第3話 虚言
······来栖舞に出会ってからだ。俺は遠い過去の夢を見るようになった。そして夢を見るのは決まって舞を抱いた後だった。
その日も俺は夢を見ていた。十四年前、姪の冬子を迎えに行ったあの日。一人の少女が命を失った。
おかっぱ頭の少女は急斜面から転げ落ち、石の椅子に後頭部を強かに打ち付け意識を失った。
俺の目にはそれ程衝撃があったようには見えなかった。たったあれだけの事で人間は死ぬのかと慄然とした。
打ち所が悪かった。第一発見者であり、山広場で唯一の大人であった俺は後に刑事からそう聞いた。
実況見分と調書を取る為に、俺はその刑事と何度か顔を合わせた。中年特有の体臭にタバコの匂いが混じった出来れば余り近付きたくないタイプの刑事だった。
これは事故だ。振り返った茶色い髪の幼児の肩に触れ、おかっぱの頭の少女はバランスを崩して斜面を転げ落ちた。
俺はこの目で見た光景をそのまま刑事に話せば良かった。だが、俺は事実と異なる証言をしてしまった。
······あの日から十四年経過した。自分でも当時の心境が定かでは無かった。何故俺はおかっぱ頭の少女が単独で転げ落ちたと虚偽のを証言してしまったのか。
今思うと、恐らく俺はあの茶色い髪の幼児の事を庇ったのかもしれなかった。
事故とは言え、茶色い髪の少女とその家族は一生重荷を背負う事になる。おかっぱ頭のの少女の家族も同様だ。
単なる不運な事故。そうすれば、誰もが諦め納得すると俺は浅はかに考えてしまったのだろう。
だが、俺は気付きもしなかった。重荷を背負い込んだのは他の誰でも無く自分だった。俺は意識して過去の自分の過ちを忘れようと努めた。
「······やえちゃん。やえちゃん」
夕刊を配達しているバイクの音で目が覚めた時だった。隣で眠る舞がうわ言の様に誰かの名を呼んでいた。
そして程なく起きた舞が、帰り支度の為に恥ずかしそうに俺の前で下着を着始めた時だった。
「舞ちゃん。良かったら夕飯食べていかないか?」
俺は突発的に舞を夕食に誘った。それはまるで、一線を守っていた男女の境界線を越える行為に似ていた。
俺は舞を誘ったものの直ぐに後悔していた。舞の目的は高校卒業後独立する為の資金を稼ぐ事だ。
望んでもいない情事が終わった以上、舞が俺と一緒に過ごす必然性は皆無だった。
「······はい。犬の散歩の時間までなら」
舞は張りのある豊かな乳房を無防備に見せながら静かにそう返答した。俺と舞の間に在った空気感に変化が生じたのはこの時だった。
俺は独身生活で培った数少ないレパートリーの料理を舞に振る舞った。その内に舞も料理を手伝う様になり、俺達は身体を重ねた後に一緒に料理を作る事が日課となった。
帰りが遅くなると、俺は舞を家まで送るようにもなった。当初堅い表情を崩さなかった舞も、随分と柔らかい表情を見せる様になった。
その度に俺は思う。警戒心が薄れた舞の表情は十八歳の少女であり、その舞の身体を貪る自分はとんでもない悪党だと。
「また寝言で言っていたけど、やえちゃんって友達?」
「······それが。全く知らない名前なんです。心当りが無くて」
舞との契約期間が残り半月になった頃、俺は舞を送る途中、彼女が度々口にする寝言の話題を口にしていた。
「目が覚めるといつも忘れてしまうんですけど、誰かの夢を見ている気がして。そう言えば浅倉さんと会うようになってからです。その夢を見るようになったの」
そして彼女は続ける。俺が何かの夢でうなされている場面を目にしたと事があると。
······舞が言う俺の夢とは、十四年前の夢だ。妙な気分だった。そう言えば俺も舞と出会ってからだ。
あの木漏れ日が眩しかった山広場の夢を何度も見る様になったのは。俺は過去に犯した罪を夢で断罪されている気がした。
その罪の意識から逃れる様に、もう直ぐ愛人契約が終わる相手に明るく振る舞う。
「舞ちゃん。今度の金曜日、一泊出来るかな?」
俺の誘いに舞は暫く考え込む。舞の姉夫婦は週末にそれぞれの愛人の所へ泊まりに行く。そう舞から以前聞いていた。
「······犬の散歩があるので、夕方からなら大丈夫です」
微笑した舞の身体を真冬の西日が包み込む。その舞の姿に、俺は一瞬呼吸をする事を忘れていた。
彼女のその顔に、何処か現実離れした既視感を俺は覚えていた。
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