第4話 賢者、指導する。
「はじめまして、学生諸君。我が後輩たちよ。私はリュート・アーベント。今日は時と空間について話そう」
グルリと周囲を階段状の席に囲まれた教壇に立つリュート。
先日、カトレアが使用していた第1大講堂にて、リュートは5年ぶりに教鞭をふるっていた。
シュゼリオ魔法大学は6年制で、成績によって留年したり飛び級したりする。
年齢制限は上下共になく、10歳で入学したリュートのような存在もいれば、今のリュートよりも年上もいる。
そんな年齢性別才能、全て異なる学生たちが揃って教壇に立つリュートを熱心に見ていた。
相手は『賢者』最年少の”時空の賢者“。まだ年若いからといって
むしろ、自分たちとそう変わらない年代でありながら『賢者』へと至っている鬼才に、尊敬と
同じ魔法の道を歩む者だからこそ分かる。彼の異能ともいうべき才能が。
『賢者』のプロフィールはシュナイゼン魔法大学に通い、卒業し、教授を勤め、そして称号を得るというところは当然、共通している。
しかし、それ以外となると人によって異なっており、名前と性別、年齢くらいしか知られていない者もいれば、出身から家族構成、容姿の特徴や趣向まで開示されている者もいる。
リュートはその後者で、本人がそういったプライベートなことに無頓着な
リュートは、楽器奏者の父と歌手の母という、旅芸人の夫婦の間に生まれた。リュートという名は、父が愛用していた楽器の名からきている。
人間には誰しも魔力が宿っているものであり、その
仮に魔力があっても、初級魔法で使用する魔力に及ばないのなら、魔法士にはなり得ないのだ。
リュートの両親はそんな初級魔法を使うに及ばないような魔力しかない、大多数の人間だった。
しかし、リュートは違った。
2歳で、初めて魔法を発動した。
いくら魔法発動に足る魔力があるからといって、いきなり魔法が使えることはない。当然、そのための知識を勉強しなくてはいけないのだ。
だが、リュートは偶然見かけた魔法士の魔法を見ただけで、見様見真似で発動させてみせた。
魔力の動かし方、魔法陣の形を1度見ただけで記憶し、それが
大の大人ですら1つの魔法を覚えるのにひと月かかることも珍しくない中で、2歳の幼児が魔法を使った。
最悪、我が子とはいえ気味悪がられる可能性もあったが、幸運にもリュートの両親は善良だった。
魔法が特別に得意なだけでリュートは可愛い我が子だと、真っ直ぐに愛情を向け続けた。
そのおかげでリュートは素直の子供に育ち、そんな優しい両親のために魔法を使いたいと思うようになる。
──悲劇が起こったのは、リュートが6歳になってすぐだった。
リュートが生まれてからも旅芸人として各地を巡っていた3人は、ある日、街と街の間にある比較的整備された道の側で野営することになった。
野営自体は特に珍しいことでもなく、その日も両親は慣れた手付きで準備を進める。
6歳だったリュートも手伝いとして道から外れない距離で
その頃から、リュートは感覚的に『空間』というものに敏感だった。
当時はまだ知らなかったが、魔法士が【探知】──魔力による波のようなもの周囲に放ち知覚する魔法。個人により精度は異なる──を使うような状態を、無意識に維持しているようなもの。
その自分の『空間』に、己と両親以外の存在を感知した。
この世界には、魔物という存在がいる。
それは動物が過剰に魔力を宿し変質したものだと言われているが、詳細はまだ判然としていない。
そんな魔物の特徴として、魔力を好むというものがある。
魔物が人間を襲うのも、人間が宿す魔力を得ようとするからだとされている。
とはいえ、魔物も無闇に人間を襲うと手痛いしっぺ返しを食らうと分かっているので、大きな道の側にはあまり近付かない。だから野営するには安全だというのが常識だ。
加えて、その道は大きな街と街の間であり、冒険者や兵士によって頻繁に間引きされている。
しかし、残念なことにリュートの持つ魔力量は、そんな常識を無視してしまうほど魔物には魅力的に映っていた。
魔法士になれない大多数の人間が宿す魔力量を5とする。
そして初級魔法で必要となるのが10としよう。
魔法士となれる者が宿す魔力平均は1000前後。
それに対し、リュートが宿す魔力量は────およそ10万。
リュートが感知したのは、コボルトという魔物だった。
本来なら群れで動くコボルトだが、すでに冒険者にでも攻撃されたのか傷だらけで、1体だけ。
そして何より、とても
目の前の極上な
しっかりと魔法を学び、魔法を訓練した者であれば難なく倒せる相手。
だが、いくら魔法に天才的な才を持つリュートも、それを適切な場面で使うにはさすがに幼過ぎた。
その頃には初級魔法【火球】も覚えていたが、初めて至近距離で見る魔物、しかも明らかにこちらを狙っているコボルトに対して、幼いリュートは悲鳴を上げて怯えることしか出来なかった。
気付けば、何処かの屋内にあるベッドに寝かされていた。
体の至る所に治療の跡があり、微かに血が
両親の姿はなかった。近くにいた者に聞けば、誰しも曖昧な態度で口籠る。
まだ怪我の治りきっていない体で両親を探しに行こうとするリュートに、ついに事実が告げられた。
コボルト討伐の依頼を受け、1体だけ逃げた個体を追っていた冒険者たち。
そんな彼らが子供の悲鳴を聞き慌てて駆けつけたところ、目にしたのはすでに首に牙を立てられ事切れている男女と、今まさに食いつかれようとしている気絶した子供だった。
間一髪でリュートは助けられたが、両親はどうにもできなかった。
それからリュートは目的地であった街の治療院に運ばれ、両親の遺体は教会へと預けられる。
リュートが目覚めたのは、助けられて2日後の朝だった。
幼いリュートは、その現実を受け止められなかった。
思い出される初めて魔物に襲われる恐怖、命の危機、そして大好きな両親の死。
それらが混ざり合い、リュートは暴走した。
魔法士の間では「魔力暴走」と呼ばれるもので、優れた魔力量と魔法干渉力を持つ者が、制御できずに起きる現象だ。
それは魔法という形にすることなく、様々な現象を引き起こす。
例えば、一帯の気温を低下させたり、物を破壊したりと人によって異なる。
リュートが起こした魔力暴走は、強固な壁だった。現実を拒否するあまり、魔力で壁を作ったのだ。
それはただの魔力でありながら並の魔法士の【魔障壁】よりも強固で、まるで空間を切り取ったかのようだった。
治療院の一画に壁を作り、閉じ籠って身動ぎ一つしないリュートの様子に、院の人々はなんとか壁を壊そうとした。
しかし、大の大人が殴ろうが斬りつけようが皹すら入らない。
そんな状態が5日も続いた。
リュートの体はまだ完治しておらず、何より食事も一切取っていない。
このままでは最悪、衰弱して死んでしまうのではないかと思われた。
そこに偶然通りかかった男がいた。
『へぇ、凄いな。まだ子供なのに、こんなに強い干渉力があるなんて』
そんな言葉と共に、いとも容易くリュートの壁を壊してみせた男が、ぼんやりとした瞳をする子供の頭を撫でる。
『はじめまして、少年。私はマーク・アーベントという。君の名前を教えてくれるかな?』
世界に散らばる『賢者』たち。
その1人であるマーク・アーベントとリュートが出逢った瞬間であり、後にリュート・アーベントとなるきっかけだった。
「私たちは常に時と空間に触れているといえる。時が進んでいるからこそ私たちは動くことができ、空間があるからこそ私たちは存在できる。
しかし、時の流れというものは目に見えるものではなく、空間は手に触れるものではない。それを捉えるのは酷く感覚的で難しいものだ。
特に時の流れは過去、現在、未来といった具合に変化し、それによってこちらのアプローチの仕方も変わってくる。当然、難易度もな。
これは今日の講義だけでは説明し切れない。なので、先日カトレアが話していたという【転移】と合わせて【瞬間移動】の話をしよう」
リュートが『賢者』として認められた研究成果は5つある。
その1つが【転移】であり、そして【瞬間移動】だ。
「どちらも空間に作用する魔法であり、その違いは〈発動条件〉と〈移動距離〉だ」
リュートが床を爪先でトンと軽く叩く。
それだけで瞬時に床に2つのひどく複雑な魔法陣が描かれた。【転移】と【瞬間移動】の魔法陣である。
魔法陣を描くには、まず魔法陣を記憶し、魔力でそれを世界へと刻む。
ただ刻むだけではなく、線の1つ1つに必要な魔力配分が存在し、文字の配置や大きさ、線の太さ、描き順など繊細な配慮がいるのだ。
魔法には高位・中位・低位と難易度があり、それを更に上級・中級・下級と分けられる。
その中で【転移】も【瞬間移動】も高位上級魔法に分類されていた。
それを瞬時に2つ。開発者といえど、それだけでリュートがいかに優れた魔法士かが分かる。
『賢者』の名に恥じぬ技巧に多くの学生が感嘆の念を抱き、それ以上の興味を魔法陣へと注いだ。その多くは【瞬間移動】の魔法陣へと向かっている。
【転移】は高位上級魔法といえど『賢者』であれば使える魔法であり、現にカトレアも己の講義で取り上げていた。
しかし【瞬間移動】に関しては、未だ開発者のリュート以外に習得者がいない。
魔法陣の形は紙に残せるが、その魔力配分は実際に目にしなけれな分からないことも多いため、学生はこの貴重な機会を逃すまいと熱意を持って真剣に観察していた。
そして芸術的とさえいえる魔法陣の精巧さに、それを瞬く間に描き出すリュートに、やはり憧憬と畏怖を覚えるのだ。
その様子を見渡したリュートは、くすりと笑いながら講義を続ける。
「多くの者は誤解しがちだが、【転移】と【瞬間移動】はあくまで異なる魔法である。単に【転移】を素早く発動させれば【瞬間移動】になるわけではない」
そういって【転移】の魔法陣へと足を乗せる。すると魔法陣は淡く発光し、発動を告げた。
リュートの姿が掻き消え、学生たちがどこへいったのかと辺りを見渡す。
「【転移】という魔法は、まず己が行ったことのある場所にしか行けない。名前だけ知っているような場所には行けないのだ」
「ひゃあ!!?」
「やぁ、ミレイユ。先日ぶりだね」
「は、はいっ! リュート様!」
講堂の後方より、通路側に座っていたミレイユの隣へと転移したリュートは、親しげにミレイユに声をかけると歩いて教壇へと戻っていく。
「……名前覚えられてた……もう死んでもいい……」「ずるい!」「ちょっとどういうこと!?」「なんでミレイユのこと知ってもらえてるの?!」「とにかくずるい!」
そんな小さな騒ぎも起こっていたが、些細なことだろう。
「魔法の発動にはまず、自分がいる場所と行きたい場所を把握する必要がある。例えば視界を奪われて見知らぬ場所へと連れていかれたとすれば、私も【転移】できないのだ。
諸君らも【転移】の魔法陣を目にしたことがあるのなら、他の魔法陣とは決定的に違う箇所があると知っていると思う。それは何か、答えられるかな。アーレイン」
「へっ!? あ、あ、えっと! 位置情報の入力です!」
「その通りだ。今日は魔法陣にミスはない、上出来だ」
「あ、ありがとうございます!!!」
教壇へと戻る中、その最前列で講義を受けていたアーレインの前で立ち止まると、正確に写生された魔法陣を見て満足げに頷いた。
アーレインが感動でまた気絶しかけているが、それに気付かずリュートは教壇へと辿り着く。
「位置情報とは、ただ土地の名前が分かるということではない。自分が立つのは『世界』のどこなのか。そして『世界』のどこへ行きたいのか。それを正しく認識し魔法陣へと入力することによって、対象を移動させる。
チェスの駒をマスからマスへ移動させるには、まず駒がどこにあるのかを理解しなければならないのと同じだ」
目を瞑ったまま駒を握っても、その駒の現在置が分からねば、行きたい
頭の中に地図を置き、現在地と目的地を正確に把握することが【転移】の肝だ。
ただ発動すればいい、というと語弊があるが、常に魔法陣の内容が変わるのは【転移】の、否、空間魔法と他の魔法を分ける大きな違いである。
「さて、問題の【転移】と【瞬間移動】の差異の話をしよう。【転移】は2つの位置情報を把握・入力することが必須だ。その移動距離によって必要となる魔力量が変わってくる。そうだな……ここからカトレアの研究室までなら、高位下級魔法分の魔力量があれば行けるだろう」
いわゆる初級魔法と呼ばれる低位下級魔法に必要な魔力量が10として、高位下級魔法は300ほどになろうか。
決して少なくはないが、決して手が届かないほどではない。
もちろん同じ校内にある場所へと転移するだけで300も必要となるといえるが、そもそも高位上級魔法に分類される難易度の魔法だと考えればハードルは多少低くなったと思えなくもない。
何より高位上級魔法を使うことは魔法士の憧れであり目標でもある。たとえ近場であろうと【転移】が使えるという事実があれば満足なのだ。
「極論、位置情報と魔力量が十全に整っていれば、どこへでも行ける。それが【転移】だ」
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