結局、老師の館には二泊させてもらった。


 このような森の奥で隠遁生活を送っているヤース師。

 騒がしい一行に、あまり良い思いをしていないだろうと考えたのだが──


「いやいや。新たな検証結果と面白い話を色々聞けたので満足じゃよ!」


 と笑顔で回答してくれた。

 それどころか、


「あと一か月くらい泊まって行ってもいいのじゃぞ」


 とまで言われたのだが、それについては丁重に辞退している。


 なんの心配事も無い旅路であればそれも良かったのだが──


 実際不穏な動きもあるし、俺自身がメルドランの王妃から追われる立場だ。

 老師もそうだが、近くにあるメイヴとリンの集落も心配だ。



(俺のせいで迷惑をかけるわけにはいかぬ)



 俺達は老師に世話になった礼をし、館を後にした。





    ◆  ◇  ◇  ◇





 集落への帰り道に、ベァナから話し掛けられる。


「昨晩もその前も結構夜遅くまで起きていらっしゃったようですが、どんな話をされたのですか?」

「そうだな……本当にありとあらゆる話をした。老師は長年遺跡探索を続けていただけあって、本当に色々なものをお持ちでな。そしてその知識も膨大だ」

「そうですね。あのモノクルもびっくりしましたし。肉眼では見えないオーラのような光まで見えるなんて……一体どんな仕組みなんでしょうね」


 確かにあのモノクルはとんでもない代物しろものだった。

 この時代の技術レベルを考えれば完全にオーパーツOut Of Place ARtifacTSと呼べるものだろう。


「わたくしはあのレンズ越しの光よりも、個人個人の今までの行動が記録されているって所に正直びっくりいたしましたわ」


 さすがはシア。

 彼女には物事の本質を捉える洞察力がある。


 シアの認識に対し、セレナが質問を投げる。


「私にはどちらも想像も付かない技術に思えるが……シアはなぜそう思う?」

「みなさんも旅の途中、ヒース様が以前いた土地のお話をお聞きになったでしょう? 周りの景色をそのまま映し出す機械の話とか、空を飛ぶ乗り物のお話とか」

「ああ。にわかには信じられなかったが──実際ヒース殿は、この世界に無いものをいくつも作り出して来た御仁ごじんだからな。そんな世界があってもおかしくないとは思う」

「わたくしもそう思いますわ。ですから個々の道具が高機能になっていく事については想像も出来るのですが……さすがに人同士の関係性まで記録されているというのは……ここはヒース様のご意見をお聞きしたいですわね」

「俺の意見? モノクルのか?」

「ええ。あれって実際、で作れるものなのですか?」


 俺は元の世界にあったもので、近いものを思い浮かべる。


「そうだな──なら、確かにあった」

「──まさかのつもりでお聞きしたのですが──正直驚きですわ」



 似たようなものというのは『AR』の事だ。

 つまり拡張現実Augmented Realityである。



「しかし俺が見たのはせいぜい文字の認識や翻訳くらいなものだったがな。だがそれとは別に指紋や顔認証などの生体認識技術もあったし、そういう意味では似たようなものは作れるだろう」


 近い将来、個人を識別可能なデバイスが完成してもおかしくは無い。


「あと大量の個人情報を蓄えておく巨大な書庫のようなものもあったのだが……シアの言う通り、個人個人の交友関係まで記録出来るような仕組みは不可能だろうな。というのも俺がいた頃の世界では、実に百億人近くの人々が生活していたんだよ」

「百億人って……あのトーラシアの都ですら十八万人だから、えーっと……」


 ニーヴが頑張って暗算しようとする。

 彼女は貴族の生まれなのである程度の基礎計算は出来るが、これほど大きな数を扱う計算は教わらなかったそうだ。

 娘達には旅の途中、元の世界での計算方法を教えていたのだが──


「ごひゃくごじゅうごばいくらいですー!」

「プリムちゃんすごいっ!」


(俺ですら五百倍程度、とまでしか計算出来ないのに──)


 プリムはなぜか計算が得意だった。

 逆に文章を作るのはニーヴのほうが上手である。


 フィオンは賑やかな雰囲気が好きらしい。

 周りを見回しながら、なんだか楽し気に尻尾を振り続けている。


「だからそのような仕組みを一体どうやって構築するのか、俺にも全く見当が付かないんだ」

「ヒース様にもおわかりにならないなんて……そういえばヤース師はその点について、何かお知りではありませんでしたの?」

「老師からは色々な貴重な情報を得られはしたが、その核心については彼にもわからなかったらしい。ただ……」

「ただ?」

「その手掛かりになりそうな場所については教えてくれた。俺はこの後、そこを目指そうと思っている」


 シアが興味深そうに尋ねる。


「それは──どんな場所ですの?」

「遺跡だ」



 それは老師が、魔法協会と同じ装置を見つけた場所。




「古代の遺物が眠る、いにしえの遺跡だ」





    ◇  ◆  ◇  ◇





 馬車を預けていた集落に戻ると、リンが飛ぶように走って出迎えてくれた。


「ニーヴちゃん、プリムちゃん! おかえりなさい!」

「今戻ったよー!」

「ただいまですー!」


 リンは二人の手を取って、長老の家に案内する。


 長老の家に着くと、集落に到着した際の一件を再び謝罪された。


「本当にその節はすみませんでしたのじゃ。知らぬ事とは言え、仲間の恩人にあのような……」

「お気になさらないでください。それもこれも集落が受けてきた仕打ちによるもの。元々皆さんが悪いわけではありませんので」


 俺達は集落に到着した時、集落の人々に周りを取り囲まれた。

 人間達による襲撃と勘違いされたのだ。


「お姉ちゃんや私がいくら言っても信じてくれなかったし!」

「あの時は脅迫されているのだろうと思ったのじゃ。勘弁してくれぃ」


 彼ら森狼族は、狼人族の中では人との付き合いが多い部族だそうだ。


 だがそれもかなり昔の時代の話。

 一族には「人と共存して生きよ」という不文律が代々受け継がれていたのだが、それを先に破ったのが人間だった。

 彼らはいつしか迫害対象になってしまったのだ。


 それでも祖先の残した掟をかたくなに守っていた彼らだったが……


「シンテザ教徒の集団は、もうこの近辺にはいないはずです。老師がそうおっしゃっておりました」

「そうでございますか。この村が存続出来たのも、ひとえに老師様のお陰でございますゆえにのう。ありがたい事ですじゃ」


 ヤース老師は数百年前、この地に移り住んで来たらしい。

 それからは度々、魔物と人間の両方から集落を守ってくれたそうだ。


「十数年前までは老師のお弟子さんがいらっしゃって、人に対する警戒心も和らいでおったのですが」


 老師の弟子と言えば……


「もしかしてそれは、ティネ導師の事でしょうか?」

「そうですじゃ! 皆様、ティネ様の事をご存じなのですか?」

「老師を紹介してくれたのがティネ導師だったのです」

「そうじゃったのですか……ティネ様は老齢になったヤース様の代わりに、魔物やならず者連中をいつも追い払ってくれましての。ずっとここにいて頂きたかったのですが、ご自身の研鑽けんさんの為にこの地を離れなさって……ティネ様はご壮健でしたか?」

「最後に会ったのは今年の頭でしたが、元気一杯でしたよ。今も世界各地を飛び回っているんじゃないでしょうか」

「おお。なんともティネ様らしい事で……目に浮かぶようですじゃ」


 彼女は一見クールそうに見えるが、とても正義感の強い女性である。

 でなければ国の要請の度、各地を飛び回ったりはしないだろう。


「出来る事ならティネ様同様……皆様のような獣人へのご理解ある方々に、村に居ていただけると……」


 メイヴとリンがさらわれたのはここ最近の出来事だ。

 老師が集落を訪れた時には、もう手遅れだったらしい。

 もし集落にティネのような魔導士が常駐していたのならば、間違いなく阻止していたであろう。


(長老の気持ちもわかる……だが……)


「すみません長老。そう言っていただけるのは有り難いのですが、俺はこの仲間達それぞれの故郷に縁がございまして──」


 セレナは他に姉妹がいるから良いにしても、シアは次期領主だ。

 いずれトレバーに戻り、領地を治めなければならない立場にある。

 それにベァナだってアラーニには思い入れがあるはずだ。


「そうでございますよね……これはつい出過ぎた事を……」

「いえいえ、そんな事はありません。ですが老師の話によると、どうやらフェンブルの西側で不穏な動きがあるようでして……仲間達の出身がそちら方面という事もあり、少々心配なのです」


 不穏な動きというのはシンテザ教徒によるものだ。

 これも老師──というよりも、魔法協会の装置から得た情報である。


 彼らに目を付けられている俺が、ここに留まるわけにはいかない。


「そうでしたか……ではお立ちになる前に、せめてメイヴにはお会いいただけませんですかの? このような季節ゆえ、少々ご面倒をお掛けするとは思いますが……」

「いえ。彼女には大変助けられました。必ずお伺いいたします」

「ありがとうございます。道中の安全をお祈りいたしますじゃ」



 互いに礼をする。

 長老宅を出た俺は、リンの案内でメイヴの家に向かった。





    ◇  ◇  ◆  ◇





 リンとメイヴの家に行く道中。


 先頭を行くリンに聞かれぬよう、小声で話しかけてくるシア。


「……ヒース様、本当によろしいのですの?」

「……何がだ?」

「……いえ。フィオンさんもおっしゃってましたよね……その……」


(ああ、あの事か──)


 この世界にはいくつもの種族が存在する。

 そしてそれぞれの種族ごとに人には無い、様々な特徴を持つ。

 人しかいない世界で生まれ育った俺には全く見当も付かないが……


「……とにかく彼女も大切な仲間の一人だ。別れの挨拶くらい、きっちりしておきたい」


 これは本心からの言葉。


 人の縁とは不思議なものだ。

 偶然訪れた町でたまたま出会った人との何気ない会話から、次の出会いに繋がっていったりする。

 そしてそのような出会いからは、共に旅をする者、今後二度と会う事のない者、再会を願い別れる者、対立関係になる者など、様々な関係性の知人が生まれる。


 きっと互いのその時事情や価値観などで、その関係は変わるのだろう。


 そんな中でも、メイヴとリンの姉妹との出会いは貴重なものだった。

 彼女達との出逢いがなければ、大切な相棒であるシロ──フィオンとの再会もかなわなかったかも知れない。



「そうですよね。きっとヤース様のモノクルで覗いたら、私達もきっと彼女達と青い光で結ばれているのでしょうね」



 ベァナらしい、優しい感想だ。



 老師の館で見たあの色とりどりの光。

 俺はそれらの光が、出会った人々との間に紡がれている事を意識した。



 俺は今一度、自分の得た絆を一層大切にしていこうと思うのだった。



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