第42話 マンデラーの夫婦たち

 「パパー!出張の日、決まった?カレンダーに書いた?」

 莉花がキッチンからお弁当を二つ持って、リビングへ来た。カレンダーの前には理真がいて、何やら記入中である。

 「私は書いたからね!塾の曜日が今週だけ変更になったから」

 「有難う理真。真人は変わりがないから……私の出勤もいつもと同じだし。残るはパパ」

 「それがさあ、まだ決まってないんだよ。取りあえず今週は無いと聞いているからスルーで」

 「分かった!ハイ、お弁当。行ってらっしゃい」

 「有難う。稼いで来るか~」

 「よっ!大黒柱!」

 「真人!行ってらっしゃい、でしょう!」

 「あ、ママ、僕は来週給食当番だった」

 「来週ね、オッケー!ハイ、理真のお弁当」

 「有難う!真人、そろそろスクールバスが来ちゃうよ!行こう!」

 「まだ大丈夫だよ……ねえ、お姉ちゃんさあ……」

 「何?私は遅刻したくないからもう行くよ?チャリ通にとって一分一秒が勝負なの」 

 「僕んちみたいなことやってる家ってないよね?これ、僕んちだけらしいよ?」

 莉花と綾人が大学生時代にお互いのスケジュールを把握していた習慣が、結婚した後にも活かされていた。

 今ではファミリーカレンダーという家族全員のスケジュールを書き込めるカラー別の記入欄が予め印刷されていて、ひと目で月間や週間の予定が把握可能な便利なカレンダーを使っている。

 莉花と綾人は自分の手帳にも同じ機能がある物を愛用している。電子、ではない。超アナログな手書きである。

 全て莉花か綾人、どちらか一方でも世界線を移動した場合の「もしもの際の保険」なのであった。

 毎週月曜日の朝に、を各自記入する。それを当たり前のように続けていた。

 「そうかな?わりといるんじゃない?共働きで忘れっぽいパパとママみたいな人」 

 「忘れっぽくて悪かったわねぇ。このカレンダーのお陰で助かってるのは確かよね。ほら、スクールバスを待たせちゃ大変よ、早く行きなさい」

 「行って来まーす!」

 「行きまーす……」

 「行ってらっしゃい!……さて、私も戸締まりと最終武装のメイクを施さなくちゃ」

 


 家族ごと世界線を越えた疑惑が幾度となく過去にあったことなど子供たちには分かるまい、と莉花は苦笑いをしながらため息をついた。


 もし、世界線を移動してしまったら……?初動捜査に因んで、初動確認作業と名付け、取り決めておいた。

 その時に最初に確かめるなのである。

 「が無かったら、に跳んだ証拠になるな。『ヤバい!この世界線にはが無い!』ってな」

 「冗談に聞こえないところがマンデラーよね……」


 『パパとママは、どうやって知り合ったの?』 

 『ねえ、最初はどこであったの』


 理真がまだ今の真人くらいの時に口にしたあの言葉。

 一瞬答えることを躊躇った自分がいた。綾人が代わりに答えてくれたっけ。

 それまでは育児や家事に追われていたせいか、平行世界移動などすっかり忘れていた。

 子供たちがそれまで大嫌いだった食べ物がある日食べられるようになったり、出来なかったことが急にやり遂げられるようになったのは……?まさか、子供たちの成長だけではなくて、世界線を移動していたのだろうか……?

 そんな感情こころが呼び水になったのだろうか。ある夜、莉花は夢を見たのだった。


 夢の中で、莉花は自宅のリビングにいた。綾人や理真、真人もいない。

 昼間か夜かも分からない。部屋は薄暗く、朝方かもしれない。電気を点けようとスイッチのところへ手を伸ばすが、いつもの場所になかった。

 ……まさか、世界線を跳んだ……?

 薄暗いリビングの、カーテンがある方角に足を向けた。その視界に、ぼうっと白い壁紙のような物が見える。

 だんだん薄暗がりにも目が慣れてくる。ぼうっと見えた物は、大きなカレンダーであった。

 下の方は細かい字まではっきりと見えた。小さな丸っこい字で『理真、そろばん検定』と書かれていた。


 ……そろばん……?理真はそろばんなど習っていない。スイミングスクールへ通うかどうか悩んでいる最中である。

 もう少し先に、赤そうなペンで花丸が付けられた箇所があった。ひときわ目を引く大きな字で、『結婚記念日』と書かれていた。

 ……えっ?これ、いつのカレンダー!?

 日付は確かに自分の結婚記念日だ。大きなカレンダーなので、月の表示が上の方を見上げないことには見えない。

 薄暗がりの中、顔を上げて良く見ようと目を凝らした。

 ……それは五月のカレンダーであった。

 結婚記念日だ。自分たちの結婚記念日と同じだ!

 ドキドキしながらカレンダーをめくって他の月の分を見よう、と腕を伸ばしたところで、目が覚めたのであった。


 『……夢……?』

 夢にしては、とてもリアルな夢であった。スイッチを探して壁を触った感覚や、裸足でリビングのフローリングの上を歩いた感触。

 結婚記念日は、初代たちが逢えなかった、オープンキャンパスが催された日を選んだ。五月二十六日である。

 何故か、涙がひとすじ頬を伝わった。胸の中が暖かい。


 ……どこかの世界線の莉花、に入っちゃったのかな……。我が家も結婚記念日をお祝いしなくちゃね。


 あの夢がきっかけとなり、カレンダーに家族全員の予定を書き込むようになったのである。


 どこかのもこうやって、カレンダーに書いているのかな……?もしかしたら、綾人パパだったりして?


 どこかの私もあのカレンダーを夢の中で見たように、このカレンダーを見るのかな……?


 莉花は、あることを思い付いた。

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