第5話「真実を話すなら、何も覚えておかずに済む」

2000年4月11日


 翌日。大場教授室。

大場はパトロンに対する週次の報告資料を作成しながら、アーヴィンに問いかける。

「昨日のデータの解析は済んだのかね。」

「はい。僅か4.6秒間ですが――、僕を守ろうとする彼女の『願い』をトリガーとして『AG細胞』を覚醒させたことを確認しました。」


アーヴィンが写真を差し出す。光による白飛びが酷いが、背景から能力発動実験が行われた実験室の監視カメラの画像だということがわかる。そして、その中心に真っ白な"天使"がいた。

「これ、は・・・。天使・・・か・・・?」

「いいえ、能力発動状態のマリアです。」と、アーヴィン。


「三研の洞口教授が改修した特殊細胞は『悪意』を増幅する前提で作られており、『Grievous Goliath(危険な兵士)細胞』、通称『GG細胞』と呼ばれています。」

「それくらい知っておる。それがどうした。」

「この天使の出現時、マリアの『AG細胞』は『GG細胞』と比較して約128倍の出力値を観測しました。」

「128倍だと…?どうしてそこまで性能に差がある?計測機器の不具合ではないのかね。」


「この『特殊細胞』は、『悪意』を伴って発動すると、”濁る”とでも表現すればいいでしょうか。性能が落ちます。だからこそ、彼女の純粋な『願い』によって発動されたこの力は――」

「その本来の性能を叩き出したというわけか!」

「そういうことです。」


「素晴らしい!私の研究は洞口を出し抜いたぞ!」

興奮し席から立ちあがる大場を、アーヴィンが頭を少し下げ、右手で諫める。


「ですが、高岡教授の研究している『欲望』を用いた細胞は『DesireVictim(欲望の犠牲者)』細胞、通称『DV細胞』と呼ばれ、『悪意』を浄化しない点以外は『AG細胞』と酷似した性質となっています。」

「これで満足していては『DV細胞』が『AG細胞』を超える可能性がある、ということか。」

「その通りです。なので――」


大場はにやり、と口を歪めると、仰々しく言葉を紡ぐ。

「よかろう、君は継続して『AG細胞』の研究担当を続けるといい。」

「もしこの研究が成功すれば、君を次期リーダー候補に推薦していいかもしれないねぇ。」


「ありがとう、ございます。」

アーヴィンは深く頭を下げ、大場教授室を後にした。


---


 廊下を闊歩しながら、アーヴィンは考える。

今、『特殊細胞』を改造している研究室は3つ。


一つ目に、自立行動・自己増殖する性質を持たせた『GG細胞』。使用者は人格が汚染され、『悪意』のまま行動する兵士となるらしい。先日聞いた話だと、兵士の意識をリンクさせてリアルタイム情報共有を可能とする『GGネットワーク』の構築にも成功したと聞く。


二つ目に、『欲望』をトリガーとし、ヒトの原始的(プリミティブ)な本能を用いて個体の性能を高めた六研の『DV細胞』。GG細胞ほど量産の手軽さはないものの、単体の性能はその数倍にも及ぶとのことだ。


三つ目に、『願い』をトリガーとし、悪意を徹底的に排除した『AG細胞』。

欲望がベースにある点はDV細胞と同じだが、特殊細胞の性能を完全に引き出せる。だが、特殊な手術が必要であり、今成功しているのはマリアの一例だけだ。


ここで最も実用的だと判断されたものが投資の対象となり、実践投入される。

本来ならば被験者を増やしてサンプル数を稼ぎたいところだが、マリアほどの適任者がそうそう見つかる訳もない。

ならば今後やるべきことは「AG細胞の稼働安定化」と「単体で数を凌駕するほどの高性能化」か。


マリアの顔を思い浮かべる。きっと彼女なら、適当な言葉を並び立てれば今後も研究に付き合ってくれるだろう。それが例え非人道的行為だとしても、人々のためと言えば、笑顔で応えてくれるはずだ。


ここで、情に流されて、過去の僕の努力たちを無下にするわけにはいかない。


---


 アーヴィンが面談室に入ると、マリアが手元の小型テレビで「ハリー・ポッター」の映画を観ていた。おそらく研究員が提供したものだろうが、彼女の意識はその中にはない。

だが、物音でアーヴィンに気付くと、ぱっと笑顔になった。


「あ、アーヴィン!この間はごめんね。あれから考えたんだけど、私・・・」

「やあマリア。この間は申し訳なかったね。あの場で君を庇うわけにいかなかったんだ。済まない。」

と、アーヴィンが遮る。


「う、うん・・・私は平気。アーヴィンは――」

「さっそくだが、今日からは能力発動の訓練に移ろう。この間見せてくれた君の姿は素晴らしかった。」


できるだけ被験者に情を抱かぬよう。

それでいて、被験者の信頼を損なわぬよう。

アーヴィンは笑顔のまま言葉を続ける。


「あの力をいつでも出せるようになれば、君はたくさんの人を救うことができる。」

事前に考えておいた言葉を、連ねる。

「さ、実験室に行こうか。」


ここにいる僕はアーヴィンではない。ただ実験に必要なことを、マリアに伝えるための研究員。

組織の一員だ。


先に面談室を出ようとするアーヴィンの背に、マリアが言葉を投げかける。

「‥それであなたが救われるなら、私はあなたについていくよ。」


思わず振り向いたアーヴィンが見たのは、いつもと変わらぬマリアの笑顔だった。

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