The Sage

 思えば新年にトレバーを出てから約二カ月が過ぎた。


 現在地がどれくらいの緯度に当たるのかはわからないが、この世界の冬は元の地球に比べると随分と穏やかなようだ。


 そして仲間や出会った人々の話から、この世界の一年が元の世界と同様に十二分割されている事を知った。


 ただ、一日の長さが二十四時間ぴったりなのかどうかは良く分からない。

 ぴったりかどうかわからないというのは、言い換えれば明らかに長いわけでもなく、短いわけでもないという事でもある。

 つまり一日が二十四時間前後らしいという事だけは確かなのだ。


 それにしても全く違う世界だというのに、様々な面で違和感がないくらいの誤差しか無いのが本当に不思議だ。

 まるでどこかの誰かが元の世界と同じような世界を意図的に選び、精神だけを転移させたようにも感じられる。


 だが俺はそんなオカルトチックな考えなど、全く持ち合わせていない。

 どんな結果にも原因は必ずある。

 それが分からないのは情報か理解力、またはその双方が足りないからだ。


 そしてこの俺はどんなに高く見積もっても、至って平凡な知能の持ち主である。

 いくら考えたって分かりっこないと早々に諦めていたのだが、トレバーで魔導士ティネと出逢った事により、謎に近付けるかも知れない糸口を得た。


 俺達はトーラシアの港を発ち、彼女から紹介を受けた人物の元を目指す。



 スプレイグロ・ヤース老師。

 大陸随一の魔導士ティネの、その師匠に当たる人だ。



 彼はメルドラン東端の森の奥深くにきょを構えていると言う。

 そしてその近くの集落出身だったのが、メイヴとリンの姉妹だ。


「メイヴ。森の案内だけでなく、馬の世話までしてもらってすまないな」

「いえ! 私達姉妹が受けたご恩を考えれば、これくらい何という事はございません!」


 ヤース師の住まいは森の奥深くにある。

 すぐ近くというわけでも無く迷いやすい森らしいので、メイヴに途中まで案内してもらっていた。

 リンも同行したがっていたが、この辺りは魔物が出現する事も多いそうだ。

 集落の長の判断もあり、妹のリンには集落に預けた馬の世話を任せるという事になった。


 リンやフィオンと違い、いつもは冷静なメイヴのはずなのだが──

 今日はどういうわけか落ち着きのない所作が目立つ。


「ここからまだ少し距離はありますが、もう迷う事は無いかと思います……」

「助かったよメイヴ。それじゃ、また後でな」

「──あっ、あのヒースさまっ!」


 あまり自ら声を掛ける事など無い彼女から、珍しく名指しで呼び止められる。


 ん?

 心なしか、顔が赤いか?


「おおっ、どうした?」

「是非……集落に来たら、是非このメイヴの家にお寄りください……」

「ああ──わかった。是非伺わせてもらうよ」

「あっ、ありがとうございますっ! それでは失礼いたしますっ」


 メイヴはあっという間に遠くに行ってしまった。


 一連のやり取りを見たフィオンが、何故か何度もうなずいている。


「なるほど……そう言えば森狼族は早春と秋だったよねー」

「春と秋? どういう事だ?」

「にぃにはわからないかー……シア姉ならわかるよね?」

「シア姉って……フィオンさん。私とベァナさんとあなた、全員同い年よ?」

「一応、群れの先輩だからねー。お姉さんかなって」

「群れって……まぁ確かにフィオンさんは年齢より幼い印象がありますが……」


 話が全く違う方向に向かいそうだったので、軌道修正する。


「で──結局その季節には何か意味があるのか?」

「まぁおそらくアレの事だと思いますけれど……わたくしの口から言うのはちょっとはばかられますので、フィオンさんお願いしますわ」

「うん、わかった。うーんとね……うーんと……」


 彼女なりに伝え方を考えていたのだろうが、結局諦めたようだ。

 フィオンからの回答は直球だった。



「発情期」

「はっ!?」



 そう言えば以前、シアからその話は聞いていた。

 獣人族には発情期があると。





    ◆  ◇  ◇





「まぁそれが種族のさがなのだから仕方無かろう。うちのメンバーにだって年中発情期の娘がおるしな」

「セレナさん。いくら何でもベァナさんをそんな風におっしゃるなんて可哀そうですわよ」

「シアよ……貴殿の事なのだが」

「えっ!?」


 普段のベァナであれば真っ先に抗議するはずなのだが……


 今回はやけにおとなしい。

 シアの冗談にも慣れて来たという事なのだろうか?

 少し気になって顔色を伺うと、何やらバツの悪そうな表情をしていた。


「にぃに、多分あれが目印の大木じゃないかな?」


 そんな微妙な雰囲気を払拭ふっしょくしてくれたのはフィオンだ。

 彼女は辺りの空気を嗅ぐような仕草を見せている。


 フィオンが向く方向のずっと先を見ると、そこに一本の大樹が見えた。


「大木って、あのずっと奥の木か? 良くわかったな?」

「うん。見えてはいなかったけど、この方向から甘い香りがしてきたから」


 そのまま近付いていった所、確かにほんのりと良い香りを感じた。

 これは楠木クスノキの一種だろうか?


 大樹と呼べるような木は他に無いようだ。


「どうやらこれが目印らしいな」

「にいに、ボク役に立った!?」

「ああ、十分助かったぞ。ありがとうな、フィオン」


 褒められたのが嬉しかったらしく、尻尾をぶんぶんと振るフィオン。


「むむう、私達も負けられないね!」

「きょうりょくなライバルしゅつげんなのです」


 二人の娘は幸いな事に、ねたみやそねみといった負の感情を表に出す事があまり無い。

 きっと年長組の三人から良い影響を受けているお陰だろう。


「個人個人で得意な分野は違うだろうから、何事もみんなで分担して解決していこう。チームの強みって、そういう所にあるからね」


 もちろん競争は互いの能力を高め合う良い機会ではあるが、人は決して一つの指標だけで評価されるべきではない。

 そもそも人を評価する指標など、人間がその時の都合で定めたものである。


「承知いたしましたっ!」

「りょうかいであります!」


 環境や時代が変われば、必要な能力も一変する。

 俺の持つ驚異的なマナ量だって、元の世界では全く役に立たない資質だ。


 時代や環境の変化にあらがうのは、どんな強者であっても難しい。

 それは人類の歴史を見ても、生物の進化史見ても明らかだ。




(沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす……確かにな)





    ◇  ◆  ◇





 そのまま大樹の脇を抜けしばらく進むと、木々の合間から石造りの建物が徐々に見えてきた。

 小さめの砦のような見た目だが、遠目では廃墟にしか見えない。


 ニーヴが不安な気持ちを吐露とろする。


「本当にここに人が住んでいるのでしょうか……」

「だが他に建物のようなものは無いからな。中に入ってみればわかるだろう」


 建物に近づき周りを確認すると、一か所だけ木製の扉があった。

 古い感じはするものの朽ちてはいない。

 明らかにごく最近、使用された形跡がある。


 俺は扉を軽くノックした。

 すると、奥から老人とおぼしき者の声が。


「扉は開いておるよ。入って来るが良い、旅の者たちよ」


(ここに来るのが事前に分かっていた? ……まぁティネさんのお師匠様だし、当然と言えば当然か)


「失礼いたします」

「「しつれいいたしま~す」」


 二人の娘達が俺のマネをして入っていく。

 フィオンも耳を器用に動かしながらそれに続いた。

 ベァナとシアが軽く会釈をしながら入るが、セレナはまだ辺りを警戒をしているのか、扉の前で辺りを見回している。


 だが特に何もないと判断したらしい。

 彼女はしばらくすると建物の扉を閉めた。



 廃墟に見えた館の内部は、博物館のように本や様々な器具に囲まれていた。

 出迎えてくれた部屋の中央に立つ人物に声を掛ける。



「突然の来訪申し訳ありません。スプレイグロ・ヤース師を訊ねて参りました」



 右目に精巧な装飾の施された片眼鏡モノクルを付けていた。

 少しとがった耳の先が、彼がエルフだという事実を教えてくれる。




「老いぼれの住まいにようこそ。我が最後の弟子、ティネの友人達よ」





    ◇  ◇  ◆





「人数分の椅子が無くてな。すまぬが適当にくつろいでおくれ」

「ありがとうございます」

「ああ、それと部屋の中にある機材は自由に見ても構わぬが……勝手に触らないでくれると助かる。何が起こるかわからぬのでな」


 これは二人の娘に向けての言葉だろう。

 彼女達は部屋に入るなり、興味津々な様子で機材を見回し始めたからだ。


「お気遣いすみません。私は旅の剣士のヒースと申します」


 その後、仲間たちの紹介を一通り行う。

 ヤース師は俺の話をにこやかに聞きながら、仲間を紹介する度に黙ってうなずいていた。

 ティネの弟子のメアラもそうだが、エルフは笑顔でいる事が多い。


「とまぁこんな感じでいきなり大勢で押しかけてしまい、申し訳ありません」

「いやいや。あのティネがわしの居場所を教えるくらいじゃから、かなりのイレギュラーな事態だとは理解しておるのじゃが……それにしてもお主達、これまたとんでもないくらい変わり者の集まりじゃな!」


 笑顔ながら、少々気に障るような言い回しをする老師。

 メアラもそうだったのだが、エルフというのはあまり言葉遣いに頓着とんちゃくしない性質なのかもしれない。


 シアが余計な反応をする前に、あらぬ誤解は解いておいたほうが良いだろう。


「あの……変わり者、と申しますと?」

「おお、これは失敬! 決して悪い意味では無いのじゃよ。お主らのきずな尋常じんじょうではないくらいに絡みおって、少々眩しいのじゃ」

「絆? それって視認出来るものなのですか?」


 『絆』というのはあくまで抽象的な概念のはず。

 普通に考えれば、人が取った言動からしか類推する事は出来ない。


 俺と仲間達とは、確かに見えない絆で繋がっていると感じる事がある。

 但しそれは、初対面の人間には絶対に知り得ないもののはずだ。


 そんな常識をくつがえす発言をする老師。


「見えるのじゃよ、色が。しかもお主らの線は色とりどりで明るく、それでいてとても緻密じゃ」


 元の世界であれば、絶対に関わってはいけないタイプの人種だろう。


 だがここは異世界。

 そして俺のいた世界には無い、何かが存在する世界なのだ。


「それは……ヤース師の能力なのですか?」

「いやいや、とんでもない! ドワーフじゃろうがエルフじゃろうが、そんな能力を持つ種族などどこにもおらぬよ。色が見えているのは、この右目のこれじゃ」


 彼が指差す先には、当初から気になっていた片眼鏡モノクルがあった。


「このモノクルはな、遺跡から発掘された古代人の遺物アーティファクトでな」

「アーティファクト──それが不思議な力を持っていると?」

「うむ。このモノクルは人同士……というよりその人の魂同士が、今までどのような関りを持ってきたのかを示してくれる装置なのじゃ」



(人ではなく、



 老師は確かにそう言った。



 つまりは人の精神。

 それはメルドランの辺境伯ヒース・フレイザーではなく、元の世界の岡野紘也としての、の事を示しているのだろうか?


 もしそうだとしたら……



(俺の意識の転移と何か関係が──)



 これは詳しく見てもらわねばなるまい。

 そう思った直後。




「そっ、そのお話! 詳しくお聞かせくださいませんかっ!!」




 俺より先に発言した仲間。

 それは、ベァナだった。



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