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彼は人物を読むことができる。ちらりと姿を見ただけで、その人間の本質を見抜く。超能力とは言わないまでも、かなり特殊な力だと思う。直感だよ、と彼は言うけれど、どことなくオカルトめいていて、ときおり恐くなることもある。彼は過去に二度、わたしの交際相手の浮気を言い当てている。相手の女性の人相まで見てきたように言うので、しばらくは尾行でもしたんじゃないかと疑っていた。でも、考えてみれば付き合っていた男性はいずれも、よその町の人間だった。陽治に追えるはずもない。これだけ偏った人格なのだから、おまけにひとつぐらいオカルティックな特技が加わったとしても、驚くことはないのかもしれない。「それは陽治だから」というのは、わたしの中では、ずいぶんと説得力を持った理由になっている。
「それでもね」とわたしは言った。鼻声になっていた。こんな自分の声を聞くのは久しぶりだった。
「不安が完全に消えることはないのよ。アメリカに行くことだって、楽しみではあるけれど、まったく知らない場所だし、それに残していく両親のことも心配だし――」
真希ちゃんがいるじゃない、と彼は言った。三年前に嫁いだわたしの五つ上の姉のことだ。電車で一時間ほどの町で暮らしている。
「そうなんだけど――さ。でもね……」
この涙の一番の理由が、陽治への未練だと知ったら彼は驚くだろうか? とっくにけりがついているはずのわたしたちの関係。お得意の直感で、彼はそのことに気づいたりはしないのだろうか?
彼はきっと、恋人との抱擁も知らぬままに人生を終えていくのだろう。
そのことを思うと、なんだかすごく切なくなる。こんなにいいひとなのに。たしかに、風変わりではあるけれど、彼は誰よりも寛容だし、穏やかだし、それに少しも威張ったところがない。創造的才能に溢れているし、思いやりだって知っている。
彼が越してきた日から、わたしたちは少しずつ友だちになっていった。なぜ彼がこのわたしにだけ心を開いたのか、その理由は分からない。たんに隣のうちの子だったから――それも、ありそうなことのように思う。でも、誰だってよかったというわけじゃないはず。彼がわたしに興味を示し、やがては、奇妙なほどに
彼がふつうの少年と違うことは、なんとなく分かっていた。装いや振る舞いが風変わりだという、そのことではない。もっと深いところ。
思春期を迎えても、彼は少しも異性に興味を示さなかった。さらに言えば、彼は人間そのものに、ほとんど関心を向けることがなかった。物をつくることや、なにかを観察すること――太陽黒点(彼はあの動きにはメッセージが込められているんだと言っている。二進法の伝言。あと五年も観測を続ければ、ひとつのパラグラフぐらいにはなるんだとか。いったい誰からの手紙なの?)、地面に生えた
それでも彼はわたしと一緒にいることを
わたしだけが彼の魅力を知っていた。彼の奔放、飛躍、才気。彼は宇宙の仕組みをわたしに教えてくれた。生命の不思議、鳥の羽ばたき、葉脈の美しさ。春、田んぼに水が入れば、ふたり畦道に腹這いになり、飽くことなく小さな生き物たちの営みを眺め続けた。彼は自作の奇妙な楽器を奏で、わたしに唄うことの悦びを教えてくれた。
わたしは級友たちの嫌がらせから彼を守り、ほとんど授業に出ない彼のためにノートを取った。
ふたりは孤立していたけれど、わたしはむしろそれが誇らしかった。恋をした少女にとって、それはひどく甘美なことのように思えた。
中学に入った頃から、わたしは新たな感情に悩まされるようになった。この狭い地下室に彼と一緒にいるだけで胸の鼓動が早くなり、頬が
けれど、それはわたしの一方的な片思いだった。彼は恋をしない。おそらく、彼には性がないのだ。限りなく無性的な少年。彼自身が幾度も言っていた。自分はきっと思春期前に成長が止まってしまったんだ。だから、ぼくは男でも女でもない。ただの子供なんだ、と。
あまりに思いが募り、幾度も告白することを考えたけれど、わたしはそのたびに踏み止まった。彼を混乱させたくなかった。彼は優しいひとだから、わたしを受け入れられないことを哀しく思うかもしれない。彼は彼であることに満足し、いつだって幸せなのに。
それでも一度だけ、わたしは決定的な事件を起こした。
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