第4話 想起

「······綺麗。車があんなに小さく見える」


 地上四十五階のツインルールの窓から見下す横浜の夜景に、来栖舞は感嘆の声を漏らしていた。


 このホテルに到着してから舞は緊張しっぱなしだった。一泊を提案した俺がまさかホテルに宿泊するとは思ってもいなかったのだろう。


 ホテル内にあるレストランのコース料理も。建物の最上階近くにあるジャスが演奏されるラウンジも。


 場馴れしていない十八歳の少女には楽しさより緊張が勝るのは致し方無かった。


「浅倉さん。どうしてこんな所へ連れて来てくれたんですか?」


 シャワーを浴び、若々しい肢体をバスタオルに包んだ舞がそんな事を聞いてきた。今回の宿泊は、俺なりの舞への感謝のつもりだった。


 俺は自分が無精子症だと自覚したのは、十四年前のあの日から数年経過した後だった。当時付き合っていた女性とは結婚を考えており、避妊も深く考えていなかった。


 だが、彼女が懐妊する兆候は全く無かった。俺は彼女と一緒に病院で検査を受けた。彼女には問題無く、あったのは俺の身体だった。


 それが原因で彼女とは別れた。子供が作れない俺はおそらく一生独りで過ごす。そう半ば諦らめていた。


 十四年前に自分が犯した罪。それはまるで、子供が作れない身体は自分に課せられた罪状の様だとも思った。


 俺は金を支払う代わりに舞の身体を自分の物にした。


 それは自分のおぞましい欲望が源泉にあったのは疑いようが無い。だが、舞と一緒に過ごす事で孤独を紛らわす事が出来た。


 俺は確かに舞に救われた。俺は大人気も無く素直に自分の気持ちを舞に伝えた。


「······そんな。私の方こそ感謝しています。浅倉さんじゃ無かったら、どんな危険な目に遭っていたかも知れないのに」


「今日はこのまま別々のベッドで寝よう。代金はちゃんと渡すから心配しないで」


「そんな。貰えません。こんな素敵な所へ連れて来て貰ったのに」


 その時、舞のスマホのバイブが鳴った。舞がスマホを手にしている間に、俺は彼女のバッグに三万円が入った封筒を入れようとした時だった。


 ······バッグの中にあった一枚の写真が俺の目に止まった。俺は何故かその写真を手に取ってしまった。


 その写真には、若い女性と幼児が並んで映っていた。俺は幼児の顔に釘付けになる。その幼児は、舞にそっくりだった。


 だが、舞とは決定的に違ったのは髪の毛の色だった。写真の中でおどける顔をしている幼児の髪の毛は茶色だった。   


 その時、スマホを置いた舞が俺の側にやって来た。


「間違い電話でした」


「······舞ちゃん。この写真は?」


 俺は急に息苦しくなって来た。舞が俺の持つ写真を覗き込む。


「······死んだ母と私の写真です。幼稚園の頃の写真かな」


 幼稚園と言う単語を聞き、俺の心臓は一段と激しく動き始めた。俺は何故舞の髪の毛の色が茶色いのかと問いかける。


「······生まれつき地毛が茶色いんです。学校だと色々うるさく言われるので黒く染めています。浅倉さん? 顔色が悪いですよ」


 舞の返答を俺は蒼白な顔で聞いていたらしい。胸騒ぎと嫌な予感を無理やり忘却しようと俺は懸命に努力し、俺達は別々のベッドで寝た。


 ······そして、俺は十四年前の夢をまた見ていた。山広場の丘に並んで立つ茶色い髪の少女とおかっぱ頭の少女。


 何時も、そして何度も夢で見る光景だ。そして決まって午後の木漏れ日が射し込んで来る。


 ······俺は違和感を覚えていた。今夜の夢は、これから事故を起こす二人の少女の顔が良く見えた。


 ······そうだ。俺は知っている。二人の少女の顔と名前を。姪の冬子を何度も送り迎えしている内に、冬子の周囲にいる友達と俺は顔見知りになっていた。


 ······何故今迄忘れていたんだ? あの茶色い髪の幼児はお喋りなまいちゃん。そしてあのおかっぱ頭の少女は大人しいやえちゃん。


 ······まいちゃん? まさか。まさかあの茶色い髪の幼児は?


 ······来栖、舞なのか?


 その時、女の叫び声で俺の夢は中断させられた。ベッドから飛び起きた俺は、隣のベッドで泣き叫ぶ舞の姿を目撃する。


「······私が殺した。私のせいで八重ちゃんは死んだ! ごめんなさい! ごめんなさい!!」


「舞ちゃん! 落ち着くんだ!」


 取り乱す舞の身体を俺は強く抱きしめる。両目から涙を流す舞の虚ろな瞳が俺を見上げる。


「······浅倉さん。違う。貴方は、冬子ちゃんのお兄さん?」


 舞の生気の欠けたその言葉に俺は絶句する。十四年前、あの山広場で起きた事故の当事者。


 その二人が、眼下に夜景を臨む部屋の中で呆然と見つめ合っていた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る