朋友

「お話と言うのは、ジェイドの事です」


 俺の心配は杞憂きゆうだったようだ。


 メイヴからの要望で、話は俺と二人でする事となった。

 家には他に部屋がないので、家の裏手で話を聞く事に。


「ヒース様、彼と彼の部下達……我々の同胞にはくれぐれもお気を付けください」

「俺もジェイドとその支配下にいる獣人達の事は常に警戒するようにはしているのだが……メイヴが改めてそう言うからには、何か理由があるのだな?」

「はい……」


 メイヴが俺と二人での会話を望んだのは、その内容が理由だったらしい。


「彼が獣人の女性達に何をしていたのかは既にお伝えした通りです。その目的についても」

「ああ。かなり屈辱的な扱いを受けていたと聞いている」


 彼女自身も回数こそ少なかったものの、何度か辱めを受けたようだ。

 強く弾き結ばれたその口元が、それらを物語っている。


 確かに娘達に聞かせるような話ではない。

 メイヴは悔しさを押し殺しつつ、言葉を続けた。


「……ですが……ジェイドに対して憎しみの感情を持たない仲間も存在します。しかも決して少なくはありません」

懐柔かいじゅうされたという事か?」

「それもあります。ですが、おそらくそれは彼女達がジェイドに捕らえられる前、もっと酷い扱いを受けていたからだと思っています」


 集落の長老も言っていたが、自分たちがこのような辺境の地で暮らすようになったのは主に人間達のせいらしい。


「それほど酷い扱いを?」

「私達の集落にはヤース様がいらっしゃった事もあり、幸いそれほど酷い目には遭いませんでした。ですが、各地に散在する集落の獣人達はそうではありません」


 獣人達は基本的に森や山の、人里離れた奥地に住んでいる。

 本来「人との共存」の思いを代々受け継いで来た獣人達だったが、その思いは共存相手であるはずの「人」のほうから一方的に破棄された。


「彼女達の多くは人間の──いえ、人間の貴族達によって奴隷以下の扱いを受けていたのです。男達には過酷な労働を、若く美しい女性達は性のはけ口として──」


 彼らが人里離れた場所に住んでいるのは自ら望んでの事では無い。

 人によって、住む場所を追いやられてしまった結果なのだ。


「貴族……」


 トーラシアを旅していた時にはそれ程気付かなかったが、それでも貴族達の持つ強力な権力の片鱗へんりんは感じられた。


 アルフォードに駐屯していた大隊長、カールの放漫さしかり。

 ヘイデン・ケビンらザウロー家の横暴さ然り。


「ジェイドの下にみずから進んで残っている獣人たちの多くは、そういった境遇にいた者たちなのです。彼は自分の目的の為にいかがわしい行為を働いてはいましたが、衣食住については何一つ不自由のない待遇を我々獣人に与えていました」

「元々受けていた仕打ちよりは数段ましだった、と」

「はい。それどころかジェイドは自分の部下が獣人女性に乱暴を働こうとすると、厳しく処罰するほどでした。もしかするとそれは単に、彼の目的にそぐわないというだけの理由だったのかも知れませんが……」


(ジェイドの目的は、強力な人類の創出だったはず)


「とても下世話な話で申し訳ないのだが……ジェイド自身がそういった行為をしたという事は?」

「一切ありません。暴力自体もそうですが──無理やり関係を持ったという話も聞いた事がありません」


 単に己の肉欲を満たす為ではなく、何らかの固い意志を持った上での行動というわけか。


「メイヴがわざわざそう言った事を俺に話してくれたという事は……もしかすると君もジェイドに対して、何かしらの恩義を感じていると?」

「とんでもありません! 個人の意思や尊厳を踏みにじるような者に対する恩義など一切ありません。私はただ……今後も旅をお続けになるヒース様の身が心配で……」


(フィオンやシアの言葉を、一瞬でも鵜呑みにした俺が馬鹿だった)


 メイヴは俺が今後取ろうとしている行動に気付いていたのだ。

 俺がメルドランやジェイドに対し、何らかの形で介入するであろう事を。


 そして彼らの目的や内情を良く知っているメイヴだからこそ、忠告せずには居られなかったのだろう。


「すまない。俺はてっきり、その……」


 俺が言いよどむ姿に何かを察したらしい。


「もしかして……この時期の獣人の話をお聞きになられたのですか?」

「ああ。フィオンや長老がな、森狼族は春と秋がそういう季節だと──」


 それを聞いて機嫌を悪くするかと思っていたのだが──


「ふふ、それは確かに事実です。でも私達は獣とは違いますよ! 自分の感情くらいちゃんと制御出来ます」


 微かにほほ笑むメイヴ。

 今まで戦う姿ばかり見ていたせいか、新鮮な印象を受ける。


「そんな風に思った事など──」

「わかっています。でもヒース様──季節や種族なんか関係無しに惹かれる相手だっているのです」


 こういう時の女性の真意がわからない。

 言葉の裏に何があるのか、未だに読むことが出来ない。


「私はこの集落を……たった一人の家族であるリンを守らなければなりません。でも、もしその事が無かったとしたら、私は……」


 軽く頭を振るメイヴ。


「いいえ、よしましょう。ヒース様にも守るべき素敵な人たちが沢山いらっしゃるのですから──でも、もしヒース様がゆるしてくださるのなら」


 そこで俺は初めて気付いた。


(ん、涙!?)



「ちょっとの間でいいのです。あの……ぎゅっと、してくれませんか」



 これはきっと本当に、そのままの意味なのだろう。


 彼女たち姉妹とは一か月近くもの間、苦楽を共にした仲なのだ。

 別れが悲しくない人間なんて、俺はいないと思う。


 それに次にいつ会えるかも全くわからない。

 もしかするとこのまま一生、再会する事も無いかもしれない。


(仲間達との……絆)


 俺はそのままそっとハグをした。




「私に……私達姉妹に初めて優しさをくれた大事な人。どうかご無事で」




 彼女は嗚咽おえつこらえもせず、暫く俺の服を掴み続けていた。





    ◆  ◇  ◇





「ところで、なんのお話でしたの?」


 馬車の待機場所へ向かう途中のシアの一言。


 彼女はこんな感じで問い正して来る事が多い。


「シンテザ教団とジェイドについての情報を教えてもらった。俺達の今後の行動にも関わる事だったので、かなり役に立つ情報だった。メイヴ、感謝する」

「いえ。お役に立てたなら幸いです」


 メイヴは既に普段の表情に戻っている。


「あらそうでしたの……本当にそれだけなのかは、ちょっと怪しいですけど!」


 俺は最近、彼女のこういう対応にむしろ感謝するようになっていた。


 ベァナやセレナは仲間の前では空気を読んで何も言わない事が多い。

 それはそれで気を使ってくれている証拠だし素直に嬉しいと思う。


 ただ、それがかえって気まずい雰囲気を作ってしまう事がある。

 なんとなくわだかまりが消えずに、そのまま残り続けてしまうのだ。


 しかしシアがなかば冗談のように振ってくれると、話はそこで区切りがつく。

 お陰で気持ちの切り替えもしやすい。


「いやいや──ああそうだ、みんなもメイヴとリンには色々世話になったろう。今のうちに挨拶しておいたらどうだ?」


 そうこうしている間に、馬車の目の前にやって来る。


 仲間達が次々にメイヴ達との別れを惜しんでいたのだが──



「やだーっ! やだよぅっ……」



 やはりとは思ったのだが──リンの思いが溢れ出てしまったようだ。

 ここは姉の役目だと感じてか、メイヴが妹をたしなめる。


「リン。みなさんは大事な目的があって旅におもむくのです。無理を言ってはいけませんよ」

「だってお姉ちゃん……折角パパやママが言ってた通りの、本当のお友だちになれる人に出会えたんだよ……でも村の人たちは、そんな人間なんてもうどこにもいないって」

「そうね……どこにもいなかった」


 メイヴは対応こそ大人に見えるが、まだ十五歳ととても若い。


 もしかすると、導師ティネとも何かしら接点があったのかも知れない。

 しかしティネがこの地を離れたのは十数年前の話だ。

 記憶にないのも当然と言えるだろう。


「でもねリン。ヒースさん達は種族とか身分とかそういうものを気にせず、みんなが楽しく暮らせる世界を目指して頑張ってくれているの」

「ヒース様、それほんとう?」


(いや、そこまで大それた事は考えてないのだが……)


 シアがひじで小突いてくる。

 きっと『ここは本当だって言う所よ』とでも言いたいのだろう。


(むぐぐ、メイヴもやってくれる……)



 俺の答えは……



「ああ。リンがニーヴやプリムと仲良くしてくれたように、俺は世界中のみんなが仲良くなれたらって思ってる。もちろん、すぐには無理かも知れないけれど」


 リンはその言葉をの意味を、自分なりに解釈したようだ。


「うん……わかった。それならリンも我慢する……でももしご用事が終わったら、いつかまたこの村に寄ってくださいね」


 リンの言葉に、二人の娘が真っ先に反応する。


「ヒース様、私からもお願いします!」

「リンはだいじなおともだちですー!」


 二人の言葉で堪えきれなくなったのだろう。

 リンの目に、再び大粒の涙が浮かんだ。

 そんな彼女にニーヴとプリムが駆け寄り、手を取り合う。


「そうだな。またここに来れるよう頑張るよ。それまで二人とも元気でな」


 そして長めの挨拶の後、馬車は集落を後にした。




 当然の事ながら、ニーヴとプリムは幌の小窓から顔を出して見送りに応える。

 二人の娘達は、大事な朋友ほうゆう達の姿が見えなくなるまで手を振り続けるのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る