三 邂逅

 ぐずぐずしていると、一階で寝ている店の者も物音に気づいて起きてくるかもしれない……いちいちまた戻るのも面倒なので、俺は窓から外へ飛び出すと屋根伝いにしばらく西へ走り、人気のない裏路地の四辻で地上へと降り立つ。


 誰の目にも触れず、近江屋から脱出することができた。さあ、後は薩摩藩邸に行って結果を報告するだけである。


「ああ! やっと見つけたぞ! てめえ、俺の鞘と下駄を返しやがれ!」


 だが、その時だった。


 不意に背後でそんな大声がしたかと思うと、そこにはあの浅葱色にだんだら・・・・の羽織を着た男達が立っていたのだ……新撰組である。


 しかも、その大声を発した人物、槍を携えたその男には見憶えがあった。先刻、鞘と下駄を拝借したあの隊士だ。


 誰もいないと思って油断していたが、どうやら辻の角を曲がって歩いて来たようである。


 まさか、こんな所で出くわすとは……もしや、あれからずっと俺を捜しといたのか? ずいぶんと執念深いことだ。


「人が小便してるところを襲うたあ、卑怯なことしやがって! この新撰組十番隊隊長、原田左之助にケンカ売るたあいい度胸だ! 覚悟しやがれ!」


 その新撰組隊士はそう言って怒鳴り散らすと、手にした槍の穂先を俺の方へと突きつける。


 同時にその背後に控える数名の隊士達も次々に抜刀してその目に殺気をたぎらせる。


 まずいことになった……闘って勝てぬこともないが、無駄な戦闘は極力避けたいところだ。


 俺はじりじりと後退りながら逃げる拍子を見計らう。


「……ん? そこにいるのは新撰組か?」


 だがそこへ、不意に背後から近寄る一団の気配がしたかと思うと、そんな男の声がまたも聞こえた。


見廻みまわり組与頭(※組長)の佐々木只三郎だ。如何した?」


 近づいて来たその一団の先頭の人物は、俺達の方を睨みつけながら続けてそう問い質す。


 この黒羽織の一団は見廻組か!? なぜこんな所にいたのか知らぬが、ならばますます厄介なことになった……。


 京都見廻組……それは新撰組と並ぶ、京の治安維持のための幕府の武装集団である。こちらも手練れの集まりとして知られ、中でも与頭の佐々木は〝小太刀日本一〟と称されるほどの腕前と聞く。


「血の臭いがするな……賊か。助太刀いたす」


 鼻をくんくん動かした佐々木は、状況を察すると腰の大小二刀をすらりと抜き、後の者達もそれに続いて抜刀すると身構える。


「邪魔をするな見廻組! こいつとは因縁がある! それにこの界隈は俺達新撰組の縄張りだ!」


「賊を見かけては捨ておけん。この殺気かりしてかなりの手練れだ。壬生浪みぶろなどに任せて取り逃がしてはことだからな」


 見廻組の担当は二条城や御所周辺のため、その管轄違いに文句をつける新撰組であるが、見廻組の方も方で手を引く気はまったくないらしい……。


「ぬかせ! とにかくこいつは俺の獲物だあっ!」


「参る!」


 その言葉と同時に、原田なる新撰組隊士は槍を素早く繰り出し、佐々木も二刀で斬りかかってくる。


 その一瞬の合間に、俺は心の内で身の振り方を思案する……。


 佐々木に加え、この槍捌きからして原田もかなりの手練れらしい……他にも隊士が大勢いるし、いくら俺とて分が悪かろう。


 さりとて逃げるにしても、前後から挟まれたこの状況ではそれもまた至難の業だ。


 やむを得ん。あまり使いたくはなかったが、我が一族秘伝の術を使わせてもらうこととしよう……。


「なっ…!?」


「なぬ…!?」


 双方から迫る刃が襲いかかった瞬間、俺の身体は黒い霧のようになって霧散し、標的をすり抜けた刃先は危うく各々違う相手を傷つけそうになる。


「うおっ…と!? ……な、何が起こった!?」


「消えた!? ……もしや狐狸妖怪の類か?」


 そのまま霧散して夜の闇に消えた俺に、勢いづいた腕をなんとか止めて同士討ちを免れた二人は、ひどく驚いた様子で周囲を見回している。


 無理もなかろう……これは我が一族秘中の秘、まさに南蛮から渡ってきた祖先が母国で〝もののけ〟と恐れられた忍の術なのだ。


「な、なんなんだよ、いったい……?」


「不貞浪士に加え、妖怪変化まで跋扈ばっこし始めたか……」


 まるで狐にでも抓まれたような面持ちで狼狽える彼らを他所よそにして、見えない身体となった俺は悠々とその場を後にした――。

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