第2話「A.D.1999」

1999年7月13日


研究室のラジオから垂れ流されるFM放送のバラエティ番組。

コメンテータが話しているのは「ノストラダムスの大予言」に関する与太話だ。


窓から臨む山景は、昇りたての朝日で輝き始めている。

ふぅ、と視線を外に投げたアーヴィンは、その眩しさに目を眩ませた。


この研究所を建造したのは『能力開発研究機関』。

諸外国に対する軍事力を持てないことを憂いた老人たちをパトロンに持ち、人間を超越した兵士『超越者』の研究所として、『国民総兵士化』を目的に見据え秘密裏に活動していた。


年齢にしてまだ19になったばかりの彼は、生まれた瞬間からこの研究に従事することを定められていた。元々は彼の祖父が、日本から多大な支援を受けプロジェクトに参画した事に起因する。以来、彼の家系はこの研究に携わっていた。


「国のため、超越者を創り出す」。顔すら覚えていない両親が彼に課した業。

彼にとってはそれが世界の全てであり、この日も変わらずそうだった。


---


 アーヴィンが慣れた手つきで専用のカードキーを用いて書類管理室を訪れると、管理官が本日持ち出し予定であろう書類を受付カウンターに広げていたところだった。


「今日も新しい被験者の受け入れかい。」

と、管理官はアーヴィンに声をかける。

「おはよう加賀さん。連日参るよ。最近は研究者じゃなくて面接官になった気分だ。」

「『特殊細胞』の開発は成功したんじゃなかったのか。」


先述した超越者開発の根幹となっているのが、人間の性能を底上げするための『特殊細胞』の研究である。その『特殊細胞』の人体への適用が成功したことは、研究所内でも話題になっていた。

だが、未だ実用化への話が一切出ていないことも同時に知られており、加賀を始める研究職以外の職員たちの話の種となっていた。


「実質、失敗だよ。『特殊細胞』を人体に埋め込めば、確かに魔法のような力を使えるようになる。だけど同時に"悪い子"になっちゃうんだ。」

「"悪い子"?ただの細胞が人格に影響をもたらすってこと?まさか。」

「宿主の『悪意』を増幅させる副作用があるんだ。規律を求められる軍隊では、とても運用できないよ。」

「なるほどなぁ。ただ単に強い兵士を造ればいいってわけじゃないわけね。」


「求められているのは、『従順に言うことを聞く強いワンちゃん』なんだよ。」

必要な書類を揃えたアーヴィンは、去り際にワンワンと小さく鳴いた。


---


『特殊細胞』を埋め込まれた人間は特殊な能力を発動することが可能になる。

しかし、人間の僅かな悪意を拡大させて、人格を歪めてしまう。


ならば、限りなく悪意がない人間に適用すれば、副作用なく実用化できるのではないか。

その実験のため、次々と被験者を入れ替える必要があった。


「だが、そんな人間が実在するのか。」

被験者の待つ面談室に向かう最中、アーヴィンは思考を巡らせる。

仮に実在したとして、それが副作用無効化へのきっかけになるんだろうか。


「考えるより先に、トライ&エラーだな。パンドラの箱を空にするまで。」

「――我が国のために。」


小さく呟いて決意を新たにしたアーヴィンは、迷路のような通路の果てで辿り着いた応接室のドアをノックした。


---


 この奥多摩研究所は、築後年数で言えば決して新しい建物とは言えないが、毎年天文学的な予算が投入され、その中身は最新鋭の設備に作り替えられている。


その資金源であるパトロンの面々は社会的地位の高い人物揃いであり、彼らを迎え入れる応接室は煌びやかな部屋としてリノベーションされていた。何も知らない人間から見たら、まるで王宮の一室のような見た目だ。


その部屋の中心に置かれたソファの端に、明らかに場違いな少女がぽつん、と腰かけていた。


年は16くらいだろうか。

腰まで伸ばしたロングヘアは白にも近い金色で、陽の光を浴びてきらきらと輝いている。髪から覗く瞳もまた金色。くりくりした目は恐怖心が見て取れた。

白と黒の制服に包まれた体は明らかに緊張でこわばっており、触れれば折れてしまいそうな恐ろしささえ感じる。


「こんにちは。僕はアーヴィン、姓はない。」

少女を見つけたアーヴィンは、不慣れながらも無理矢理口角を吊り上げて笑顔を作る。

が、その表情がよほど恐ろしかったのだろうか。少女は彼の顔をまじまじと眺めると、泣き出しそうな顔で言葉を捻りだした。


「私のこと…食べてもおいしくないよ?」


想定だにしていなかった発言に一瞬動きを止めてから、ははっとアーヴィンは吹き出す。

「君はなんと言われてここに来たんだい。食べないよ。」

ふいに年相応の笑顔を見せたアーヴィンに少し気を緩めたのだろう、少女は照れ臭そうに目線を外す。

「や、ほとんど何も聞かされてなくて。『人類の平和のために君の力が必要なんだ』って言われたよ。」


・・・どうせならもう少しマシな嘘をついてくれ。

呆れた表情を彼女に見せないために1秒ほど天井を見上げたアーヴィンだったが、すぐに気付く。


―――なるほどね、これでついてくる人間は悪意の欠片もない聖人君子のお人好しってことか。それなりに考えてるじゃないか。

よほどの馬鹿かもしれない、という思考を拭い、言葉を返す。


「そうだよ。だから君が必要なんだ。そういえば、君の名前は?」

「私はマリア。マリア・ローライト。よろしくね、アーヴィン!」


「・・・ところで、キミずいぶんつかれた顔してるね!」

ててて、とアーヴィンの傍に寄り、顔をじっと見つめるマリア。

「あぁ、済まない。しばらく寝ていなくて――。」

「がんばってるんだね。よしよし。」

アーヴィンが言葉を言い終わる前に、マリアの手が彼の黒髪を優しく撫でつけた。


―――なんなんだこの子は。パーソナルスペースが狭すぎる・・・。

たしか"1/f(エフぶんのいち)ゆらぎ"とかいう周波数だったか。この子の声はきっとそれだ、自然と心を休めてくれる。


そんなことを想いながら、アーヴィンは職務も忘れてしばし初めての感覚に身を委ねた。


 数分ほど過ぎた後、はっと我を取り戻したアーヴィンはマリアの手を撫で、「もう大丈夫」と無言のメッセージを与える。

「参ったな。まだなんの説明もできていない。君はいつもこうなのかい。」と、アーヴィン。

「あ、あんまりにやつれてたから、つい・・・。ごめんね。」


「優しい子だね。僕たちは君のような子を探していたんだ。」

 演技でなく素で今の行動をしたであろう彼女の純粋さに一抹の不安を抱えながら、説明を始める。


とある技術の被検体になってほしいこと。

適性検査のために半年ほど自分と面談を続けてほしいこと。

その技術が将来的に戦争に用いられるかもしれないことだけは伏せ、今後の流れをマリアに話す。


彼女には兵士開発という真の目的を知られる訳にはいかない。

そんな僅かな罪悪感に少し胸を痛めるアーヴィン。

話を聞くマリアは「うんうん」と子供をあやすような笑顔で彼を見つめており、まるで自分が品定めされているような錯覚に陥る。


「協力、してくれるだろうか。」

予定していた説明を終えたアーヴィンは、先ほどとはトーンを変えて尋ねる。


ワンテンポ置いて、満面の笑みでマリアが答える。

「私は、難しいことはよくわからない。けど、それが誰かのためになるなら。よろしくお願いします。」


こうしてマリア・ローライトは、研究に参画した。

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