旧友

「会議途中で抜け出したりして、宰相さいしょうに何も言われなかった?」


 公都で最上級の宿屋の、最も高価な部屋でさえ見劣りするような一室。

 そのフェンブル第三大公妃の居室には、部屋の主であるソフィアと導士ティネがテーブルを挟んで談笑していた。


 ティネとソフィアは、ソフィアがまだ妃候補だった頃からの友人同士だ。

 城の警備兵にもその事は知れ渡ってはいるが、流石に大公妃の部屋である。

 ソフィアの口添えがあってやっと、自室への入室を許可されていた。


「あー、そう言えば昔、言動がなってないとか怒られた事があったっけ。あの時はかなりムカ付いたわね」

「それは仕方ないわよ。あの頃のティネ、かなりとがってた印象があるもの」

「あらそうだった? でも流石に今回はなにも言われなかったわね。頼まれた以上の仕事はきっちりしたし。魔法大隊には多少の恩義があるからね」

「あはは。でも来てくれて本当に嬉しいわ。ブリジットも一緒にいたら、もっと嬉しかったのだけれど」

「そうそう! ブリジットって言えば、先日彼女の娘のベァナちゃんにばったり再会してねー」

「えっ、そうなの!? ベァナちゃんいくつになったの?」

「多分今年で17歳とかだったんじゃないかなぁ」

「うそっ、もう成人!?……あれからもうそんなに経つんだ……」



 その後もたわいのない世間話を楽しむ二人。

 特に立場上このような機会が一切無いソフィアにとっては、何より貴重な時間であった。



 それは単に珍しい話を聞ける機会、というだけではない。



 ソフィアにとってティネは、若かりし頃の自分と共通の話題を持つ、数少ない気の置けない友人の一人なのだ。





    ◆  ◇  ◇





「ティネ。あなたほんと楽しそうな生活送っているわね。羨ましいわ」

「確かに刺激の多い生活を送っているとは思うけど、そんな楽なものではないわよ? 命の危険を感じる事だって何度もあるし」

「まぁそれは本当に大変だと思うけど……でもほら、運命的な出会いもしているわけじゃない?」

「ああ、ヒースくんの事?」

「うん。そういうのすっごい憧れる。今まで全く別々の人生を歩んでたのに、同じ価値観を持つ異性と運命的な出会いを果たす……なんてロマンチックなのかしら!」


 王族であるソフィアにとって、自由な出会いなど縁の無い世界だ。

 彼女は物心付いた時から国の要人としか会う機会が無かったし、付き合う相手を自分で決める事も出来ない世界にいた。


 だからこの一風変わった魔法使い──王族や国の思惑などを一切忖度そんたくせずに話せるティネの存在は、ソフィアにとってはこれ以上ない宝物のようなものだった。


 ソフィアがまだメルドラン王女の立場であった頃、王女の護衛としてあてがわれたのがティネだ。

 当時はお互いまだ成人したての年齢であったのだが、歳が近い上に既に高い魔法技術を認められていたティネは、王女の護衛として適任だった。


 そして二人は単なる護衛と護衛対象という関係に留まらず、結果的に無二の親友となっていった。

 ソフィアにとってティネは、本心を話せる唯一の同年代の女性なのである。


「まぁ確かに彼の存在は──私の想像を遥かに超えてたわね──」

「彼の戦いぶりについてはもう色々聞いたから、他の話を教えて!」

「他の話って?」

「そのなんというか、あなた……彼の事好きなんでしょう?」

「なっ! 私そんな事一言も言ってないじゃないの!?」

「そんなの言わなくてもわかるわよ。だってヒースさんの話をしている時、あなたの顔ずっと緩んでたわよ?」


 ソフィアの言葉に反応し、両手を頬に当てて持ち上げ始めるティネ。

 それを見て笑うソフィアに、軽い溜息を付きながら答える。


「あーもうっ。ソフィアにはほんとかなわないわね。確かに彼にとてもかれているのは事実だけど──でもきっとそれはかなわない思いだって感じてる」

「どうして!? 折角同じ価値観を共有出来る異性と出逢えたっていうのに!」

「うーん、それはそうなんだけど……」


 ティネは虚空を見つめながら、彼女の思いを紡ぎ出す。


「彼はきっとね、生まれながらにして弱者を放っておけないタイプの人なの。なんというか、自分自身を犠牲にしてでも、不遇な立場の人々に救いの手を差し伸べるというか」

「それならティネだって似たような性格をしていると思うけれど」

「それはそうかも知れない──でもね。だからこそ彼は私の事を、人に手を差し伸べられる強い人間だと見做みなしていると思うの。一人でも生きていけるだろうって。あくまで私の勝手な想像だけどね」


 こういった恋愛話はソフィアの最も関心のある分野である。


「でもさ、もしそうだとしてもだよ? もしヒースさんが一人で生きていけなくなった時が来たら、一体誰が彼の事を助けてあげられるの?」

「もちろんその時は全力で手助けするわ。彼を失う事はこの世界の損失よ!」

「とてつもなく壮大な話になってるけど……本当にそれだけ?」


 自由恋愛の経験など全く無いながら、自分なりの思いを述べるソフィア。

 それだけ普通の恋愛に憧れていたのかも知れない。


「……ううん。彼を失うのは、私が嫌だから」


 対してティネは今までそういった機会を意識的に避けていた。

 それは彼女がそれまで出会った異性に対し、自分の研究対象以上の興味を持てなかったからだ。


 だがヒースは全く違っていた。

 彼自身が、彼女が今まで研究してきた全てのものよりも遥かに興味深い存在だったからだ。


「いやー、まさかティネが男性に興味を示すなんてねー」

「失礼なっ! それじゃまるで女を諦めてたみたいじゃないの!」


 口では抗議をしているが、まんざらでもない表情のティネ。


「ソフィアにも詳しい話は言えないのだけれど……彼は本当に特別な存在なの」

「特別な存在って──ほんっとご馳走様!」

「もうっ、別にそういう意味じゃないんだって! さっきも話をしたけど、彼の知識は驚異的よ? それもこの世界の学者達では、誰もその真価を理解出来ないくらいにね」

「そんなにすごい人なの?」

「うん。でもそうね……彼自身もなかなか驚異的な存在なのだけれど、正確には彼がこの世界で意識を持つに至った、そのバックグラウンドの存在というか現象というか……」

「あなたが優秀な学者なのは良く知ってるけど、出来ればもっとわかりやすく教えて欲しいわ」

「それは無理」

「なんでよ!」

「だって──私にも理解出来てないんだもの」


 少し意地悪そうな笑みを見せるティネ。

 だが彼女はソフィアの要求に応えるべく、彼女にも分かる話にシフトする。


「その彼だけど……彼は今頃、フェンブルのどこかを旅しているわ」

「この国のどこかですって!? だったらなんで一緒に行かなかったの?」

「あんたの旦那に呼ばれたからでしょうに~~っ!」


 大公を旦那呼ばわりする人物など、世界広しと言えども彼女くらいなものだろう。


「あ、そうだったわね……わざわざ呼び立ててしまってゴメンね」


 自分の故郷であるメルドランがフェンブルに攻め入ったという噂は、ソフィアの耳にも既に届いていた。

 ソフィアを大事にしている大公によってこの事は口止めされていたのだが、噂好きの使用人達を完全に黙らせる事など出来るはずもない。


 気落ちしたソフィアに慌ててフォローを入れるティネ。


「まぁそのっ、今回はあの忌々いまいましいミランダが勝手に無償で依頼を受けてきたのが直接の原因だから、あなたや大公陛下のせいってわけじゃ無いわ。それにこうしてソフィアの元気な姿を見られたのだから、これはこれで良かったなと思ってる」

「ありがとうティネ。でも本当ならこんな争いに関する事ではなくて、もっと楽しめる用件で公都に寄って欲しかったわ」

「それは私も同感。でもねソフィア、今回に限ってはね……あなたにも非常に関係のある話なんだけど……わざわざ私が呼ばれるくらい、事態は深刻なのよ」


 彼女は大陸東部きっての魔導士であり、学者でもある。

 その彼女の言葉に偽りはない。


「……アイザックが魔物を指揮してるって噂、やはり本当だったのね」

「ええ。それでソフィアには申し訳無いけど、フェンブルの為にも……そして何よりあなたの為にも、アイザック王子を討つよう大公陛下に助言しておいたからね」

「うん──ありがとう」

「このまま手をこまねいて見ているだけでは、愚かな大公だと国民からそしりを受けてしまうから」

「そうね──私がいくら大丈夫だと言っても、きっとパトリック様は信用してくださらなかったと思う。代弁してくれて感謝するわ、ティネ」


 昔を思い出すように、おもむろに天井を見つめる大公妃。


「あの子はね、確かにわがままな所もあったけれど、ちゃんと話をすればわかってくれるいい子だったのよ。それがなぜこんな事に……」


 ソフィアはそう呟いた後、すぐさま頭を軽く振った。


「ううん、理由はわかっているの。優れた兄達への劣等感。残酷な事に、あの子の四人の兄達は全員とても優秀だった」

「四人? アイザック王子は第四王子だから、その上はレオナルド様、アルフレッド様、アーサー様の三人しかいなかったはずでは?」

「おそらく今のメルドランの情勢からすると、既にお父様に近い旧臣達が騒ぎ立てている頃だとは思うのだけれど……」


 メルドラン王国に王子が五人いるという話は、大陸東に住む者であれば誰でも知っている常識の一つだ。


 だが今王子の話をしているのは彼らの姉妹、第一王女のソフィアである。

 一般市民には知らされていない事実を、最も良く知る人物である。


「アイザックの三歳上にね、一人いたの。やんちゃだけどとても利発で才能があって、とってもかわいらしい弟がね。彼は幼いアイザックの事も気に掛けてくれてたわ」

「でも今の王室に、その存在は無い……」

「ええ。一般には知られていないのだけど、第四王妃だったエリン様のご子息でね、コナーという名の弟がいたの。でも彼はエリン様と共に北方の地へ追いやられてしまって」

「継承者争いに敗れた、という感じかしら?」

「そう。エリン様の出自しゅつじについて、第二王妃のダニエラ様を中心に一部の貴族たちが騒ぎ立ててね、王宮内が一時殺伐となってしまったの。それで責任や身の危険を感じたエリン様は王に直訴したのよ。王子の王位継承権を放棄するので、どこか安全な地で暮らせるよう取り計らっていただけませんか、って」


 魔導士が思わず溜息を漏らす。


「やっぱり昔からそんな感じだったのね。ロクでもない奴ね、あの女狐は」

「でもダニエラ様の事情もわからないでもないの。実家は由緒正しい家系だったにもかかわらず、曾祖父が起こした不祥事のせいで爵位を降格させられてしまって……それが王家にとつげる地位まで挽回出来たのだから、彼女への期待は相当なものだったと思う」

「なるほどねぇ……でもさ、今はそのダニエラ王妃のせいで多くの都市が襲われ、多くの国民達が命を落としているのよ!? どんな理由があったとしても、絶対に許せる行為じゃないわ!」

「そうね。だからティネには感謝しているわ。今こうしている間にも、なんの罪も無い人々の命が奪われているかも知れない。あの子の蛮行は、どんな手段を使っても絶対に止めなければならない」


 ティネはソフィアを正視する。


「もし、あなたの可愛い弟が命を落とす事になっても?」

「王族の命が尊いと言われるのは、彼らに多くの人々の命を救う力があるからだと私個人は解釈しています。でも、もしその力が全く無いどころか、多くの民の命を犠牲にするような者だったとしたら──」


 大公妃の口元が引き締められる。


「それは国にとって害悪以外の何者でもありません。排除されてしかるべきです」

「そうね……国同士のいさかいだって、結局そこが原点でしょうし」



 戦争の話はそこで一旦終わり、ソフィアは残りの短い時間をティネの冒険譚で楽しむことにした。




 もっとも冒険より、色恋話への誘導ばかりだったが。





    ◇  ◆  ◇





「あーもうこんな時間! そろそろおいとましないと」

「えー!? 私まだヒースさんの詳しいお話聞いてないわよー?」

「あー、その事なんだけどさー」


 ティネは右手を頬に当てながら、物憂げに話をする。


「彼ね……私より若くて綺麗な婚約者が既に二人いて、それとは別にお嫁さん予備軍が数人いるのよ。しかも狙ってる女性は他にもいそうなのよねぇ……どこかの師団長とか……」

「まるで王族並みの引き合いね? どこかの国のご貴族様? それとも豪商?」

「本人は何かの拍子に記憶を失ってしまったようで良く分からないそうなんだけど、私が話した印象では貴族って感じじゃないわね」

「それじゃ平民って事?」

「うーん──それもちょっと違うかな。卑屈さや粗暴さが全く無いし、かと言って貴族特有の高慢さも感じられない。なんというか、彼には身分っていう概念が希薄なのよね。まぁ中身がこっちの人じゃないからかもだけど」

「え? こっちの人じゃないってどういう……」

「あー気にしないで! この辺の出身の人じゃないって事!」

「この辺じゃないって……でもそのヒースさんて方、すごい知識をお持ちなのよね? 東方三国より学術的に進んでる国なんて……」


 いくら親友同士と言っても、まさか異世界から来た人間だなんて話は信じて貰えないだろう。

 そもそもこの事はあまり公言しないよう、当の本人から言われている。


(ああそうだ! 謎の多いグリアンの話に絡めれば──)


 そう考えたティネは、ヒースの外見的な特徴を伝える事にした。

 中身は異世界人であっても、元々の本人はこちら側の人間だ。


「彼、グリアンの血を引いてるっぽいのよね」

「グリアン人──」

「うん。髪も目も綺麗な黒でね。でも一番驚いたのが魔法の才能。おそらく全種類の精霊魔法を使える上に、マナ量が私の倍近くもあったのよ!」

「魔法の才能、大量のマナ……」


 ソフィアはしばし思いにふける。


「何か気になる事でも?」

「ううん。グリアンの末裔って事だったら、もしかしたら私と同じメルドランの出身なんじゃないのかなって」

「私もそうじゃないかとは思ってるんだけどね。でも詳しい事はわからないから、彼に私のお師匠様を紹介したの。他にも色々知りたいことがあったみたいだし」

「あなたがヤース師を紹介するなんて珍しいわね!」

「出来れば私も同行して、あの不思議な片眼鏡モノクルで私とヒースくんの関係を見て欲しかったんだけどなー」

「関係なんて、後からいくらでも作れるじゃないの!」

「んまっ! 大公妃ともあろう方が、なんて破廉恥な発言をっ!」




 部屋の外にまで聞こえそうな、快活な笑い声。

 こうして二人の歓談は、笑顔のままお開きになった。



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