第十八話 後押し
貂蝉との遠乗りから戻ったその日の夜、呂布は妻雪葉と共に閨に入った。
笑顔の妻は齢三十になったがその美貌に翳りはなく、むしろ妖艶な魅力を放つ。
過去何度となく嫁入りを断られて劣等感を持っていた長身だが、呂布と並べば互いに互いを引き立たせる美男美女。
家中でも羨望の眼差しで見られる。
また美貌と長身から居丈高な印象を与えがちだが、実際は家僮に対して偉ぶる事もなく明るく気さくに接し、信望も厚い。
呂布は常々よき嫁を得たと感謝し、雪葉もそれに思い上がる事もない。
戦場で夜叉と畏怖される呂布も雪葉と睦み合う時ばかりは暖かく慈愛に満ちた表情を見せる。
しかし今夜、共に寝台に腰掛け向き合った時の表情はいつもとは明らかに雰囲気が違っていた。
雪葉もそれを感じとり、夫が何かを胸に秘めている事を察する。
「雪葉、俺達が初めて会った時の事を覚えているか」
静かに問う呂布。
雪葉は胸中の不安を包み隠し、笑みを湛えて答える。
「初めて会った貴方は当時の恋人を失って、今にも自害しそうなくらい暗く沈み込んでいたわね。
五原一の武勇と聞いてて、会うのが少し怖かったのに拍子抜けしちゃって、私は怒ったわよね。
自分が弱くて守れなかったんだから、そんなに大切だったなら強くなって取り戻しなさい、って」
「俺も驚いたものだ。
そうやって臆面もなく俺を叱咤してくる女など、見た事がなかったからな。
身の丈もそうだが、そういう所が他の男に敬遠されたのだろう」
そう言って呂布はからかうように笑い、雪葉は少し拗ねたように顔を背ける。
「だが、そんな女だからこそ俺はお前を嫁にもらった」
そう言って肩に手を置く呂布に雪葉は微笑みながら顔を向ける。
本気では怒っていない。
そして暫しの間、二人を沈黙が包む。
なぜ突然そんな話をするだろうか。
「雪葉、あくまで仮の話として聞いてくれ」
呂布の重たい口調が嫌な不安を増幅させる。
「何」
息を飲んで聞き返す。
「俺が側室を取ると言ったら怒るか」
雪葉は口を半開きに呆気にとられた。
「まぁ……今の貴方の立場を考えれば側室の一人くらいいてもいいんじゃないの……」
この時代、それなりに官位のあるものが側室を置くことは決して珍しくなく、むしろ家系を残す事を先祖に報いるという意味では常識にも近いものであった。
またその際に正室にわざわざ伺いをたてるなど聞いた事がない。
「怒ったな」
「怒ってないわよ」
苛立ち混じりに雪葉は言い返す。
それはむしろ、どんなに重い話をしてくるのかと心配させられた苛立ちにも近い。
「もう一つ、今の暮らし。
世は乱れているとはいえ、ある意味では安定した今の生活を捨てるかもしれないと言ったら怒るか」
要領を得ない続けざまの問いに雪葉は困惑する。
「ちょっと、何を言っているのよ。
何を考えているの」
呂布は先の話に出た昔の恋人、貂蝉の事を話しだす。
まだ若く、力もなく貂蝉を鮮卑から守れなかった悔い。
その後出会い、自分を励まし支え、傷心から立ち直るきっかけをくれた雪葉には感謝しているし、今も変わらぬ愛情を持っている。
だが自身の過去の悔いを拭い去る為にも、今苦しんでいる貂蝉をどうしても救いたい。
場合によっては主殺しに義父殺しの汚名を重ね、貂蝉を手元に置く選択をするかもしれない。
もしそうなれば、失敗すればこの国を支配する董卓の反逆者として処断。
成功したとしても次は数に優る董卓残党との争い。
その結果によってはやはり処断。
あるいはこの長安を逃れ、流浪の道を歩むかもしれない。
それを聞いた雪葉は深く考え込み、呂布に尋ねた。
「もし私が嫌だと言ったらどうするの」
呂布は眉間に皺を刻み、黙って答えない。
「私は確かになかなか貰い手がなくて悩んでたけど、仕方なしに貴方の妻になった訳じゃないのよ。
貴方はただ強いだけじゃない。
他の男達と違って、女を物のように扱ったりしない。
貴方は私を対等な立場として見てくれる。
だから今もこんな事を言い出したんだろうけど。
変な意地や自尊心で私を蔑ろにしない。
虚勢を張るばかりの男ばかりの中で貴方は、私のお陰で立ち直れた、励まされた、と感謝してくれる。
男の子ができない私を気遣ってくれる。
愛してくれる。
私はそれで十分。
そんな貴方だから妻になったのよ」
雪葉はゆっくりと呂布に抱きつくと耳許で囁くように言った。
「貴方のしたいようにしなさい。
取り戻してみなさいよ」
呂布は顔を向けるが、雪葉の表情は見えない。
「貴方がそこまで覚悟してその道を進むなら、私は黙って従うわ。
今までと変わらず私を愛してくれるなら側室を一人置くくらい構わない。
もし家を失い路頭に迷っても貴方についていく。
もし貴方が死んで、他の男の物にされそうになったら、私も死んで地獄の果てまでついていく。
例え貴方が主殺し、義父殺しの不徳者と言われる人でも」
呂布は雪葉の肩に手をやり、少し身を放すと顔を合わせた。
「すまない。
また背中を押させてしまったな。
ありがとう」
呂布がゆっくりと顔を近付け、雪葉は目を閉じた。
唇が重なった瞬間、雪葉の閉じた目から涙が溢れる。
雪葉はそれを呂布に悟られぬよう指で涙を拭った。
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