第6話
コンテナの中をくわしく調べようとすると時間がいくらでもかかりそうだった。一道はとりあえずアパートにある高一用の真空管6D6、6C6、6ZP1、12Fを取り出し、桜井の祖父母の家まで引き返した。
「遅かったなあ。食事が冷めてしまうじゃないか。どうだった、気に入ったのはあったか?」
松次郎が早く上がれという仕草をする。
「たくさんの真空管があったので、三津田さんが喜んで必死に見ていたんだ」
「そうか、処分しなくてよかった。処分するには村役場に行って金を出してトラックに来てもらわねばならんので、何十年も放って置いたが、それがよかったのだな」
顔にしわを寄せて松次郎が笑った。
「とにかく昼食を食べなさい。マーちゃんは何時も急に来るから有り合わせの物しかないけどね」
腰の曲がった祖母のマサ子が一道を食卓のところへ引っ張るようにして座らせた。食卓には豊かな山菜料理がたくさん盛られている。古くからの地元の調理方法で作られたものばかりだ。食べてみると一道にはそれが非常に美味しかった。
一道の故郷は海辺だった。だから食べ物の多くは海から取れたものだった。彼の家は特に貧しかったので、副食物といえば明けても暮れても、ほとんどタダで海から手に入る物ばかりだった。普通に考えると飽きてしまいそうだが、彼は飽きるどころか美味しくてたまらなかった。それは母親の民代が昔から行われている非常に多種類の調理方法で素材を生かした料理をしてくれたからだった。山と海との違いはあっても、マサ子が出してくれた料理には一道の幼少年期の食感と共通したものを感じていた。
食事も終わって食卓に四人が座ると話が弾んでくる。一道にとって話が弾むという経験は中学を卒業して以来、思い出せないほどない。特に初対面の者と話が合って、会話が楽しいなどということはあり得なかった。それが松次郎やマサ子とは身構えたり、緊張を感じずに話ができた。
一道は不思議に思って、その理由を考えながら松次郎とマサ子を改めて見直した。するとぼんやりと分かるような気がした。一道は自分の生きてきた道と松次郎のそれとが同じ次元のものに違いないと思えた。また、彼の母親の民代とマサ子も根っこは同じではないのかと思われた。
松次郎とはなによりも体つきがよく似ている。節くれだった指、太い腕、頑丈な肩、骨太な骨格。それらはスポーツなどという非生産的なものによって鍛えられた体とは全く違う。生きるために必要に迫られて肉体を酷使した結果だった。骨が太くなっているのも、筋肉が付いているのも、体全体がズングリしているのもすべて、肉体労働に耐えるために必然的に出来上がった体だった。
「おじさんは元々何の仕事をしていたのですか」
一道から見ると松次郎はまだ、お爺さんと呼ぶほど年寄りではなかった。
「わしはもともとは家具職人だ。長男なので妹や弟のために、学校もろくに行かずに親方のところに弟子入りして丁稚奉公してきた。だが、それだけでは食えないので、生きるためと家族の為に何でもした。家具の材料を少しでも安く仕入れるために直接、山から木を切り出す山師もやった。もちろん、農作業はずうっとやってきた。今もやっている。親父から山や農地を相続したが、それで食っていけるほどの広さもないし、先祖からのもので絶対に売ってはいけない物なんだ。わしの人生は仕事だけじゃ。趣味などというものは無い」
松次郎は苦労話をしながらも口元には微笑があった。話を聞くと一道は嬉しくなった。
「ほんとうに、この人は仕事をするために生きているみたいです。酒を飲むでもなし、賭け事をするでもなく、遊びもせず、ただタバコだけは吸うけど、それぐらいはどうってことはないです」
マサ子は自分の主人の生き方に満足の様子だった。一道の脳裏には、自分と父親の亀三と松次郎の三人が重なり合ってくるような気がした。この感覚は松次郎も一道に対して抱いているようだった。同類は分かり合えるのかもしれない。
「そうして苦労をしているうちに、この村に大手の家電メーカーがラジオと真空管の製造工場を建てた。わしは木工技術が認められて、ラジオの木製キャビネットを作る仕事を手に入れた。結局、その仕事をいちばん長くやった。そのおかげで、息子の、このマー君の父親も大学に行かすことができた。やがて、MT管やトランジスターが世の中に出てきて、木製のキャビネットは使われなくなった。それで、場所的にも不便なこともあったのだろうが、ここの工場は廃業になった。その時の解体業者が真空管の処分に困って、洞穴にコンテナごと捨てたんだ。今は適当に畑を耕したり、山に入ったり、頼まれたら家具を作ったりしている。子供もみんな独立して、こんな孫もできた。今の生活がこれまででいちばん楽じゃ」
遠い彼方を見るような目で松次郎が縁側から空の雲に目をやった。
「あれもお爺さんの作ですよ」
マサ子が指差したところを見るとタンスの上に真空管ラジオがあった。それは古いものではなく、木目も鮮やかな新品だった。適度なニスの塗り具合で木肌の美しさが際立ち、高級家具の雰囲気があった。
「エーッ、あれをおじさんが作ったのですか」
一道はすぐに立ち上がってラジオの前に行った。新品なのは箱だけではない。ダイヤルも木工芸といえるほど見事に作られている。さらにスピーカーのサランネットも新たな布で張られている。
「スイッチを入れてもいいですか」
「ああ、どうぞ。わしは目が弱いので、テレビはあまり見ない。いつもそのラジオを聴いている」
一道がスイッチを入れると、少ししてゆっくりと放送が聞こえてくる。やわらかく暖かい音だ。
「裏も見せてください」
「どうぞ。だけど、中身は古いままですよ。この人は電気には弱いから。年寄りが厚化粧しているみたいなものですよ」
口を押さえながらマサ子が笑った。裏蓋を外してみると、ST管の五球スーパーだった。6WC5、6D6、6ZDH3A、6ZP1、12Fが差さっている。
「すごいなあ、いいなあ!」
一道は感嘆の声を上げた。
「そんなに気に入ってくれるのであれば、三津田さんにも、寸法を言ってくれれば、何時でも作ってあげるよ。暇だからなあ。真空管ラジオの中身さえあればキャビネットなど、簡単なものだよ」
「本当ですか。有難うございます。ぜひお願いします」
一道はよほど嬉しいとみえて何度も頭を下げた。
桜井と一道はついつい長居をしてしまった。夕食も食べろ、と言うのを無理に断って玄関を出た時には山肌にすでに夕暮れの気配があった。
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