第12話

 次にやってきたお客は老紳士であった。テーラードジャケットを羽織り、帽子に仕立ての良い革靴、上から下まで正に紳士を体現したような人物だ。リクはそろそろユコに独り立ちの準備をさせようと考えていた。故に彼の案内をするのは彼女の役目である。

 「ようこそ、当館へ。私はユコです。」

 「これはどうも、ご丁寧に――私は鈴木という者です。」

 挨拶をするユコに会釈した老紳士は緩やかに微笑んだ。リクが見ている限り、彼女が案内をするためには良い練習相手となるだろう。

 「鈴木さん、本日は私がご案内させて頂きますね。失礼ながら、ご事情はおわかりですか?」

 「ええ、それは勿論。家内が先日亡くなったんですがね、彼女はそれ以前にも一度此方へお邪魔しているんですよ。どんな絵画を観られるか楽しみです。」

 「そうだったんですね、奥様はどんな方だったんですか?」

 そういった世間話をしながら二人と後ろに控えるリクは満天の星の部屋へと進んでいく。どうやらこの老紳士の奥さんという人はリクが少し前に案内した人物のようだ。通常の案内だったにも関わらず、何度も礼を言われたために彼は彼女をよく覚えていた。ファイルを確認するユコは大分慣れた様子で星を引き寄せ始める。慎重ではあるが、これならば今回の件を持って研修は卒業になるだろう。

 「家内の言っていた通りですね。浮かぶ絵画に絵が動く――これはどうだろう、」

 そうして老紳士が絵画に触れた途端、いつも通りに部屋の景色が変わって何処かのパーティ会場のようなものになる。優雅な生演奏のクラシックと、踊る人々。若き日の紳士が、女性と踊っている。顔ぶれを見ても、此処は日本ではないようだ。そう考えている間に景色は星空へと戻り、不思議そうな顔をする二人と懐かしさを噛みしめるお客が残った。

 「あそこはイギリスのダンスパーティ、そこで家内と出会ったんですよ。私は一目ぼれでね。」

 そう言って老紳士は小さくウインクをした。ユコは古い時代のそういった文化に興味があるらしく、目を輝かせている。

 「お嬢さん、この老いぼれと一曲踊ってくれないかね。」

 そうして手を差し出す姿は優雅そのもので、誘われたユコは自然と彼の手を取っていた。紳士がリズムを取りながら上手に彼女をエスコートし、彼らはくるくると満天の星の中を踊った。社長令嬢だった彼女は、こういったダンスもお手の物だったとリクは思い出したが職務中だぞとツッコミを入れたいのを耐えることにする。今は揉めているわけではなく、お客と案内人のユコが踊っているだけだ。

 「ユコ、そろそろ――。」

 「ああ、失礼。お時間を取らせてしまいましたね。このあとは旅に出るとか。」

 「あの、鈴木さん、ありがとうございました。金平糖をどうぞ、下でお祭りをやっていますから……そこで少し休まれてから召し上がってくださいね。良い旅を。」

 「久しぶりに踊ることが出来て楽しかったですよ、ありがとう。お嬢さん。」

 老紳士は帽子を持ち上げて挨拶してから部屋を出ていった。そして初の一人での仕事を終えたユコは、ほうと息をついた。

 「最後のダンスは兎も角、合格かな。次の仕事からは独り立ちということで、館長に報告しておくよ。」

 「ありがとう、リク君!それにしても素敵だったなあ、ああいう時代って憧れちゃう。」

 その言葉自体には問題がないが、それは観者としての域を超えるのではないか、そうリクは危惧した。しかしこれを伝えることは間違いなく、何かしらの不利益を彼女に与えるだろう。そう考えながら館長室へと向かった。

 「入れ。」

 「失礼します。ユコの件でご報告を。」

 「嗚呼――あの金柑の気に入っている小娘か。」

 室内には珍しくヒカルが控えているので、敢えてその呼び方をしているのだろうことを察して、この二人、実は仲が良いのでは?などとリクは思ったりもするが、口にすれば何が起こるか保証が出来ないのでそれはやめておいた。改めて姿を館長は相変わらずの最新ファッションに身を包んでおり、傍らにある盃は金箔の貼られた頭蓋骨だ。やはり彼とは趣味が合うことはないだろう。しかしヒカルも共に飲んでいたらしいので、盃は二つ用意されている。いつの間にかそちらを注視しすぎたか、副館長から話が飛んできた。

 「リク、貴方も一杯いかかです?盃は生憎と調達してこなければなりませんがね。」

 悪い冗談である。レプリカだと思っていたそれも、この館長ならば本物ということもあり得る。しかしながらその邪推も、館長の報告を促す一言によって止めることになった。

 「ユコですが、この件を持ちまして独り立ちさせます。」

 そう言って差し出したのは先程の老紳士についての情報が書かれたファイルである。研修の卒業の書類も付け加えてあり、館長はそれを副館長であるヒカルに丸投げした。己の気に入った者は己で処理せよ、ということらしい。

 「お疲れ様でしたね、リク。新人教育というのも悪くはないでしょう?」

 「僕の教育を引き受けたことを後悔していた貴方がそれを言うのですか?」

 「おや、言うようになりましたね。君は私よりもトシ君に似てきたのかな――それは残念だ。」

 誰も変人に似たくはないし、自分は自分であるとリクは思った。しかし反論してしまうと、それを足掛かりに全力で弄られかねないのでやめておくことにする。

 「それでは、失礼いたしました。」

 リクは一礼して館長室を出た。不思議なものが色々と置いてある部屋だが、館長の雰囲気のせいであの一室に入ると誰しもが緊張してしまうのである。あそこで平気でいられるのは副館長とその代理だけだろう。

 「よう、リク坊。」

 彼がほっとしたところに声をかけてきたのは東行である。普段はあまり姿を見せないが、才谷とは顔見知りらしく観者ではないものの、館への出入りが自由な数少ない人物である。つまり彼も、資格を持ちながら観者になることを断ったということになる。しかしたまに館へ現れては、こうして誰かしらに声をかけていくのだ。

 「これは才谷から君にと預かってきたものだ。受け取ってくれ。」

 しかし本日は声をかけるだけではなく、リクは渡されたものに驚きを隠せずにいる。

 「それは僕が才谷に渡したものだが、才谷は同じものを君に渡すようにと話した。彼は読めない男だ、せいぜい気を付けた方がいい。」

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