幼稚園
ひとマス空けて向かい合った「歩」と「歩」は最初に手を出した方が取られる。手を出したのは僕たち東軍の棋士、酒井だった。
一歩前に出た僕の前の「歩」は向こうの「歩」に取られ、その「歩」をようやく動けた「香車」の僕が取ったけれど、たちまち真向いの「香車」に取られ、僕は西軍の陣地の監視台の横に椅子ごと移動した。
東軍西軍どちらとも何か意図があって指した手ではなかったらしい。
へぼ将棋には違いない。
取り合えず駒は動いたので盤上は少しだけ躍動した。
持ち駒になり、盤の外の西軍の陣地に入るといよいよ暇になった。
いや、そうではなかった。
僕は頭の中を幼稚園の日々に帰して、必死に椎名さんのいた場所を探していた。
本当にいたのか?椎名さんが、あそこに。
神棚と仏壇のある家に生まれた僕が入園した幼稚園はキリスト教系だった。
蔦の絡まる教会の建物の横が細長い園庭だったが、年少クラスからいたらしい園児たちが多数を占める園内で、年中クラスから入ってきた僕はうまくなじめなかったのだ。入園した当初の違和感は結局二年間克服されることはなかった気がする。
たしか年中の時はリス組と言った、年長ではウサギ組。でも、その時の僕たちのクラスに大体何人位の園児がいたのか、担任は誰だったのか。
いろんなことが思い出せない。
弁当を食べるのが遅くて、先生に怒られながら食べた。
少し仲良くなった吉田君は関東大震災の話ばかりしていた。でも、吉田君は椎名さんではない。
ジャングルジム、滑り台、ヒーローごっこ。誰かと遊んだ記憶は勿論あるけれど、顔まで思い出せるのは数人だった。名前は猶更だ。
女の子の名前で憶えているのは、男勝りで時々泣かされた家の近くの「山口製パン」の山口さん位のものだった。
椎名さんがどこにいたのかは、やっぱりわからない。
ふう。
顔を上げると、今や敵となった東軍の奥の真ん中に「王将」のビブスをつけて椎名さんは座っていた。
この子が、いたのか、あの園内のどこかに。
僕が彼女を見つめていると、椎名さんと目が合った。
切ない目線。
あ?
知ってる。この目。
ああ!そっか!
見つけた。いた。
青空の下、僕は玉ねぎの皮を剝くように幼稚園の頃の彼女との時間をめくり始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます