第3話 賢者、再会する。

「ちょっと痩せた……ううん、やつれたような気がするわ」


 そう言ってリュートの頬に両手を当てるのは、シュゼリオ魔法大学で教授を勤めるカトレア・メイ・アンドロワーズ。

 『賢者』の1人であり、リュートに『招待状』を送った人物でもある。


 5年間、姿を見せていなかった“時空の賢者”の登場に、第1大講堂は大騒ぎだった。

 正確にいえば、彼が校内に【転移】してきたところから大騒ぎではあったが。

 本来なら学生の騒ぎを収める立場であるカトレアだが、彼女が真っ先にリュートにすっ飛んできた。

 急いでいることの比喩ではなく、文字通りきたのだ。


 “朔風さくふうの賢者”。

 それがカトレアの『賢者』としての通称だ。

 リュートが時や空間の魔法にけた『賢者』であるように、カトレアは風の魔法に長けている。

 彼女が『賢者』の称号を得るにいたった研究成果は【飛翔】の魔法。

 風の魔法により、空を自由自在に飛ぶという、これまでの魔法士の在り方を変えるものだった。

 魔法士とは後衛で魔法を放つのが常識であり、固定砲台のような戦い方をするものだった。

 それが【飛翔】の魔法によって、空中を自在に駆け、敵の攻撃が届かない高みから一方的に蹂躙することが可能になる。

 もちろん、そもそも【飛翔】の魔法自体が難解であり、自在に飛ぶというのも簡単ではないのだ。

 それでも可能性が生まれたというだけで、戦術は大いに広がった。


 しかし、それは戦いに身を置く冒険者や傭兵、軍人にとっての話。

 カトレアが世間的に有名になったのは、【飛翔】魔法そのものではない。

 それを利用した、飛空艇の誕生だ。

 飛空艇の誕生により、世界の物流は倍以上に加速したと言われている。

 これまで迂回うかいせねばならなかった山脈や大河を飛び越えて、直線的に目的地へと迎えるのだ。

 その時間短縮によるメリットは、最も恩恵を得た商人でなくとも分かるだろう。

 当然、飛空艇を造るのにかかる費用は高額で、数も多くない。

 そのほとんどは国が管理・運営しており、一般では国の認めた大商人が個人的に小型飛空艇を所有している程度。

 それでも、これまでよりも物資の行き来が簡単に、そして速やかに行えるようになったおかげで、手に入れられる物が増えた。

 これは多くの民が感じていることであり、『賢者』たちの中でもカトレアの名が広く知られ人気が高い所以ゆえんだ。


「リュートが真面目に仕事に取り組む子なのは知っているけれど、まずは自分の体を大事にしないと駄目よ?」


 心配を色濃く宿したピンク色の瞳に見つめられ、リュートは苦笑した。


「実はその仕事なんだがな。退職したんだ」

「えっ⁉︎ そうなの?」

「あぁ」


 肩を竦めるリュートの様子に、カトレアは何かピンとくるものがあったのか、サッとテーブルに置かれていた彼の右手を取る。


「良かったら、どんな仕事をしていたのか教えてくれるかしら?」

「うん? 構わないが、そう面白いものではないよ」

「いいえ、きっとそんなことないわ」


 にっこりと微笑むカトレアに不思議そうな顔をするも、リュートはここ5年間、母国でどのような仕事をしていたのか話して聞かせた。


 リュートたちが今いるのは第1大講堂ではなく、カトレアが大学内でもうけられた研究室だ。

 といっても綺麗好きなカトレアの部屋はきっちりと整頓されており、普通の私室のようにも見える。

 何より、部屋の中央に置かれた茶会用のテーブルセットが、研究室という雰囲気を壊していた。

 彼女にとっての研究とは、優雅にお茶を飲みながらゆったりと考えるもので、魔法書やらに齧り付くようなことはしない。


『無理はせず、自分が最も“自分らしくいられる”状態にあることこそが、より良い発想を生み出すのよ』


 それがカトレアの思想であり、リュートも学生時代にカトレアから聞かされた言葉だ。

 もっとも学生たちの間では、カトレアに研究の意見を貰いにきたはずが、気付けばただ楽しくお茶会をして帰宅していたりと、落ち着きすぎて逆に集中できないと有名であるが。


 現在、テーブルの上にはカトレア気に入りの紅茶と菓子が並べられ、それを少しずつ頂きながらリュートは語る。

 菓子を摘みながら、そういえば今日はまだ何も食べていなかったな、と思い出していた。


「──と、まぁ、そういうわけだ。私はもう隠居することに決めたよ。さいわい給金は手付かずといっていい状態だし、教授時代のたくわえや継続的な収入源もあることだし」


 そんなリュートからこの5年の仕事ぶり、というより生活ぶりを聞き終えたカトレアは、顔を俯かせたままプルプルと震えている。

 もしや怒っているのかと、リュートは不安げな顔をする。


「カ、カトレア? 怒っているのか?」

「……ふ、ふふふふふっ。えぇ、そうね。私は怒っているわ」

「す、すまない。何か問題があっただろうか? 辞め方が間違っていたか? 確か教授を辞める時には……」

「あらあら、違うわリュート。貴方に怒っているわけじゃないのよ」


 顔を上げたカトレアが微笑んでいるのを見て、リュートは安堵の息をはいた。


「そうか? なら良いのだが」

「もちろんよ。むしろ良く頑張ったっていっぱい褒めちゃうんだから」


 ニコリと笑むカトレアが、空になっていたリュートのカップに新たな紅茶をそそぐ。

 礼と告げてカップに口をつけるリュートを眺めながら、ふと浮かんだことを尋ねてみる。


「そういえば、隠居するとか言っていたわね。具体的に何をするのか、決めているのかしら」

「ふむ。そうだなぁ……」


 20歳になったばかりの人間が「隠居をする」ということ自体には疑問はないのか、カトレアが気にした様子はない。

 10歳でシュゼリオ魔法大学に入学した当初からリュート・アーベントを知るカトレアには分かる。

 おそらく、大人になったら仕事するのが当たり前であり、辞めて働かなくなるのは隠居するということだと考えているのだろう。

 昔から魔法に関しては天才中の鬼才と呼ばれ、学問などの知識にはめっぽう強いリュートだが、こと常識となると凄く弱い。

 そのうえ根が素直なのものだがら、他から「こういうものだ」と言われると「そういうものなのか」と受け入れてしまう。

 それを真面目にこなすものだから、学生時代、その才能をねたんだ他の学生たちに揶揄からかわれていた。

 尤も、当の本人はわらわれようが馬鹿にされようが、特に気にした様子もなく魔法研究に夢中であったが。


 知らない魔法や知識に目を輝かせる子供であり、それでいて周囲の大人さえ唖然とさせる研究成果を出す優秀な研究者でもあった。

 そんなリュートを、カトレアは見守ってきた。血の繋がりはないが、それこそ息子のように思っている。

 その大事な子のここ数年の状況を知り、笑顔の下で怒り狂っているカトレアは、ひっそりととある人物に連絡を入れていた。

 その魔法の動きはリュートも感知していたが、これといった詮索はしない。これは親しい仲の魔法士同士の暗黙のマナーだ。


「うーむ…………いざ考えると、これといって案が浮かばないな」

「ふふ、貴方は昔から時間を潰すたぐいのことは苦手だったものね。研究といって魔法を創って、勉強といって魔法を学んで、趣味といって魔法を改良して……あらあら、本当に魔法ばかりなんだから」

「そうだな。それでよくカトレアに……あぁ、なるほど」

「どうかしたの?」

「いやなに。大学時代にも魔法の研究で体調管理をおろそかにしていた自覚はあったが、それでも倒れるようなことはなかったな、と。何故なのかと思ったが、簡単なことだ。いつも貴女に最後は無理矢理にでも眠らされていたのだった」


 口で言っても聞きやしないからと、【眠りの風】で強制的に眠らされていた。

 “朔風の賢者”に風魔法では勝てず、いつも抵抗する間も無く魔法にかかっていた。

 そんな思い出に懐かしく思うリュートと、先日過労で倒れたという話を思い出し内心怒り心頭なカトレア。

 内心の怒りを綺麗に覆い隠したまま、カトレアはリュートに1つ提案した。


「ねぇ、リュート。特に予定が決まっていないのなら、旅に出てみるのはどう?」

「旅?」

「そう。貴方、出身国とこの大学くらいしか知らないのではない? もちろん、魔法の研究で外に出たことはあるでしょうけど、純粋に旅を楽しむのも良いと思うの」

「旅を楽しむ、か……ふむ」


 常に魔法が生活の中心にあったリュートには、なかなか想像できないことだったのだろう。

 不思議そうに想像を巡らせるリュートを見て、カトレアは面白そうに言う。


「貴方が【転移】の魔法を創った時、私てっきり、リュートは何処どこか遠くへ行きたがっているのだと思っていたのよ」

「む、そうなのか?」

「えぇ。だって、何処へでも一瞬で移動できるなんて凄い魔法を創ってしまうんだもの。きっと行きたい場所があるのだと思っていたのに」


 ふふ、と当時を思い出しているのか、カトレアが口許を押さえる。


「貴方ときたら、研究室と教室を行き来する為に使っているんだもの。も呆れていたのよ?」


 コロコロと笑われるのに、リュートも苦笑を浮かべた。


「特別行きたいという場所はなかったな……だが、そうだな。せっかく時間が出来たんだ、世界を見て回るのも良いかもしれない」

「それが良いわ。きっと貴方が気にいるものもあるはずよ」

「あぁ、もしかしたら私のまだ知らぬ魔法があるやもしれんからな」

「あらあら……やっぱり魔法に行きついてしまうのだから。ふふふ」

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