観者の画廊

秋名 理鶯

第1話

 お祭りの夜店が建ち並ぶ街道、賑わう人の波をいくつもの提灯が照らしている。その道を少し過ぎたところ、小さな鳥居は喧騒とは少し離れて別世界の様相を呈していた。鳥居があるからといってそこに神社があるわけではない。しかし、その向こうの世界は――。


 「リク、お客が来ますよ。それでなくても年の瀬は何かと忙しいというのに、私が教育係とはね。何ゆえに引き受けてしまったのやら――いいえ、あの人の嫌がらせとしか思えませんね。」

 今日は彼の初仕事の日だった。しかし彼を呼んだ当の本人は、ぶつぶつと愚痴をこぼしている。勿論リクは不安げであったが、研修担当者がいつも通りの様子で側にいるというのは実のところ心強いものだ。

 「でも副館長が側に居るっていうのはとても心強いです。」

 リクは必死に目の前の師を鼓舞しようとしているが、その様子が空回りに見えたらしい彼は目を細め、軽く笑って見せた。まあ、変人の帰来のある彼が笑ったところで安堵感を得られるかと言えばそうでもないが。

 外の和風なお祭りの夜店とは似つかわしくない、この建物は和洋折衷を実現したそれなりに美しい建物である。もし他の建造物に例えるならば鹿鳴館にもよく似ているように見える。しかも、この場所を知っている「人間」は存在しないのだ。しかしながら二人は客を待つ。そして初の仕事で緊張気味のリクはエントランスの外を眺めた。提灯が照らす街並みは意外にも明るく、少し遠くから見ても輝いて見えるというものである。何となくそれが幻想的ではあったが、生憎と彼がそれに対して何らかの感情を抱くという余裕はなかった。彼が深呼吸をしていると、恐る恐るというように大きな扉が少し開いて、客と思しき人物がエントランスを覗いているのがわかる。その音で意識を扉の方に戻したリクは再び緊張感を覚えてしまう。そこへ師である彼が先んじて、扉を開けに向かった。

 「ようこそ、当館へ。私は副館長を務めさせて頂いております、ヒカルと申します。」

 恭しく頭を垂れた彼の上司に、慌てた様子のリクは忙しない様子ながらも共に頭を垂れた。彼よりも先に顔を上げていた副館長ことヒカルは何処からか取り出したファイルを少し眺めてからそれを彼に手渡し、目の前の老婦へと微笑みかけた。普段の様子を知らない者からすればヒカルのこの表情はとても人当たりの良いものに感じるらしく、まだ事情をよくわかっていない様子の老婦は白い着物を纏ったまま館へ足を踏み入れた。

 「お客様のご案内は、このリクが担当いたします。新人ゆえに粗相があるかもしれませんが、大目に見て頂けると助かります。――私は側に控えていますから、頼みましたよ。」

 「……紹介に預かりましたリクと申します。宜しくお願いします、その――大沢さん。」

 ヒカルから渡されていたファイルを覗いていた間に紹介が済んでしまっていたために、リクは一瞬固まってしまったが不安げな老婦を見ると自分がしっかりせねばならないという使命を思い出し、ぎこちないながらも彼は彼女へ微笑みかけた。彼女は優しげな様子で「お願いしますね。」だなどと声をかけてくれるので、彼は安堵を覚えながら仕事を進めていくことにする。

 この広い館にはいくつもの部屋が存在している。しかし彼は他の部屋へ続く扉に意識を移すことなく、教わった通りにファイリングされた場所へと向かっていく。時折、客である老婦が後をついてきているか確認はしたが、広い廊下を抜けて「肆」と書かれた部屋の扉を開け、彼女に中へ入るよう促した。

 「えーと……ご事情は、おわかりですか?」

 扉を確りと閉じたことを確認してからリクは、辺りを少し気にしている様子の彼女へ話しかけた。

 「ええ、少しだけなら――。でも主人の姿が見えないの。貴方、知っていらっしゃる?」

 品の良い口調で質問をする彼女へ椅子を勧めて、リクは先程のファイルを開くと内容を再確認していく。

 「えー……ご主人は数年前に当館へお越しのようですね――、ここに情報が残っています。しかし、再会の前にお召し替えなど如何です?折角ですから。」

 「ふふ、お世辞がお上手ね。こんなおばあさんだもの、もうそんな――、まあ……懐かしい。」

 言葉を続けた老婦の側へ何処からともなく現れた全身鏡に映る彼女は品の良いワンピースを身に纏って、先程までの老いだけを消し去り、すっかり変貌を遂げた。彼女は鏡を数度見つめたあと、皺だらけだったはずの手を確認している。

 「これは貴女のご主人の希望でしてね。」

 後ろで控えていたヒカルが出て来て、小さく彼女にウインクをした。

 「ありがとう。このワンピースのことを知っているのは彼だけだから、間違いないわね。」

 「お気に召したようで何よりです。さて、準備が整ったところで、少々お付き合い願えますか?マダム。」

 先程までは案内の全てをリクに任せるような口ぶりだったヒカルが前に出て、若い奥さんになった彼女へちゃっかり手を差し出している。彼は変人の割にこういったところは抜かりないのだった、とリクは思った。ヒカルは確りと彼女をエスコートして部屋の奥へと進んでいく。

 「まあ、このお部屋、とても綺麗ね。」

 自分達が満天の星の中に浮かんでいるように見える室内は先程の古い洋館の様相とは違って、「現代的な」プロジェクションマッピングでも行われているのではないかと思うほどに幻想的だ。若返った彼女は活き活きとして辺りを見回している。先程までの老いによる穏やかさも何処かへ失せたかのようだ――いや、文字通りに彼女は確りと若返っているのである。その記憶を持ったままに。

 「リク。」

 ヒカルに名を呼ばれた彼は返事と共に小さく頷いて、ファイルに記載のある星のいくつかを文字通り引き寄せた。そして彼がそれらにファイルを翳すと、いくつもの動く絵画が彼らの周りへふわりと浮かんだ。

 「当館は貴女のための画廊――お客様、おひとつ絵をお選びください。きっと気に入りますよ。」

 ヒカルがいつも通りの台詞を言ったので、リクは諦めて研修のときと同様に彼の補佐をする仕事に専念することにした。

 軽やかに絵画を見て回る彼女は、そのうち迷うことなくひとつを選んだ。リクがそれを覗き込むと自転車に乗る青年と、その後ろに腰掛けワンピースを着ている年頃の女の子が見える。しかしヒカルはすかさず彼女の手を取って、優雅ながらも有無を言わさない様子で絵画へその手を触れさせた。その瞬間、満天の星は消えて先程の油彩画の中に入ったかのように景色は変わって、客である彼女は案内人である二人の存在を忘れ絵画の登場人物として二人乗りの自転車を楽しんでいる様子である。

 「何も知らずに楽しむ、呑気なものよ……これが太平の世、平穏なのか――。」

 木陰から冷たい視線を送るヒカルは、徐にリクの肩をぽふりと叩いた。リクが自分より背の高いその手の主を見上げると、冷ややかな瞳の奥に何かが見えた気がしたが特に言葉を発する気にはなれなかった。

彼らが楽しむ二人を暫し眺めていると景色は洋館の一室へと戻る。朗らかな表情を浮かべる彼女は「ありがとうね。」と二人の男へ声をかけた。

 「とんでもございません、これが我々――観者――の仕事ですから。さあ、ご主人がお待ちですよ。」

 結局、新人に仕事を任せることをやめたヒカルは微笑みを貼り付けたまま、そのまた奥の部屋を指し示した。その先には絵画の中の青年が一人。若い夫婦は軽く抱擁を交わしてから、二人揃って礼をする。しかし次の瞬間には新婚のような雰囲気を醸し出す彼らが、館の二人の存在を追い出した。

 「――たま子、この先で祭りをやっているんだ。その……良かったら、」

 「はい、もちろん。待っていてくれたんでしょう?」

 「お、おう。当然だろう。」

 「貴方ったら相変わらず照れ屋さんね。……ヒカルさん、リクさん、改めましてありがとう。お陰様で主人とも再会出来たし、――あとはお祭りを楽しむだけね。」

 微笑み合っていた二人だが、夫人が思い出したようにリクとヒカルへ声をかけ悪戯っぽく笑った。そろそろ彼らとはお別れの時間のようだ。

 「ええ、是非とも楽しんできてくださいね。お二人にはこれを、――星の欠片に似ているでしょう。旅には甘いものが必要ですから、“お祭りが終わったら”よく噛んでお召し上がりくださいね。」

 ヒカルが差し出した二つの小袋には綺麗な金平糖がいくつか入っている。それを受け取った若い夫婦は再び礼を言って、仲睦まじく部屋を出ていった。

「――副館長。何故いずれ還っていくのに、わざわざ?あの金平糖まで渡して。」

 「さあね、私にもよくわかりませんよ。でも私と君には使命がある、これが贖うということです――人の幸や不幸を近くで感じ、そしてそれを全うしなかった或いは出来なかった私達にずっとそれを観よというのですから。まあ、なかなかに惨い話ですが致し方ありません。それに誰も思わないでしょう、その川辺にこの画廊があるなんてね。」

 二人が話している館の窓の外には寄り添い歩く若い夫婦の姿があったが、彼らにとってそれは既に些末なこととなっていた。

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