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 その後、僕と紗良が喫茶店の話をすることはなかった。

 目覚めた紗良は、変わり果ててしまっていたのだ。

 


「今日は体調どう?」

 返事はない。僕の方を見ることもしない。紗良の視線は窓の外で走りまわる子どもたちに注がれていた。

「自由が丘行ってきたから、シフォンケーキ買ってきてみた。食べれそうだったら食べ——」

 僕の言葉は紗良の叫ぶような怒声に遮られた。

「こっちにこないで! はやくでていって!」

 頭を抱えて繰り返し叫び続ける彼女の背中をさする。

「やめて! でていってってば!」

 過呼吸になりかけた彼女にゆっくり息を吐いてと呼びかける。彼女が落ち着くのをひたすら待った。

 やがて呼吸を荒くしながら紗良は大人しくなった。毎日これの繰り返しだった。静かになった彼女は、大抵黙りこくった。稀に僕が持ってきたものを食べたり、一言二言話したりする日もある。

 典型的な高次脳機能障害の症状だと医者は言っていた。情緒の不安定さに加え、数字や文字がわからなくなったりと、日常生活の様々な場面に不便を与えた。

 紗良自身が一番辛いことは理解していた。その一方で、自分以外に紗良の生活を助けてくれる人物がいない事実と、その負担の大きさは僕を苦しめた。

 でも、それ以上に僕を苦しめるのは、紗良が生きることを諦めていることだった。

 紗良は頻繁にアパートの屋上のフェンスを越えようとする。ベランダから身を乗り出そうとする。お菓子作りを始めたかと思えば上手くいかずに自分自身にナイフを向ける。

 食べることも拒み始めている。


「もう、嫌だ……」


 紗良がそう言うのを何度も聞いた。何度も、何度も。

 紗良の心はもうほとんど息をしていない。

 僕には彼女を救う術がなかった。

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