四 夜明け前

 それより数刻の後、重たい足を引きずって、ねぐらとしている北山の山奥にある廃寺へと逃れた俺は、朽ちた石段を登った所にある松の木にもたれかかっていた。


「――ハァ……ハァ……やはり、さすがにキツイな……」


 如何なる刃にも傷つけられぬこの秘技であるが、その分、身体への負担も大きい。初代の頃には容易に用いることができたらしいが、俺くらいに血が薄まった代になるとそうそう使える技ではないのだ。


 だから、あまり使いたくはなかったのだが……まあ、おかげで危機を脱することはできた。


 これで今回の任務も無事完遂だ……戦をすることなく新政府を樹立しようとする穏健派の坂本も死に、これで世情は一気に武力討幕へと傾くだろう……新しき世を切り開くには、それくらいの強い衝撃が必要なのだ。


 俺も含め、多くの〝人斬り〟達が数多あまたの血を流してきたが、日本の夜明けは近い……。


 松の木にもたれながら眼下の京の街を覗えば、実際の景色もそろそろ白み始めている。想定外の事態にもたもたしている内に、本当に夜明けも近づいていたようである。


 ……ん? 夜明け? ……ハッ! しまった! 闇に生きる我が一族の性質として、夜でもよく利く眼を持っている代わりに日の光を浴びることは禁忌とされているのだ!


 俺も幼い頃よりそのしきたりを頑なに守ってきたし、本能的に日の光はどうも苦手である。


 嘘か真か伝承によれば、日の光を浴びると灰になって消えてしまうとも云われている。


 ……早く、寺の中へ戻らねば……だが、どうにも身体が鉛のように重くて思うように動けない……やはり、あの秘術は使うべきではなかったか……。


「……ハァ……ハァ……早く……堂宇の中へ入らねば……」


 俺は文字通り這うようにして、屋根が半分崩れかかった寺の本堂目指して懸命に進もうとする。


 ……だが、その時、背後より橙色の眩い光が広がり、俺の身体をもその光で明るく照らし出した。


 日が、登ったのだ……。


「うぐぁっ…!」


 と、その瞬間。俺は全身に焼けるような強烈な熱さを感じ、地に付けた両の腕からはシューシューと白い煙が上がり始めれるのが見えた。


「……あ、熱い! ……か、身体が焼ける……」


 いや、煙の上がっているのは腕ばかりではない。両脚からも背中からも頭からも、全身からシューシューと肉の焼ける煙が出ているのである。


 ……まさか、伝承は本当だったのか……まさか、本当に我が一族は日の光を浴びると灰になる魔物だったというのか? 祖先の国の言葉では〝ぶぁむぴる〟と呼ばれる、夜な夜な人の生き血を吸うという魔物の類だったと……。


 ……やがて、焼かれる熱さと苦痛を感じることもなくなり、俺の意識は深淵の底へと遠のいてゆく……。


 そうして新時代の夜明け前、俺は一族の言い伝え通り、昇り始めた朝日の陽光に焼かれて灰となって消えた……。


                       (近江屋事件秘話 了)

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近江屋事件秘話 平中なごん @HiranakaNagon

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