第2話

 リクが大分仕事に慣れ始めて一人立ちをした日のことだ、やってきたお客は一人。まだ小学校に上がったばかり程度の幼い少年であったが、此処に足を踏み入れられるということは、つまりお客なのである。彼は確りと薄汚れたクマのぬいぐるみにしがみついた。

 「ようこそ当館へ、僕はリクと言います。――ご事情はおわかりですか?」

 リクがいつものように丁寧に礼をしようとすると、彼が怯えた表情を見せていることに気が付いた。親の居ないこの世界はさぞかし不安であろうと、リクはなるべく丁寧な対応を心掛けることにする。

 「あの……ここ、」

 事情を全く理解していない様子の幼い彼は、リクが目を合わせようと膝をついたが頑なに目を合わせようとはしなかった。彼が首を振ったのと同時に、そこへ煙草の火を押し付けられたような痣を見つけてしまい、リクは思わず目を伏せた。しかしお客を迎えた以上は職務を全うしなければならず、ファイルを手に取り情報を眺めることにした。

 「ここは画廊、絵を観るところですよ。きっとお客さまも気に入るはずです。」

 リクはゆったりと話しかけながら、廊下を進んで行く。いつも通りに

 「……金持ってないよ。」

 「それは心配しなくても大丈夫、此処は君のための部屋なんだ。」

 扉の先には既に満天の星が映し出されている。少年は、ぬいぐるみを抱いたまま恐る恐る案内に従って中へと入った。それを確認したリクはファイルで確認を終えたあと、速やかに星をいくつか集め、それをあっという間に絵画に変えてしまった。

 「あ!ママ!!」

 少年は不思議そうにその様子を眺めていたが、嬉しそうに一枚の絵画へ走っていった。絵画の中の母親と思われる女性が少年にクマのぬいぐるみを手渡している。その様子を傍目に見ながらも、観者であるリクは他の絵画も観なければならなかった。そのいくつかには不快感を覚えるものばかりで、彼は顔を顰めた。しかし、そうしている間にリクの着ている燕尾服の裾が引っ張られた。此処にいるのは彼と少年のみ――、つまり少年が彼の裾を掴んだのだ。

 「あの……触ってもいいですか、あれ。」

 少年が示したのは先程のクマのぬいぐるみを渡す絵画である。リクはすぐに頷いて、彼の手を引き動くそれに触れた。

 場所はとあるアパートの一室。お世辞にも片付いている様子はないが、少年は嬉しそうに母親の帰ってきた玄関へ走っていく。

 「ママ!今日はおしごともういいの?」

 「うん、ママ、お仕事やめてきちゃった。でもこれ。」

 そうして差し出されたのは、少年が大事に抱えていた綺麗なクマのぬいぐるみである。

 「ゆうくん、ママ少し出かけてくるから良い子で待っていてね。」

 この絵画は此処で終了してしまった。元の満天の星の世界が戻ってくると、少年は嬉しそうにぬいぐるみを撫でている。この場面は彼にとって大事な場面なのだろう。

リクが他の絵画を観た限り、「良い子で待っていてね。」という言葉は何度も使われ、そして言われた本人は母親が数日帰って来ないことを自分のせいだと思い込んでいる様子であった。しかしまた別の絵画では母親が男連れで帰ってきている。

 ――ああ、いつものパターンか。

 老夫婦の件からいくつか仕事をこなして慣れ始めた彼は、小さく呟いたが少年はそれに気づかずぬいぐるみを確りと抱きしめている。

 「でも……これは特殊案件だな、……はー、館長のところに行かなくちゃならないのか。」

 「お兄ちゃん、どうしたの?」

 「いいや、何でもないよ。そのぬいぐるみはママから貰ったんだね。他に観たい絵はあるかな?」

 「うーん、ない!良い子にしてたらママが帰って来てくれるの!……でもママ、このがろー?ってところ、わかるかな?」

 「きっとわかるよ。」

 貼り付けた笑みではあったが、少年は安堵したらしく小躍りでも始めそうなぐらいに機嫌が良い。それに比例するように、リクの気分は重くなっていったが仕事はまだ残っている。

 「じゃあゆうくん、これは僕からのプレゼント。外ではお祭りもやっているから、楽しんでおいで。ママには伝えておくから、お祭りの法被を着た人にその金平糖を見せてね。」

 「お兄ちゃん、ありがとう!」

 そう言って少年は館を出ていった。彼が母親に出会うことは二度とないだろうと思うと、何とも言えない気分になりリクは余った金平糖を袋から出して一粒口に含んだ。

 「うん、――味がしない。」

 「おや、仕事を終えたようですね……リク。大分この仕事も板についてきたのでは?そして、その金平糖は我々が食べても何も意味がありませんよ。栄養分もないですし。どうせなら食事にしましょう。それよりも先に、別件ですか?」

 少年をぼんやりと見送ったリクの側へぬっと現れたのは、この画廊の副館長であるヒカルである。何か面白いことでもあったかのような笑みを浮かべているが、基本的にこの人は、ただの見せかけであろう笑みを崩すことはしない。変人のようで読めない男、それがヒカルなのだ。

 「おや……、噂をすれば、ですね。では私はこれで。」

 現れたのは中世のマントを纏った、威厳たっぷりの館長である。面妖な様だが、それにツッコミを入れる度量はリクにはない。ヒカル曰くあれは最新ファッション、とのことだが、以前そう教えてくれた彼はそそくさと何処かへ行ってしまい、リクはこの館長と二人きりで話さなければならない。

 「ふん、金柑は相も変わらず逃げ足の速い――そして小童よ。」

 「はい、館長。」

 「礼は良い。はやに、要件を申せ。」

 そう言って、館長は足早に歩き始める。脚のリーチの違うリクは、ついていくのがやっとではあるが指示通りにしなければ頭蓋骨の一つや二つが飛んできてもおかしくはないのだ。

 「先程の少年の件です。」

 「それは既に存じている。」

 それで?とでも言いたげな館長は館の中でもよく装飾された部屋へリクを通す。この部屋には黄金が目立ち、何処で拾ってきたのかわからない色々なものが置かれている部屋である。特に目立つのは先程もリクが恐れていた、頭蓋骨の置きものといくつかの茶器である。

 「彼は事案の三に相当します。管轄内のことですし、彼の母親が来館された際はそれなりの措置が必要かと。」

 「――うむ、よきに計らえ。」

 リクは持っていたファイルから少年の詳細が書かれた一枚の紙を館長へ差し出したが、すぐに判を捺されたそれは塵のように消えた。

 「ありがとうございます。」

 誰かを使うのに慣れているこの館長は何の違和感もなく、用が済んだのならば帰れと手で合図した。リクも長居はしたくないので、ろうそくの灯りしか灯らない部屋を出た。

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