第1章 「大きなクヌギの木の下で」【双子座】

【プロローグ】「偽者」


「はあっ、はぁっ……!」

 激しい呼吸をしながら、必死に駆けるのは少年だ。きれいな金髪はホコリがかぶり、あちこち破れた服がみすぼらしい。少年の腕には「06442」と数字の焼印が押されていた。

 真っ白で広い廊下は人影もなく、異様にしんとしている。その廊下をすさまじい勢いで少年は駆け抜けていく。

 少年が走り抜けて数秒経ったあたりで、また廊下に音が響いた。がしゃんがしゃんと金属音を響かせて走ってきたのは、鎧を着込んだ大人の兵士だ。

「どこに逃げた、あのガキ……!」

「貴重な古代文明の機械遺産を壊しやがって……。犯人を捕まえないと俺達まで皇帝様に怒られるぞ」

 二人の兵士はそう言い合うと、すぐにまた駆け出した。

 少年は背後を気にしながら走り続ける。必死に逃げているうちに、少年は自分がどこにいるのかもわからなくなっていた。しかし自分の働いていた場所とはずいぶん雰囲気が違う。こんな白くてぴかぴかの石で出来た廊下なんて、走ったことも見たこともなかった。とはいえ、今はそんなことを考えている余裕はない。今あの兵士に捕まれば、間違いなく叱られる。それだけで済めばいいが、最悪の場合――

 そこまで思って少年は背後を見た。まだ兵士は来ないが立ち止まる訳にはいかない。しかし少年の体力は限界だった。とっさに目に飛び込んだ扉の隙間に、少年は転がるように跳び込んだ。そして扉を急いで閉じると鍵を探し、それをすばやくまわした。

 そこまでして、ようやく少年は大きく息を吸い、床に崩れ落ちるようにして座り込んだ。油断はできないが、一瞬でも逃げ隠れできる場所を見つけたのは、短い安心に違いなかった。

 呼吸を落ち着かせながら、そこで初めて部屋の中を見た。薄暗い部屋だった。窓はあるのだが、カーテンが閉められて光が隙間から漏れる程度。まるで牢屋のような部屋だ、と少年は思った。目が慣れてくると部屋の様子が見えてくる。奥にはベッドもあり、小さな机と椅子もある。大きさ的には子ども用の椅子だろうか。割と物は少なく殺風景な部屋に思えた。

 そこまで見た時、少年ははっとした。自分しかこの部屋にいないと思っていたのだが、見れば人影が見えた。ベッドの横に立ち、目を凝らせばその人影は少年の方を見ている。

「……だれかね、勝手にこの部屋に入ったのは……」

 落ち着いた、低い男の声だ。少年は呼吸を落ち着けるだけで精一杯、返事もできなかったし、足もへとへとで立ち上がれない。

 男は近付いてきた。薄暗い部屋の上、カーテンの隙間からの逆光で、男の顔はよく見えない。うっすらとヒゲが生えているのが見える程度で、この男が何者か、少年にはわからなかった。

「……腕に番号……。ほう、お前、奴隷か」

 男に呼びかけられ、少年はドキリとして目を見開いた。奴隷が勝手に部屋を出入りしたとわかれば、当然叱られ罰を受ける。過去何度も鞭打ちを受けている少年は、背中の痛みを思い出して青ざめた。

 しかし、続いた男の言葉は予想外のものだった。

「……これも丁度いいチャンスかもしれんな。……奴隷よ、この運に感謝するのだな」

 言っている意味がわからず、少年が男の顔をよく見ようと更に目を凝らした時だった。奴隷番号を焼印された二の腕に、何かを押し当てられた。びっくりして少年は後退りし、その勢いで扉にぶつかった。その時だった。

 ドクン――と、何かを押し当てられた腕から、強い血流のような熱い波が少年の体を走り抜けた。それはまるで、死にかけた細胞に血を送り込まれたかのような、とても力強く、今まで感じたこともないような感覚だった。たちまち、へとへとだった足に力がみなぎり、切れ切れだった呼吸までもが落ち着いてくる。その感覚に、思わず少年は自分の手のひらを握りしめていた。今まで感じたことのないほどの力が溢れてくる。すぐにでも動き回りたいような感覚だ。

「それが『魔力』というものだよ、奴隷の少年」

 男の言葉に、少年は思わず彼の方を向いた。薄暗い部屋の中、男の口元だけが笑っているのが見えた。

「さあ、その力、使いこなせるかどうか……見せてもらおうか」

 その直後だった。少年の背後の扉が勢いよく叩かれた。思わず少年は跳び上がった。

「失礼します! この部屋に少年が逃げ込みませんでしたか!?」

 案の定、少年を追いかけていた兵士だった。一気に血の気が引く少年とは裏腹に、謎の男は扉に手をかけ即座に答えた。

「今、ここに奴隷の少年がいる。捕まえてくれ」

 その言葉に少年は心臓が縮こまりそうになる。謎の男は少年の方を向いて笑っていた。そして不気味な言葉を吐いた。

「さあ、捕まりたくなければ、これから来る兵士を倒すことだ」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 ――大の大人相手に戦え、ということだろうか――!?

 少年は一瞬逃げ出したい衝動に駆られるが、すぐに思いとどまった。体の底から溢れ出してくるこの力――これを兵士に向けたら、もしかしたら――

 扉は勢いよく開かれた。廊下からの眩しい光に照らされて、少年の姿が兵士の前にさらされた。薄汚れた金髪、みすぼらしい破れた服を着た少年は、先程兵士が追いかけていた人物だ。ただ先程までと違うのは少年の表情だ。先程まで逃げ惑い、怯えていたはずの少年のその表情は一変していた。まるで肉食獣のようにギラギラと兵士を睨んでいた。

「さあ、大人しくこっちに来るんだ!」

 兵士の一人が少年の腕を掴んだと思ったその直後、少年は全身に力を込めた。怒りをぶつけるように兵士をにらみつけ、足を踏ん張り抵抗したのだ。その途端――

「うわあ!」

 兵士二人は、勢いよく廊下の壁まで引き飛ばされた。ガシャンガシャンと豪快な音を響かせて、重たい鎧は勢いよく壁にぶち当たり、その衝撃で兵士二人は気を失ってしまった。

 そう、これは少年が放った力だった。

「な……なんだ、これ……! これが……魔力……!?」

 自分の力に目を丸くする少年に、謎の男は声をかけた。

「見事だ、少年……。いや、お前はこれから奴隷ではない。名を与えよう。お前は今日から『偽者フェイカー』を名乗るがよい」

 そういう男は冷たく微笑んでいた。


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