瓦礫と老人
フィオンが教えてもらった宿屋は、馬車を係留出来る宿屋だった。
しかも厩舎付きの宿屋はフェルメには一軒だけしか無いとの事で、俺達はそこに宿泊する事に決めた。
「三日分で大銀貨十五枚ですね」
宿の
ダンケルドなどに比べると、正直かなり高めだ。
もちろんそれには理由がある。
「すまないねぇ。本当ならこの人数でも、せいぜい大銀貨五・六枚くらいが相場なんだろうけど……何しろ商人が近寄らなくなったせいで物価がねぇ……」
「いえいえ。泊めさせて頂けるだけでありがたいです」
「何言ってんだい、それはこっちのセリフだよ! 魔物の襲撃があってから旅人なんか全然来やしないんだから」
ここに来るまでに聞いた情報によると、アイザックは一人の生存者も残さないほど徹底的に都市を破壊しつくすそうだ。
襲撃された都市を見た旅人は皆口を揃えて、もはや復興など出来る状態ではないと言う。
魔物の一団は前触れもなく突然襲ってくるため、住人は逃げる間もなく餌食になってしまうそうなのだ。
(だがここは建物への損害もそれほどでもないし、何しろ随分と人が多い……)
女将の話からして商人や旅人ではないはずだし、殆どの人が復旧作業に従事していることを考えると、彼らは元々ここの住人なのだろう。
襲撃を受けた他の都市とは明らかに様子が違う。
例外には必ず何かしらの理由があるはずだ。
「ここを訪れる前に小耳に挟んだのですが、魔物に襲われた他の都市はもはや復興など出来ない状況だと聞きました……ですがここは人も多いですし、随分と活気がありますね」
少し元気の無かった女将に明るさが戻る。
「そうだろう? それもこれもオーギュスト様のお陰さ!」
「オーギュスト様、ですか?」
「ああ。この町の魔法協会の支部長でね。魔物が押しかけてくる前に、あの方が住民に避難を呼びかけてくださってね」
更に話を聞くと、魔物が襲って来た時には住民全員が避難済みだったそうだ。
それを知ったアイザックは罠だと勘違いしたらしく、かなり早い段階でこのフェルメから撤収したらしい。
「まぁ罠なんかを設置する時間なんてちっとも無かったんだけどね!」
豪快に笑う女将。
「それにしてもその支部長、随分と聡明なお方のようですね」
「ああ。元々は魔法協会の本部長にもなれるくらいの偉い方だったんだけどね。老後は故郷で暮らしたいからと昇進を固辞して、このフェルメに戻って来てくださったんだよ」
「なるほど。聡明なだけでなく、なかなか変わった方なようで……」
協会の職員が何らかの基準によってシステム的に選別されているのはほぼ間違いない。実際、ヤース老師も同じような見解を持っていた。
彼らはあらゆる意味で勤勉で、そして組織に従順である。
だからキャリアから外れるような事はしない。
そもそもそのような人間では、職員にすらなれないはずだからだ。
(その支部長、ちょっと興味があるな)
「それで魔法協会はどのへんにあるのでしょう?」
「あー、オーギュスト様に会いたいのかい?」
「はい」
「そうさねぇ……協会の職員さん方が街のあちこちで復興の手伝いをしているみたいなんで、町を散策していればそのうち会えるんじゃないかねぇ」
「そうですか。ありがとうございます」
宿屋の女将と話を終えた後。借りた部屋に向かう。
すると既にもろもろの雑事をベァナとシアが仕切ってやってくれていた。
ニーヴとプリムがそれに従い、
セレナは厩舎で馬の世話をしているようだ。
(俺に出来る事は無さそう……というか邪魔だよな)
町の様子も気になるので、外に向かおうとした。
「にぃに、どこかに行くの?」
「ちょっと町を散策して来ようと思ってな」
その言葉に、二人の娘がぴくりと反応する。
「街の見学……いいなぁ……」
「かいぐいです……」
ベァナとシアは呆れた様子で俺を
きっと、なんでこのタイミングで発言するのかと、俺を責めているのだろう。
(……まずい)
脳を高速回転させて何かしらでっちあげる。
「うーんとそうだな……俺とフィオンで面白そうな場所を探してくるので、二人はベァナとシアのお手伝いをしていてくれるかな。後でみんなで一緒に行こう」
「ほんとですか!?」
「みんなでかいぐいですー!」
ベァナとシアからの厳しい視線もなんとか緩和されたようだ。
「それでにぃに、どこに行くの?」
「さっきも言った通り、面白そうな場所を探しに行くのだ。フィオンも捜すのを手伝ってくれ」
「うんわかった。面白そうな場所だね!」
人が何に対して面白く感じるのか。
それはあくまで個人の感想だという事を、暫くした後で痛感する事になった。
◆ ◇ ◇
フィオンは好奇心が旺盛なのか、なんにでも興味を示した。
彼女と出逢ったウェグリアの町のほうが規模は大きかったのだが、あの時は領主の命で、翌日には町を発たなければならなかった。
街をゆっくり見て回る機会など、今まで無かったのだろう。
「ねぇにぃに。この看板は何?」
「ああ。杖と本の絵が書いてあるので、きっと魔法書なんかが売っているお店かもしれないね」
「ふーん、そうなんだ……あっ、あそこにいる大きな籠を背負っている人は何をしている人?」
「あの人は多分農業をしている人だね。これから何かの収穫をするんじゃないかな」
メイヴとリンの姉妹と別れてから既に二カ月。
これから初夏の季節を迎えるため、冬小麦の収穫が近いのかもしれない。
(初夏……この世界に来てもう一年か……)
「わぁ! にぃに、あそこでいろんなものを広げてる人がいるよ!?」
物思いに
一見露天商のようにも見えるが、宿屋の
その行商人のような男性は壊れた建物の前に敷物を敷いていて、建物の片付けをしている女性と会話をしている様子が見て取れた。
会話の様子からして従業員か家族なのだろう。
「きっと魔物達にお店を壊されてしまったので、仕方なく店の前で商売しているんじゃないかな」
「そうなんだ。大変なんだねー。ねぇにぃに、なにか買っていってあげようよ」
トーラシアを出てから特に無駄遣いなどしていないので路銀には余裕がある。
ただ物価が高めなので少し迷っていたのだが、この先これくらいの規模の都市があるとは限らないし、あってもアイザックの軍に壊滅させられていて買い物自体出来ない可能性もある。
「そうだな。ちょっと見てみるか」
並んでいる商品からするにこの店は雑貨屋だったようで、食器などの小物以外にも保存の効く食料などが売られていたので寄ってみる事にした。
「こんにちは。ちょっと品物見させてください」
「おお、旅の方ですね! こんなみすぼらしい店構えで申し訳ないが、商品はしっかりしたものばかりだからどうぞ見ていってくだせぇ!」
商品を見ながら店の事を聞いてみると、やはり魔物の軍勢に襲われたそうだ。
その内容は女将の話と同じで、町全体としてはそれほど大きな被害が出なかったものの、中には彼の店のように半壊状態になってしまった家もあるそうだ。
「オーギュスト様のお陰でなんとか避難は出来たものの、いざ戻ってみると店がこんな状態になってましてね……」
「それは──本当に災難でした」
「まぁ命あっての物種だとも言いますからね。家内もこうして頑張ってくれてますし、なんとか生活の足しになればと思ってこうして品を広げてるってわけです。まぁこの町に立ち寄る旅人なんかいやしないんですけどね!」
「そうだったんですね」
並べられた品々は襲撃の影響を受けなかった品々らしく、見た目的には普通の店と何ら遜色は無い。
またこの町の物価から考えると、かなり良心的な価格設定だ。
(ベァナやシアの機嫌を損ねてしまったし、何かフォローしておかないと……)
俺は仲間達が喜びそうなものを何か作れないか、暫く考えに浸っていた。
遠くで声が聞こえた気がしたが、その時の俺は気に留めなかったようだ。
(やはりお菓子が良いだろうな。何しろ娘達が一番喜ぶだろうし)
ボランティアをするつもりは全く無いが、この後、まともに買い物が出来る町に巡り合えるかどうかも分からない。
俺はお菓子の材料として粉ものと、すぐに食べられそうな保存食をいくつか買う事にした。
「ありがとうございやす! 本当に助かります」
「いえいえ、必要なものでしたし……あれ、フィオンの姿が見えないな」
「お連れの獣人の娘さんなら、その道の先に走って行かれたようですが」
「そうですか。全く自由奔放な所は昔と全く変わら……」
自分のセリフに一抹の不安を覚える。
(
俺はその思いをなるべく顔に出さぬよう店主に礼を言い、店を後にした。
フィオンが向かっていたという方向に歩を進める。
(あれは単なる夢だ。その後シロとはこうして再会出来たわけで……)
俺はそう考えるようにし、辺りを見回しながら歩を進めた。
◇ ◆ ◇
しばらく歩いていると、遠くに
街中で狼煙を使う事など無いだろうから、炊事か何かの煙だろう。
気になって近くまで歩いて行くが、そこには何の建物も無い。
あるのは見渡す限り瓦礫の、とても広い敷地だけだった。
今まで壊された建物はいくつかあったが──
(ここまで広範囲に、しかも徹底的に破壊された場所は他に無い。一体どういう事だ?)
その一角だけが、まるで目の
俺は気になって
そして
「あっ」
ぶるんぶるん左右に大きく振られている白い尻尾。
間違いない。フィオンだ。
そしてその目の前には
漂ってくる匂いからすると、きっと魚でも焼いているのだろう。
老人は小さな瓦礫に腰を掛け、木の葉のようなもので風を送っていた。
俺の声に反応してフィオンが振り向く。
「あっ、にぃに!」
「フィオン、出歩く前には必ず一言言ってくれとあれほど──」
「え? ボクちゃんと一言言ってからこっちに来たよ?」
そう言えば何か声が聞こえた気がする。
(ああ、買い物中に聞こえた声って──)
以前ベァナにも同じ事を言われた事がある。
『ヒースさんは何か考え出すと、何度も声を掛けないと戻って来ない』
「ああ、あれはフィオンの声だったか。それは済まなかった」
「ううん。それよりにぃに! このおじいちゃんがお魚くれるって!」
無邪気にはしゃいでいるフィオンには悪いのだが──
「フィオン。この町の人たちは物資が足りずに困っているんだよ。そんな人たちから食べ物を分けていただくなんて──」
「いいのじゃいいのじゃ。珍しい客人が二人も来たのだし、そもそもこの川魚も頂き物じゃからの。お主も食べていきなされ、太陽の民の末裔よ」
(今、
グリアンは元々古代語で『太陽』を意味する。
しかし神々による古の大戦以降、それがそのままの意味で使われた事は無い。
太陽という言葉は、今では別の単語に置き換わってしまっているのだ。
その理由はわからない。
呪われた民族などと呼ばれている事にも関係があるのかも知れない。
だが、その正しい意味を知っているこの人物は──
「もしかすると、あなたは魔法協会の──」
「うむ。お初にお目にかかるグリアンの旅人よ。わしは魔法協会フェルメ支部長、オーギュスト・ヴェルヌと申す」
彼はそのまま立ち上がり、辺りを見回して一言。
「そしてこの瓦礫の山こそが、魔法協会フェルメ支部じゃ!」
この一帯だけが徹底的に破壊されている理由。
それは、この老人の一言に全て集約されていた。
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