第二十二話 絵図
全身の血の気が引いた呂布だが、王允の屋敷が近付くにつれて逆に血が沸き立っていく。
屋敷に着くなり赤兎から飛び降りる勢いで下馬し、乱暴に門を叩いた。
恐る恐る門を開けた家僮の制止を振り切り、押し入るように屋敷にあがる。
「王司徒はおられるか」
怒号に近い声が屋敷に響き渡った。
群がってくる家僮を押し分けて、目を赤く腫らした貂蝉が駆け寄ってくる。
呂布の胸に飛び込み、声を震わせて懇願する。
「助けて……ください」
そして貂蝉から少し遅れて、落ち着き払った王允が姿を現した。
「司徒」
呂布は貂蝉の肩を押さえ、董卓から聞かされた話を問い詰める。
「呂騎都尉、落ち着いてくだされ。
私とて望んで貂蝉を太師の元に送り出すわけではありません。
ですが私も太師には逆らえません。
呂騎都尉と同じように、太師が恐ろしい」
挑発するかのような言葉に呂布は王允を睨み付ける。
「俺が太師を恐れているだと」
「そうではありましょう。
太師がそのお話をなさった時、呂騎都尉は太師に何とお話になりましたか。
自分も貂蝉を求めている旨、お話になりましたでしょうか。
貂蝉を守ろうと、何かを進言されましたでしょうか。
太師の決定に逆らえなかったのではありませんか」
呂布は歯軋りして押し黙った。
それと同時に呂布は王允の言葉に違和感を感じていた。
何故ここまで落ち着き払っていられる。
例え女を道具として扱うような男であったとしても、一度妖狐に魅せられた男が、こうも冷静に妖狐を手放せるものか。
王允は沈黙の呂布に畳み掛けるように言う。
「やはり呂騎都尉も太師の義子。
夜叉や飛将と謳われながらも、太師には従うしかありますまい。
私自身貂蝉を手放したくはありませんが、我が身には変えられますまい。
いえ、仕方のないことです。
呂騎都尉を主殺しと悪く言う者をいますが、ここで義父に逆らうとなれば、更に何と言われるか。
貂蝉には可哀想ですが、お互い我が身が一番ですからな」
手放したくない、とは言いながらもその言葉に躊躇や悩みの色は感じられない。
まさかこの男、何らかの形で貂蝉が妖狐であると勘づいたのだろうか。
いや、だがもしそうだとすれば……
呂布は王允を試すように問う。
「王司徒、何とかする手立てはないのか」
王允の目が光る。
心なしか笑みを浮かべたようにも見えた。
「呂騎都尉。
貂蝉を太師から守る手立て、無いこともありませんが、それは言葉にするも恐ろしい事ですぞ」
呂布は確信する。
王允は何らかの形で貂蝉を妖狐と認識し、董卓を亡きものにする算段をつけたのだ。
貂蝉を手放し、俺を策で踊らそうとしている。
いや、自分だけではない。
俺が動いて董卓を斬ればそれでよし。
この話を聞き、同じく貂蝉を求める徐栄が動いてもまたよし。
そのいずれもが失敗したとしても、董卓が貂蝉を抱いて精を吸われ、命を削れればよし。
王允はこれで俺、徐栄、そして貂蝉という三人を刺客に得る事になるのだ。
「俺はお前を信用している訳ではないが、貂蝉を守る為であるならお前の言に従おう」
司徒王允をお前呼ばわりなどと、無礼な口振りの呂布。
主を目の前にしながら、その呂布に泣きつく貂蝉。
そしてそんな二人を意に介する様子もなく平然としている王允。
以前の王允であれば今の貂蝉の態度を目の当たりにされば激昂し、貂蝉を殴打していたであろう。
三人を取り囲む家僮達にはそれは余りに常軌を逸した光景であり、何か不穏なものを予感させた。
そんな中、一人の家僮が恐る恐る王允に歩み寄った。
「司徒様、董太師の使いの方がお見えでございますが……」
王允は使いを客間に案内するよう指示をする。
周囲の家僮達を持ち場に戻らせ、貂蝉には呂布と共に別室へ向かわせた。
王允に指示された別室に呂布を案内し、二人きりになった貂蝉は再度呂布に助けを求めた。
呂布は真剣な眼差しで貂蝉を見つめる。
「貂蝉、俺の思惑とは異なる形で事は動き出した。
残念ながら最早お前にとって最良の願いは叶わないだろう。
一つ聞くが、俺と董卓と徐栄、お前はいずれを望む」
呂布の示す選択肢に王允の名はない。
その意味は貂蝉にも理解できた。
最近の王允の態度で薄々感じていた。
屋敷の庭で呂布と二人で話をし、強く拒絶されたあの夜以来、王允は自分を抱こうとしない。
誘ってはみるものの、疲れていると邪険にされる。
何故。
未熟とは言え、妖狐の蠱惑を理由なく断ち切れる人間がそういるわけがない。
まさか本性を悟られたのだろうか。
「さっきの態度、様子から察するに、王允は既にお前を手元に残そうとは考えていない」
呂布の厳然とした言葉に貂蝉は深く項垂れる。
溢れた水滴が床を濡らす。
「私は……
先日お話ししたように、今の私に、司徒の元に留まる以外の望みはありません。
ですが、あくまで仮のお話であれば、奉先様の元を望みます」
呂布はそれを聞くと貂蝉を強く抱き締め、言葉に力を込める。
「俺はお前の為、汚名に汚名を重ね、人喰らう悪鬼、夜叉となろう。
場合によっては、例えお前に恨まれようとも、お前を血の呪縛から解放して俺のものにする」
そこへ王允が入室してくる。
臆面なく貂蝉を抱いたまま、呂布は王允に向き直って言う。
「王允。
お前は己の欲しか考えず、人を道具と扱い、そして心を踏みにじり、切り捨てようとしている。
相容れようとは思わぬが、今は貂蝉の為にお前の描く絵図に乗ってやる」
呂布の棘ある言葉にも王允は不敵に笑い、目を光らせる。
「結構でございます。
使いの方から明日の太師の予定は聞きました。
では私達のすべきお話をしましょう」
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