第4話

 出力トランスを巻き直して高一に取り付け、ラジオを鳴らすと以前よりメリハリのある音になった。それでいて暖かく優しい音が部屋中に広がる。何時までも聞き続けていたい気持ちになる。この頃のオーディオ機器は聞き始めだけは良い音のように思えてもしばらく聞くと、耳障りな疲れる音を出すものが多い。真空管と半導体の宿命的な違いでもあるのだろう。

 一道はアパートに居るあいだはほとんど高一をかけっ放しにしている。テレビはまったく見なくなった。寝る時でさえタイマーをつけて、つけっ放しにして眠った。高一を聞きながら眠るとそれまで苦しまされていた不眠症が嘘のように治った。安心して直ぐに寝付くのだ。

 いつものように夜遅くまで高一を聞いていると、部屋のドアを遠慮気味に叩く音がした。ドアを開けると二十歳くらいのヒョロリとした男が立っている。

「アノー、上に住んでいる者ですが・・・」

 一道の部屋の真上に居る住人だった。人付き合いの苦手な一道はアパートではほとんど誰とも親しくしていない。隣室のリサイクルショップを経営している米沢という中年の男と時々、立ち話をするぐらいだ。真上の住人がどんな人間かまったく知らなかった。

「なにか、用か?」

 一道は睨みつけてぶっきら棒に言った。彼は、この男はおそらく高一の音がうるさいので文句を言いに来たに違いないと思った。それならこちらにはもっと言いたいことがある。どれほど頭上の騒音に悩まされていることか。こちらがゆっくりとくつろぎたい時に限ってドタドタとことさら大きな音をさせて歩き回る。不思議なことに金を数えている時には決まってドンドンと床を叩く。そして、深夜になっても平気でギターの練習をする。  

 さらに、寝付きかけた瞬間に天井板が震えるほど大きなドスンという飛び跳ねるような音をさせる。彼は今までに何回も怒鳴り込んでやろうかと思った。真上の住人の姿を見ずに足音だけで空想していると何時の間にか自分に被害を及ぼし、嫌がらせをする憎い敵になっていた。憎しみが増長するにつれて見たこともない真上の人間に対して極悪非道の大男の姿が想像されてきていた。

「・・・いい音がしてますねぇ。どんなコンポなのか知りたくて・・・見せてもらえませんか。ぼくは桜井と言います」

 桜井は頭をペコッと下げた。一道は予想していた人間とあまりに違い過ぎたので力が抜けたが、高一をほめてくれて気分がよくなった。

「あぁ、いいよ。入りなよ」

 一道の部屋に他人が入って来たのは久しぶりだった。彼は、前に誰かが入って来たのは何時だったかと考えてみたが思い出せなかった。こたつ兼用のテーブルのそばに座った桜井はさかんにキョロキョロしてから、信じられないという風に高一に目を釘付けにしている。

「あれから音が出ているのですか」

「そうだ。これは高一ラジオと言うのだ」

一道はラックの上に置いていた高一をスイッチを入れたままゆっくりと下ろして桜井の目の前に置いた。

「ヘェーッ!」

 手品の箱でも見るように桜井は様々な方角から高一を見回した。一道が裏蓋を外してやるとほんのりと光る真空管に魅せられたように見入った。

「これが真空管ですか。こんな球からこんないい音がするんですねぇ。僕は電子工学科に通って、音響工学を専攻していますが、真空管についてはほとんど習っていません」

「うん、これはもう何十年も前のラジオだが、しっかり鳴っているだろう。真空管のラジオはちょっとだけ手当てをしてやれば永遠に鳴り続けるぞ」

 桜井が高一に感心している様子を見て、一道は彼に好感を抱いた。

 桜井は一道とは対照的な体つきをしていた。一道は中学卒業以来、重い鉄心の詰まった木箱を運んだり、太い銅線を巻いたりと一日中、体を使って仕事をしている。それに耐えられるように肩幅が広く骨太でズングリした体形になり、指は太く節くれ立っている。顔や体の皮膚は機械の油が染み込んだような色をしている。それに対して桜井は背丈こそ一道より高いが、頼りなく伸びた体に童顔の残る色白の顔で、指は細く折れそうだ。いかにも勉強のみやってきたという感じの学生だった。

・・・クソッ!また被害妄想だ

 今、目の前に見る桜井と想像していた上の部屋の住人とのギャップに自分の事ながらあきれてしまう。一道の精神の傾向性は、現実から出発するが現実から抜け出して自分の被害意識に合った世界を作ろうとする。そしてそれを現実と思い込んでしまう。ひどい時には自分自身さえ現実の自分から抜け出して、別人の被害者のようになる気がした。救われているのは、自分でその傾向性を自覚していることだった。

 一道は自分の大きな頭を握りこぶしで激しくゴツンと叩いた。

「どうしたのですか」

 驚いた桜井が一道の顔を見つめる。

「いやいや、なんでもない」

 一道は顔の前で妄想を振り払うように手を左右に振った。

「君の年齢では真空管を使ったことはないだろう。今では日本では製造してないしなあ」

「ええ、大学の講義にも出てきませんが・・・僕の爺ちゃんの家の近くに捨てた真空管がたくさんありました」

「エッ、ほんとうに?」

「今でもあると思います。二、三カ月前に遊びに行った時にも見ましたから。形や大きさは様々ですけど、コンテナに入ったまま山ほど捨ててあります」

 一道はとっさには信じることができない。真空管全盛時代に使用不能になったものをまとめて大量に捨てることは考えられるが、それが現在まで残っているとも思われない。桜井が、知識のない真空管と別の物を混同しているのではないかと思える。

「真空管というのは、こんなガラスの球の中にプレートやグリッドやフィラメントが入っているものだぜ。普通の灯りにする電球ではないよ」

 高一の6ZP1を指しながら念を押した。

「はい、間違いないです。確かに、中にはこれと同じようなものが入っていました。形は大小さまざまですが、真空管です。もしよかったら、いっしょに見に行きましょうか?」

 確信ありげに言い切った。

「ウーン、是非とも見たい。ほんとうに真空管なのだったら・・・」

 真空管に魅せられている一道にとっては桜井の話しが事実なら宝の山を発見するのと同じだった。半信半疑ながら夢が広がった。

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