第9話

 そしていつも通りにお客はやってくる。ユコにとっては初めての経験である。広いエントランスに入って来た彼は好青年だ。

 「ようこそ、当館へ。僕はリクと言います。彼女はユコ、僕の補助としてお客様をご案内いたします。」

 「どうも、こんばんは。」

 軽い挨拶を交わした三人はいつものように長い廊下を歩いていく。お客である好青年はいくつもある扉に興味を示したが、リクはそれに反応することはせずに満天の星が輝く部屋へと二人を伴った。

 「何とも……素敵な部屋ですね。」

 「お褒め頂きありがとうございます。ご紹介させて頂いたユコは本日が初の仕事ですから、何か粗相があったら申し訳ありません。」

 話しながら、ファイルを確認したリクはそれをユコへと渡し、星を引き寄せるようにこっそりと指示を出した。

 「失礼ながら、お客様はご事情をおわかりですか?」

 「ええ、――何となくは……俺は長いこと闘病生活を送っていましたから、時間が来たのかと。或いは、夢かな?」

 冗談のように言う彼は、頭の後ろを掻いたがとても落ち着いた様子である。リクは彼の件ならばユコも初仕事を経験するのにちょうどいいだろうと安堵した。タイミングよく不慣れながらもユコは全ての星を引き寄せ終わったらしく、ファイルをリクの元へと戻した。浮遊する絵画の数々に青年は目をぱちくりとさせているが、リクはいつも通りに案内をする。

 「当館は貴方のための画廊――お客様、おひとつお選びください。きっと気に入りますよ。」

 浮遊する絵画の中には様々な映像が浮かんでいる。ユコには事前にマニュアルのようなものを渡していたので、彼女が驚く様子はない。

 「あの、一つ質問しても良いですか?」

 ところがお客である彼が声を発したので、二人の意識は確りとそちらへ向いた。リクが「どうぞ。」と促すと彼は話を始めた。

 「俺には彼女が居たんです――、それがとても綺麗な子で……一緒に旅行に、なんて話もしていたんですが、この通り叶わず終いになってしまって。それで、出していただいたこの絵画の中にはないんですが、彼女との思い出のシーンを観たいんです。出して頂くことは出来ませんか?」

 「そうですね――、不可能ではありませんが……此方の彼女は違うのですか?闘病中に寄り添っている女性です。」

 「ああ、それは家内です。彼女とは違います。病気になったせいで、彼女とはずっと会えずじまいで。」

 どうやらこの男は数股をかけていたようだ。倫理的に許される行為ではないが、この手の願いはよくあることなのでリクは動じない。しかしユコはそうもいかなかったようだ。

 「それってどういうことですか!?」

 「ユコ。」

 「奥さんがちゃんと看病してくれてるのに!なんて人なの!!」

 「彼女も家内もお互いを知りません、俺の作戦は完璧でした。ですから、わかりはしませんよ。」

 悪びれた様子もなく男は言うが、ユコの怒りを収めるどころか増幅させていくばかりだ。

 「ユコ、黙らなければ君を退出させなければならなくなる。それでもいいか?」

 「――ごめんなさい、リクくん。」

 一応謝りはしたが、まだ怒りの収まらないらしいユコは拳を握り締めて耐えている。それを傍目にリクは客に歩みより、謝罪代わりにと一礼した。

 「大変失礼致しました、ユコはまだ不慣れでして。ご希望の件については、一部のみ許可出来ます。ご覧になられますか?」

 「あ、出来るんですか?じゃあお願いします。」

 リクは徐に星のひとつを引き寄せた。青年がそれに触れると、星空の景色は一面の紅葉へと変わった。若いカップルが二人でベンチに座っている。

 「ごめんな、親父が勝手に結婚を進めたせいで――。」

 「いいんだよ、分かってて付き合ってたんだもの。それにお義父様が言っていらっしゃった、身分が釣り合わないっていうのは本当のことだしね……私は庶民で、建くんは御曹司。私は――、大丈夫。建くんが元気で居てくれたら、私は満足。だから時々で良いから、わ。」

 必死に言葉を紡ぐ彼女を彼は抱きしめた。腕の中の彼女は震えているが、彼は必死にその背を摩って慰めようとしている。今回のお客である青年は、家業のために政略結婚を強いられていたのである。

 「今度旅行に行こう、由美。お前がずっと行きたがってた、奄美でも何処か外国でもどこでも。結婚さえしてしまえば、あとは自由なんだ。それを条件に婚姻届けを出すことを認めたんだから。」

 「建くん……それは奥さんに悪いよ、」

 「大丈夫だって、互いに情なんてないんだよ。政略結婚なんてそんなものだ。」

 そして場面は切り替わり、病室の中である。先程抱きしめていた女性とは別の女性が、彼に寄り添い懸命に世話をしている。

 「静香さん、いつもありがとう。馬鹿息子が申し訳ない、よりにもよって女と旅行中に事故を起こすなんてな!目が覚めたら一度ぶん殴ってやる。」

 「いいえ、良いんです、お義父様――私がお二人の仲を引き裂いてしまったんです。私が健太郎さんを好きだったばかりに、私の父が勝手に結婚の話を進めてしまった……それが事の元凶です。申し訳ございません、嫁として私は失格でした……申し開きの仕様もございません。」

 必死に何度も頭を下げる奥さんに彼の父親は申し訳なげにして部屋を出て行った。しかし、途端に横たわる彼に寄り添った彼女の口許には笑みが浮かべられている。

 「誰にも渡さない――健太郎さんは私の王子様、……女は即死、車に細工をしておいて本当に良かった。……早く戻ってきてね、」

恐ろしく優しい声が彼の身体に纏わりついて、愛しげに彼の胸元を撫でる手は彼が着けていたもう一人の彼女と揃いのネックレスを引きちぎった。それは無残にも床に投げ捨てられてしまう。

そうして部屋の様子は満天の星に戻って、衝撃の事実を知ったお客の青年が膝をついた。

 「仕組まれていた!仕組まれていたんだ!!」

 そうして最愛の彼女が即死だったことについても知らずだった様子で、頭を抱えてしまう。そこにリクが一言添えた。

 「お客様、お連れ様が貴方をお待ちしたいと部屋の先におられます。会いに行かれますか?」

 「ああ!決まってる!!そうさせてくれ。」

 「かしこまりました。ではあちらの扉からお出になってください。これはお二人に――、下でお祭りをやっていますからデートにもぴったりでしょう。この先の旅は長くなります、どうかお二人ともお気をつけて。」

 二人分の金平糖を手渡したリクは恭しく一礼してお客二人を見送る。呆然と見ていたユコも慌てて礼をする。

 「リクくん、ごめんなさい。」

 「良いんだ、最初だからね。今回はたまたまお客もお連れの方が待っていて丸く収めることが出来た。でもこれで人には事情があるということがよくわかっただろう。僕達は観者であって裁きを行う者ではない。彼らは星の温情を受けるには相応しい人達だった。それを見誤ってはいけないよ。それに、君はやはり感情移入が過ぎる。最後の、彼の奥さんを見ただろう。もし間違った者に感情移入してしまったときはどうなるか――。」

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