第8話
余暇を与えられたということは、そのあとは物凄く忙しいということだ。それはよくよく決まりきったことである。その日はずっと働き詰めだった、彼らが配った金平糖がいくつになるかなど数えたくもない程だ。館長の補佐をしているはずの副館長代理までもが駆り出されている。観者に年越しの概念はなく、新年を祝う概念もない。だがこの時期に館を訪れる者が多いのは確かな事実なのである。多くは天寿を全うした高齢者が殆どだ。
彼らは先に待っていた夫や妻との再会を喜び、そして心残りなく旅立っていく。ある意味で平和な時間であった。
ある夫婦は共に絵画を観賞し、子や孫との想い出を温かく見守る。あの特例のように彼らが生を全うしたあとのことは描かれないので、美しい想い出だけが彼らに残るのだ。彼はそうしているうちに大分、感情移入する癖が抜けてきていた。勿論、感動することはある。しかし以前ほどではなく、ヒカルやトシもお墨付きを与えるほどだ。
そうして彼女はやってきた――以前、副館長の言っていたリクと関わりのある、この館で働く候補者だ。
「えーと、今はリクくんだっけ。本名を呼んじゃいけないんだってね、ここ。」
「ああ、そうやって決まっているんだ。誰も互いの素性を知らないし、もし知っていても口には出さない。それが暗黙のルールってやつでね。――適正検査は受けたの?」
「うん、受けたよ。なんと合格―。私の本名は裕子、だから今後はユコって名乗りなさいってさ。見習いとして宜しくね、先輩。」
ユコはにっこりと笑った。彼女が何故、と思ったがそれは聞かないのがルールである。しかし彼女についてリクは確かに思い入れが深かった。密かに片思いをしていたからである。彼らはひとまず部屋へ戻って話をすることになる。副館長の計らいで彼は彼女の教育係となったのだ。
「この洋館?って広いんだね。」
「ああ、僕も最初に来たときは驚いたよ。さあ、これが君の制服だよ。あまり可愛くはないけど我慢して。」
リクが彼女に渡したのは上下黒の燕尾服である。ここで働く者は基本的にそれを身に纏うことが決められている。女性である彼女には少々、嫌な服装かもしれないと思ったが姿見の前で服を合わせている彼女からはあまり嫌悪のような感情は覚えない。
「なんだか執事さんみたい。どうせならメイドの方が良かったけど仕方ないね。」
「そうだね。じゃあ僕は外に出ているから、着替えが終わったら呼んで。」
リクの心境は複雑だった、彼女が此処に来ることになった理由がわからないのだ。裕福な社長の娘として生まれ、多才で見た目も良い。正に才色兼備を絵に描いたような人物である。不仲な両親の元で孤独に育った自分とは違うはずだ。
「リクくん、どう?似合う?」
着替えを終えた彼女は部屋から顔を覗かせてにっこりと笑った。言葉を受けて思考を止めたリクは確りと頷いて、微笑みを投げかけた。嬉しそうに、見えているだけかもしれない彼女を連れてやって来たのは、あの資料室である。二人ならば問題ない、というルールに則っているので叱られたり何か咎を受けることもないだろう。教育係として必要なことはまず、彼女に対してこの仕事についてを教えることだ。そしてリク持ってきたのが「観者と星の画廊」と書かれた文庫本サイズの本である。相変わらずリクの周りに星は漂い、本を照らす手伝いをしてくれる。
「わあ、可愛い。いつもこうなの?」
「うん、此処は星の温情を受けられるかどうか精査する場所でもあるから――星は僕達にとって大切な存在なんだ、勿論星にとってもね。」
「なんだかリクくん、変わったね。前よりはっきり喋ってるし。」
「ここに居る間は誰かしらと話さなければならないし、僕等がいた世界で言えば観者は接客業だ。まず観者の基本からだね――、」
――「観者」とは星の加護を受けし画廊と館を護る存在である。星の温情を受けるに値するか否かを測る存在でもあり、館を訪れる者に対して案内を司る者のことを指す。
「つまり、此処にくるお客さんを案内して――?」
「ああ、金平糖を渡すんだよ。あれは星の欠片にも例えられるだろう?此処にやってきた人たちがそれを渡しても良いって判断されると旅のお供に、と言って渡すことになる。」
「じゃあ、渡してはだめってときもあるのね。」
「あるね、僕はこの目で見たんだ。壮絶だったよ。」
リクはトシとの一件を思い出して身震いしたが、彼女が続きを待っているので思考を何処かへ飛ばして仕切り直すことにした。
――「館」は星の加護によって、訪れる者の画廊を作り霊魂を鎮める。遺恨のないようにするため、そしてその生死と輪廻が速やかに行われるよう。観者は共に絵画を観賞し、見極めよ。そしてそれが速やかに行われることを見届けよ。
――最後に。「この画廊及び館は人間のためのものであり人間のためのものにあらず。」
リクはこの本を選んで正解だった、と思った。何故ならば、観者となる人物についての記載がないからである。彼は彼女にそれを知られたくはなかったのだ。
「じゃあユコ、少しはわかったかな?これは僕も言われていたんだけれど……、僕等は多くの人の死を目の当たりにすることになる。でも、どんなに深い事情が見えたとしても感情移入してはいけないんだ。初めのうちは恐らくそれに悩まされるだろう、僕もそうだった。でも何があっても、介入してはいけない。「観者」は観る者と書くだろう?僕はそういうことだと思っている。暫くは僕の補佐をして回って、それから独り立ちだ。」
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