすが、家具職人さんだ。芸術品だ」

 また、感嘆の声を一道があげた。

「三津田さん、電源を入れてみましょうか」

 桜井に促されて、電源コードを差込み、アンテナに四、五メートルのビニール線を付けて、ゆっくりと左下の電源スイッチを回した。そしてガラス窓の中の真空管に目を凝らした。よく見えるようにするため6D6、6C6のシールドキャップは頭部だけのものにしている。やがてフィラメントが赤くなる。12Fと6ZP1はフィラメントが見やすい。6D6、6C6も見る角度を変えればほんのりとした灯りが見える。

 スピーカーからかすかにハム音が出てくる。ゆっくりと同調つまみを回すと放送が入ってくる。再生をかけていないので同調が甘いが、それが少しぎこちない動きのバリコンには合わせ易い。右側のつまみで6D6の感度の調整をして、適当な音量の位置にする。6ZP1を、拾った高一と同じように三極管接続にしていることもあって音質が非常に柔らかい。拾ってきたスピーカーだったが、松次郎の木製キャビネットの中で快く響く。

「アー、いい音だ」

 四人とも満足そうな声をあげた。音量を上げて、いつまでも聞き続けたい音だ。

「おじさん、おばさん、ほんとうにありがとうございました。宝物ができました」

 一道は何回も頭を下げた。

「いやいや、暇つぶしにやっただけじゃ。必要なら何箱でも作るぜ」

 松次郎もマサ子も嬉しそうだった。

 桜井と一道は夕食まで世話になってからアパートに帰った。

 大きな風呂敷に包んだ高一を持ったままの一道と桜井が一道の部屋のドアを開けようとしていた時、ちょうど隣部屋のリサイクルショップ経営の米沢が帰ってきた。

「それ、なに?」

 大事そうに抱えている風呂敷包みに米沢の視線が釘付けになった。一道はどうしてもこの男が好きになれない。ずいぶん前に婚期は過ぎている年齢なのに一人で住んでいた。太い眉毛に面積の広い顔には特徴がなく、本心とは別に表情を自由に操れるのではないかと思える。また、言葉遣いは妙に丁寧だが、人を食ったようなものの言い方をする。被害妄想の傾向のある一道にとっては米沢の背後には大きな邪悪の塊が隠されているように感じられた。

「これは真空管ラジオだ」

 年齢からすればもちろん、米沢の方が一道よりかなり年上だが、一道は自分にとって危険と思える者に対してはいつもぞんざいな言葉遣いになった。

「ホォー、ぜひとも、ちょっと見せてもらえませんか」

 了解もしないのに米沢はドアを開けた一道の後について部屋へ入ってきた。一道はしかたなしに座卓の上で風呂敷を広げて見せた。

「ヘェーッ、なんとこれは、いい物じゃないですか」

 米沢は商売人の目になって高一を見た。そして、いかにも欲しそうな顔つきになった。

「これをうちの店で売らせてもらえないですか。いい儲けになるようにするからさあ。頼みますよ、この通り」

 大げさな身振りで、何度も頭を畳にこすり付けるようにする。

「これは売るために作ったのではない。趣味でやっているだけだ」

「だから、その趣味も人のためになるんだったら、それに越したことないじゃないですか。それに、あんた、こんな宝物をもう一台、持ってるじゃないか」

 拾ってきた高一の方に顔を向けてあごをしゃくりながら、ラジオを持ち帰ろうとする。

「だけど、俺は売る気はないぞ」

 一道が不機嫌に言うと、米沢はあわてた様子で財布から一万年札二枚を出して一道に無理やり握らせた。

「うちの店は儲けよりも社会奉仕、環境保護が目的でリサイクルをやっているのですから、商品を提供してくれたら、その人は間接的に社会のお役に立っているということになります。両方ともいい事をすることになるから、いいじゃないか」

 米沢は有無も言わせず、ラジオを持ってすぐにまたアパートを出て行った。

 強引な米沢に一道は憎々しく思ったが、気分はそれほど悪くなかった。松次郎や自分が精魂込めて作った物の良さが他人にも認められたような気がするからだった。

 桜井は終始面白そうに見ていた。

「もし、売れたとしたら楽しいですねえ。確かに趣味が実益になるのは理想ですよ」

彼は子供のように笑った。

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