Jaded
「とりあえずおめーの言う通りにしたけどヨ、カベに傷一つも付けられてねぇじゃねぇカ? どう考えてもムダだったんじゃねぇのカ!?」
(あぁ……来るなら早く来てください、ジェイド様。もう限界です)
あれだけアイザックを
過去にいくつもの任務を卒なくこなしてきたものの、流石の彼も今回は相当難儀していた。
「それにこっちはケッコーなひがい食らってんだゾ? 大失敗じゃねぇのカ?」
(何の考えも無しに魔物達をけしかけたのはあなたでしょうがっ!!)
「いえ。むしろこの程度の被害で、敵についての情報がいくつか得られたのです。一定の成功は収めたかと」
ヘルマンのいら立ちは最高潮に達していた。
全てはこのカンサツ対象のアイザックが原因である。
上司の命に背くわけにもいかず、なんとかアイザックの顔色を伺いつつ最善の策を打ってきたヘルマンではあったが──
(そういえばこの王子、こんなに日焼けするほど外に出てましたっけ……)
ふとした疑問がヘルマンの胸に浮かぶ。
(それによく見れば目の下には異常なほどの
「じょうほうだと? いったい何がわかったっツーんダ?」
「まず敵がこの一か月で想定外の体制を整えてきた点です」
「そうていガイのタイセー?」
(こいつ、こんなに頭悪かったか!?)
「見た事の無い遠距離武器を使っていましたよね? あのホブゴブリンが五・六発程度で倒れてしまう程の強力な武器です。しかもかなり組織的な運用をしているようで、火力の底が見えません」
「うーん……ドーでもいいガ、ケッキョクこの次どうすりゃいいんダ!?」
とにかくジェイドが来るまで体制を維持する。
ヘルマンはそう心に決め、無駄な損害を出させないための策を提案した。
なんとか彼の暴走を止め全滅だけは免れたものの、今ある兵力だけで城塞を攻め落とすのはどう考えても不可能だ。
「とにかくこのまま攻め続けても、城壁に取りつく前に大半の魔物がやられてしまうでしょう。ここは一旦兵を引き、今一度魔物の群れを再構築されるべきかと」
「第三騎士団がイルじゃないカ」
「第三騎士団?」
「二万人くらいいるダロ? それを使えばなんとかなるダロ?」
ヘルマンは絶句した。
そして間を置き一言。
「……そんなもの、もうとっくの昔にいませんよ」
出陣前は二万人もの団員を
だが──
「どういう事ダ!?」
「団員の約半数は出陣後に脱走、残った団員も進軍途中で大半が逃走。今残っているのは、途中から加わったチンピラや盗賊団崩れといった連中だけです」
「んジャ、そいつらを使えばイイじゃないカ!」
「たった千人程度の
もはや小国の騎士団にも見劣りする数である。
それに今まで彼らが行っていたのは戦闘行為ではない。
単なる火事場泥棒であり、その実態は寄せ集めの盗賊団でしかない。
訓練の行き届いた精鋭騎士達ならまだしも、単純な命令ですらまともに遂行出来ない
そんな彼らに城攻めなど出来るはずもない。
命令をしたが最後、彼らは蜘蛛の子を散らしたように逃げ出すだろう。
「あんなにいたキシ団が……たったセンニンだト……」
自軍を全く把握出来ていない王子に、もはや驚く事もしないヘルマン。
それでもまだ、彼はなんとか自分の任務を果たそうとする。
「魔物を集めるために一旦この場を離れるしか無いでしょう。威容を誇った第三騎士団は既に無く、今や我々の戦力は魔物だけ──」
「そこをなんとかするのがオメーの仕事ダローガ!!」
その一言でヘルマンの意志は固まった。
(──お許しくださいジェイド様。お務め、
完全に
彼は自分の不甲斐なさを認め、この場を去る決心をする。
そして、出口を振り返ったその時──
「ヘルマンさん。お務め大変ご苦労様でした!」
天幕の入り口に一人の男が立っていた。
燕尾服を身に
「オ、お前ハッ!」
「ジェイド様っ!!」
驚く彼らを他所に、笑みを浮かべる奇術師。
彼は次の一言で、彼らの不毛なやりとりに終止符を打った。
「お二人とも心配ご無用です! 後はわたしが何とか致しましょう!」
◆ ◇ ◇
「改めてヘルマンさん。私の指示が遅れたにも関わらず、王子が
「とんでもございませんジェイド様! 実を申し上げますと、ジェイド様がいらっしゃった時点で私はもう職務を投げ出そうかと……」
「それでもあなたはしっかり結果を残しました。もし他の人にお任せしていたら、王子は早々に野垂れ死んでいたに違いありません」
「かようなお言葉、誠にありがとう存じます」
ジェイドは一般的な基準からすれば、間違いなく冷酷な人物だ。
しかし自らの使命に協力的で、なおかつ優秀な人材には非常に寛容な面も持つ。
「それで──彼は一緒でなくて宜しかったのですか?」
「ずっと近くにいたヘルマンさんなら良くお分かりでしょう? 彼がここにいたとして、何か意味がありますか?」
「いえ。意味が無いどころか、正直迷惑です」
「ほほッ! そんな風に考えていた時期が、私にもありましたっ!」
久々に楽しそうな表情のジェイド。
「今は違うのですか!?」
「まぁ役立たずだとは今でも思っていますが、迷惑とは思わなくなりましたね」
「そうなのですか? 立案してもその意図すら理解出来ませんし、むしろ自ら進んで悪手を打つような能無しですよ?」
「ヘルマンさん」
「はっ、はいっ」
一国の王子に対して、あまりにも無礼な物言いだったのだろうか?
その疑問に対する回答は、上司からの奇妙な質問に隠されていた。
「小さい頃、昆虫の採集とか飼育をした経験はありますか?」
唐突に幼少時の話題を振るジェイド。
「ええ、まぁ。人並みには……」
「ヘルマンさんは、飼育している虫に対して邪魔とか思った事ありました?」
「まぁ相手が虫ですからね。でもアイザック王子は人間……」
「虫なんですよ」
アイザックの一言に耳を疑うヘルマン。
「ええと……虫けらという意味でございますか?」
「いえいえ。彼は本当に虫でして。しかもまだ幼虫です」
「幼虫!? それはどういう──」
ジェイドはアイザックの身に起きている事を一通り説明した。
「つまり現代では失われたとされる『
「分類によると生体召喚魔法の一種らしいのですけれどね。失われたというよりも即効性がなく、有効的な使い道が見つからなかったのでしょう。誰も興味を示さなかったというのが正しい解釈かもしれません」
「なるほど……確かにあの王子、日を重ねるごとにどんどん使い道が無くなって行きますね」
ヘルマンの指摘が傑作だったのか、珍しく声を上げて笑うジェイド。
「まぁそう感じるのも無理は無いでしょうね。何しろ元の生命体に変容を与えるものですから」
「生体召喚の一種であるのに、変容とは──」
生体召喚魔法というのは、いわゆる魔物召喚の事だ。
「エヴォルシオというのは生体自体ではなく、生体を作る基となる情報を召喚し、対象に融合させるというものです。王子の体はその術を施した後、常に変容し続けていたはずです」
「それで……その魔法の強みというのは、一体なんなのでしょうか?」
一瞬口をつぐむジェイド。
その後彼は、ヘルマンですら想像しなかった言葉口にした。
「いやー──実は私にも良くわからないのです」
「ええっ!?」
ヘルマンにとって意外な一言だった。
物事を徹底的に突き詰めるジェイドが、自分にも分からない魔法を行使する。
興味の無い事について『わからない』と答える事はあっても、自分が扱うものに対してそのような考察を述べた事など、今まで一度も無かったのだ。
だが当の本人は部下の驚き様を気に留める事も無く、その理由を淡々と語る。
「なんとか詠唱方法までは調べたのですが、神々の時代に抹消された魔法らしく、情報がほとんどありませんでした。私が知り得たのも先程お話した通り、昆虫のように変態するおぞましい魔法という事しか……」
「という事は──ジェイド様が私にご指示された任務というのは、彼の変化を見届けろという事であると?」
「ええ。私はちゃんとお伝えしたはずですよ? アイザック王子をしっかりと観察してくださいね、と」
(やはりそっちのカンサツでしたか!!)
今までの経緯を振り返り、得心するヘルマン。
「しかし彼、日を追うごとにどんどん使えなくなっている気がするのですが」
「まぁそうなのですけれど……ちょっと見過ごせない利点もあるのですよね」
「それはどのような……」
「マナ量の増大と、精神感応力の強化です」
にこやかだったジェイドが普段通りの表情に戻る。
「あの、マナ量の増大についてはわかるのですが──精神感応力というのは?」
「魔法の影響範囲の事です。つまり変容後のアイザック王子は、もっと広範囲から魔物を集める事が出来るようになるのです」
「何とかするというのはその事でしたか……」
「はいぃ。まぁでも今のままでは全然ダメですね。彼にはもうひと手間加えないとダメかもしれません。でもご苦労をかけたヘルマンさんには、特等席でその
ヘルマンの心中は複雑だった。
ねぎらいの言葉をかけて貰った事については、素直に誇らしい。
しかしその言葉と共に提示された褒賞については、出来れば辞退したい。
一瞬そう考えた彼だったが──
(ここは素直に
上司の機嫌を損ねるより、これから起こるであろうおぞましいショーを観覧したほうが絶対にマシだと思い直したからだ。
「それは大変楽しみです……それでその、それは今すぐに行われるものなんでしょうか?」
「いえいえ、まだまだ先の話です」
「そうですか! それは良かっ……待ち遠しいですね!」
思わず本音を口にしてしまうヘルマン。
だが上司のほうは、特に気にする様子も無く話を続ける。
「実はそんな事よりもっと大切な仕事がございましてね。王子の変態ショーはあくまで余興に過ぎません」
「大切なお仕事ですか」
「ええ。私の目的はフィオンさんの身柄の確保なのですが……今のままだとちょっと難しいのです」
「フィオン様──城塞にヒース一行が滞在していると?」
「そうです。私の部下達であれば潜入程度は可能なのですが……連れて来る事までは出来なさそうでしてね」
(するとあの未知の射撃武器もヒースが……そういう事でしたか)
ヘルマンが撤退指示を出したのは、敵の体制に変化を感じたからだった。
相手方に有能な指揮官がいるのはわかっていたものの、二度目の城塞側の戦い方は明らかにフェンブル所属の騎士団のものではないと直感したのだ。
だがそれも、ヒースが城塞にいるとなれば納得の行く話。
彼はジェイドの施策を、事ある毎に阻んで来た人物なのだ。
(今回出した撤退の指示こそが、最善策だったに違いありませんね)
ヘルマンは現時点でそれを確信した。
「私はその為の準備をしなければなりません」
「何かわたくしにお手伝いする事はございませんか!?」
「勿論ございますよ!」
(これで汚名を返上出来る!)
ヘルマンはその時、素直にそう思っていた。
上司の一言を聞くまでは。
「暫くの間、王子をカンサツしていてください!」
放心状態に陥るヘルマン。
「えっ……」
心底うんざりするような指示であったが、彼に拒否権はない。
ジェイドが彼を優遇するのは、今まで上司の期待を裏切らなかったからだ。
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