第6話 賢者、旅支度する。

「リュート、旅の支度はできてる?」

「支度……?」


 カトレアからの問いに、リュートは不思議そうな顔で首を傾げながら紅茶を飲んだ。


「支度とは?」

「あらあら……ふふ、学生たちの言っていた通りね」


 カトレアの言葉にまだ不思議そうにしているリュート。

 場所は大学内のカトレアの研究室。テーブルセットでティータイムを楽しんでいたところ、学生たちの話を思い出したカトレアがリュートに問うたのだ。


『カトレア先生、リュート先生が旅に出るって聞いたんですけど……』

『そもそもリュート先生って旅がどういうものか分かってないんじゃ?』

『宿の泊まり方とか知らなそう』

『まずお金の使い方とか分かるのかな……』

『旅支度とかできなさそう』


 などと言っていたが、決してリュートを馬鹿にしているわけではない。心底から彼を案じての言葉だ。

 5年前、リュートの生徒として接していた学生たちは、彼の魔法技能と比例するかのような世間知らずっぷりを良く知っている。

 まるで田舎の親が都会に行った子を心配するかのような思いを、学生たちはリュートにしているのだった。


 そして案の定、旅に出る支度など全くしていなさそうなリュートに、カトレアは楽しげに笑った。

 5年経っても変わっていない彼の世間知らず弱点を、カトレアは愛おしく思っている。


「これから行くのは、リュートも良く知らない場所でしょう? なら、いろんなことを想定して、必要な物をあらかじめ準備しておくの」

「ふむ」


 とはいっても、リュートの魔法士としての力は別格だ。伊達に『賢者』の称号を得ているわけではない。

 並大抵の人や魔物では彼に傷をつけることさえできないだろう。

 荷物は【時空鞄】に大量にしまえ、いつでも取り出せる。

 問題が発生しても【転移】があれば瞬時に脱出・帰還が可能。

 それだけの能力があれば、裸一貫でどこへでも行ける。実際、魔法の研究として出歩く時、荷物らしい荷物は一切なく気の向くままに出掛けていた。


 だが、それでは旅の楽しさも減るというもの。


「そうねぇ……まず、地図は必須ね」

「地図か。確かに」

「あとは、行ってみたい場所を何か所か先に決めておいて、その場所についての本を買ったりするのも良いわ」

「む? それでは行く意味がないのでは?」

「まさか、そんなことないわ。貴方だって、本で読んだ魔法を試すでしょう?」

「ははっ、なるほど!」


 魔法で例えるだけで嬉しそうな表情になるリュートに、カトレアも思わず苦笑する。

 ふと、リュートが何かを思い出すかのように遠くを見た。


「そういえば…………父と母も、別の場所へ行く時にはいろいろと買い付けていたな」


 リュートの両親は、彼が6歳の頃に魔物に襲われ他界している。

 ある意味、その原因となったのが自身の膨大な魔力だと、今のリュートは理解していた。

 魔力チカラがあるから襲われ、戦力チカラがないから奪われた。

 段々と曖昧あいまいになりつつある両親のことを思い出して目を閉じたリュートに、カトレアが案じる視線を向ける。

 しかし、彼女が何かを言う前に、目を開けたリュートは悪戯っぽく笑みを浮かべた。


「しかし、マークは何もしていなかったな。行く先々で誰かの手を借りていた」

「ふふっ、あらあら」


 マークというのは、両親が同時に亡くなり天涯孤独となってしまったリュートを引き取った男で、本名をマーク・アーベントという。リュートのアーベント姓もマークのもので、彼の養子となった。

 そして世界に散らばる『賢者』の1人でもある。

 その通称は“矛盾の賢者”。

 『賢者』は各国で通用する称号であり、どこでもうやまられたりおそれられていたりする者がほとんどだ。

 そんな中で、唯一「したしまれる賢者」として有名であった。


「彼はいろんな所にお知り合いがいるものねぇ」

「そうなんだ。どこへ行っても誰かの家に泊まり食事を振る舞われ……そして感謝されていた」


 “時空の賢者”リュートが時や空間、“朔風さくふうの賢者”カトレアが風の魔法を得意としているように、『賢者』はそれぞれの分野で突出した才がある。

 なので誰が最も優れているかは単純には判断がつかない。

 しかし、『賢者』の中で最ものは誰か、となったら誰しも1人の名前を出すだろう。

 それが“矛盾の賢者”マーク・アーベントだ。


「マークは今もどこかで人助けをしているのでしょうね」

「あぁ。私にも具体的な居場所は分からないが、マークなら問題ないだろう」

「ふふ、そんな彼と長く一緒にいたんじゃあ、旅支度なんて考えもしないでしょうね」


 同じ人物を思い出して笑い合うと、パチリと手を打ったカトレア。


「さ、マークと比較するのは間違いだって分かったところで、支度をしましょ!」


 そんな言い草に、リュートはまた声をあげて笑った。




 リュートの始めの予定では、任された講義が終われば翌日にでも旅立つくらいの考えでいた。

 しかし、カトレアとの会話でしっかりと支度をすることに決め、予定を数日遅らせることにする。

 もとより気ままな旅。数日旅立つのが遅れようが誰も困らない。

 むしろ久方ぶりにリュートと会い、毎日楽し気に彼の世話を焼くカトレアの様子に、良い判断だったと思い直した。


「あ、ここなんてどう?」


 旅に出る本人以上に目を輝かせながら、カトレアが本の開いたページを隣に座るリュートに見せる。

 今は旅で行ってみたい場所をリストアップしているところで、カトレアの研究室には様々な本が集まっていた。

 名の知れた冒険者の自伝、人気画家による風景画集、とある美食家の貴族が出しているグルメ本。

 ここにある本はカトレアが集めた物と、学生たちがすすめてきた物だ。

 自分の故郷を薦める者もいれば、自らの行ったことがある場所を薦める者もいた。

 明らかにリュートを見たいがために本を持ってきた学生もチラホラと見られたが、当の本人が気付いていないのでカトレアも微笑ましく思うにとどめている。


「これは……ウェリアクル王国か。大陸の南西だな」

「リュートは北東のバルド王国の出だから、真逆の位置になるわね」


 テーブルに広げた大陸地図に、ペンを持ったリュートが書き込んでいく。

 こうして本で見つけた気になる場所を地図に書き加えていくと、気付けば大陸中にマークがされていた。

 これまで魔法ばかりに興味を向けていたリュートは、マークだらけの地図を眺めて感心の声を漏らす。


「ふむ。世界は広いな」

「そうね」


 子供のように純粋な言葉に、カトレアが優しい笑みを浮かべた。

 地図には過去にカトレアが訪れたこともある場所も書き込まれており、その時の思い出を交えてリュートに語った。

 途中、研究室を訪れた学生たちの中から冒険者経験のある者が、少し誇張された冒険譚を披露することもあった。

 彼らの話を楽しげに聞いていたリュートが、学生たちが退室するのを見送ると再びぽつりと零す。


「世界は広いなぁ……」

「ふふっ……そうねぇ」


 それから2日ほどかけて書き込みを終える頃には、余白がないほどの地図が完成していた。

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