第2話 愛人契約

 ······来栖舞(くるすまい)と出会ったのは二ヶ月前の初冬の夜だった。仕事帰りコンビニで週刊誌を立ち読みしていた時、突然横から女に声をかけられた。


「······あの。良かったら私を三万で買って貰えませんか?」


 俺は少女が何を言っているのか瞬時に理解出来なかった。少女は長い黒髪を後ろで束ね、縁無し眼鏡をかけていた。紺のブレザーの制服に砂色のマフラーを首に巻いていた。


 少女はどう見ても高校生位に見えた。頭の中が回転し始め、俺は少女にからかわれているのだと半ば確信した時だった。


「······ご、ごめんなさい」


 少女は怯えた表情でその場から駆け出し店外へ消えた。俺はそれを無言で見送り、立ち読みを再開したが全く集中出来なかった。


 程なくして俺も店を出た。坂道を下っていると、曲がり角にある信用金庫の入口にさっきの少女が居た。


 寒空の中、階段に腰掛けていた少女に俺は声をかけた。少女は驚いた様子で俺を見上げた。


 ······何故少女はコンビニで俺に声をかけてきたのか。後になって俺は当の本人からその理由を聞く事になる。


「······浅倉さんが雑誌のグラビアを見ていたから」


 理由は単純明快だった。三十四歳の男がコンビニで若い半裸の女の身体を眺めていた。この欲求不満そうな男なら自分を買ってくれるかもしれない。舞はそう思ったのだろう。


 翻って俺は何故舞に声をかけたのか。舞が俺に言った非日常的な言葉に俺は興味を持った。


 息が詰まりそうな繰り返しの日常。この少女に関わる事でそこから一時的でも抜けられる。俺はそんな錯覚をしていた。


 ······違う。本当は売春を提案してくる少女に既に欲情していたのだ。自分を繕う建前を排除すれば、残ったのは浅ましい色欲だけだった。


 俺は少女とチェーン店のカフェに入った。大人として社会的常識を既に踏み越えていた俺は、少女に幾つかの質問をした。


「······単刀直入に聞くけど急いでいる? その。お金を得る事に」


 俺は注文したカフェオレを飲みながら、探るように少女に問いかける。


「······いえ。急いではいません。ただ、お金を貯めたくて」


 少女はココアが入ったカップに一切手をつけず、両膝に両手を置いたままそう答えた。少女の名は来栖舞。


 高校三年生の十八歳。親とは死別し、今は母方の姉の家で世話になっている。だが、その家の居心地が悪く、春の卒業と同時に家を出たいと考えていた。


 舞の叔母は結婚していたが子供はいなかった。夫婦ともに働き、夫婦共に浮気相手が存在し二人は家にはろくに帰って来なかった。


 舞は叔母から家事と犬の世話を任されており、自由にアルバイトが出来る状況では無いと言う。


 自分の身体を売る行為を深く考え抜いた訳では無かった。偶然コンビニで俺を見かけ、突破的に売春を俺に持ちかけたと言う。


「······その。援助交際のリスクって考えた事ある?ああ。これは説教じゃないんだ。基本的に俺は君の申し出を受けようと思っている。その前の事前説明みたいな物かな」


 俺の口先三寸に、舞は不安そうな表情で聞き耳を立てる。頼る親もいない無力な少女につけ入る悪辛で汚い大人。


 この時の俺は、そんな配役を楽しんですらいた。同時にこうも考えた。自分の身体を売ろうとする少女の身体的、精神的な負担を最小限にしてやりたいと。


 その欺瞞と偽善に満ちた自分のおぞましい姿を俺は俯瞰しながら妙に得心していた。これが自分の本性だと。


 俺は舞に懇切丁寧に説明した。一般の素人。それもただの学生である女性が売春をするリスクを。


 先ずは性病だ。舞の身体を買う男達が律儀に避妊をする保証は何処にも無かった。そしてそれは、望まない妊娠の危険も含んでいた。


 そして犯罪に巻き込まれるリスクだ。相手の男に乱暴、または写真を撮られ脅迫される危険性。


 果ては薬物を打たれ薬漬けにされるケースや拉致監禁される可能性まで俺は示唆した。誠実さの成分が欠落した俺の説明を聞き入り、舞の顔色が青褪めていく。


 その顔色一つ見て取ってもよく分かる。舞は本当に深く考えずに俺に売春を持ちかけたのだろう。


「そのリスクを全て無くす方法がある」


 詐欺師が人を騙す時。それは今の俺の気分と同じだろうか。俺のその台詞に、舞は眼鏡の中の両目を見開いた。


 売春のリスクを限りなくゼロにする。それは、信用出来る相手と愛人契約を結ぶ事だった。


 性病が無く、女性に妊娠させる可能性を持っていない。そして約束した料金を必ず支払う。


 それらに条件に俺は全て該当すると舞に説明した。その後は拍子抜けする程話はすんなりと進んだ。


 俺は舞を自宅のマンション前で待たせ、部屋から持って来たある診断書を舞に見せた。その診断書の病名には「無精子症」と書かれていた。


 俺が女性を妊娠させる可能性は皆無だった。そして俺は日を改めて病院で性病の検査を受けた。


 そして検査結果を舞に見せる。余計な事かと思わないでも無かったが、自分の源泉徴収票も見せる事にした。


「······よろしくお願いします。浅倉さん」


 こうして俺は舞と愛人契約を結んだ。舞と会うのは週に二日。舞の身体の対価に俺が差し出す金額は三万円。


 期間は三ヶ月。舞は身体を売った代償に総計七十四万円を手に入れ、高校卒業と同時に自活する資金にする。



 ······ベットで舞に起こされた俺は、覚醒しきっていない両目を彼女の胸に向ける。透き通る様に白く柔らかい胸を無造作に触る。


 眠りに落ちる前に使い果たした筈の欲望を、俺は舞の身体に再びぶつけた。


 


 

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