古巣への恩義

 それはヒースとジェイドがニアミスを起こす数週間前の事。


 フェンブル公都にある大公の城に、国の重鎮じゅうちん達が勢揃いしていた。

 どの参加者にも焦りの表情が色濃くあらわれている。


 大公のパトリックが宰相のヴェルナーに報告をうながす。


「それで結局、国境付近の状況は?」

「人口五千人を超える中規模都市が三都市、人口千人程度の町が十箇所以上攻撃を受けたようです」

「結構な数になってきたな……それで、それは一つの部隊によるものか?」

「いえ。複数の部隊によるものだという事は確実なのですが、判明しているうちの一つはメルドラン第四騎士団によるものでして……」

「第四騎士団だと!? メルドラン西部の守りの要ではないか! なぜそんな騎士団が南征を!?」

「わかりませぬ。ただ第四騎士団は基本的に都市に対して降伏勧告をし、従わない場合でも極力話し合いで事を収める方向性で進軍しているようです。市民には一切手を出さず、その進軍もそれほど積極的ではないようで……」

「第四騎士団に押さえられた都市は?」

「小規模の町が三箇所程度でございます。しかも全て国境付近の、元々メルドランとの交易で栄えている町でした。以前聞いたような、暴力的な行為は全く無いようです」

「となると我がフェンブルの都市が丸ごと破壊されたという報告は、第四騎士団によるものではないと?」

「はい。元々第四騎士団は西部の魔物対策の為に設立された騎士団で、対人戦闘はあまり好まない集団だと聞き及んでおります。一般市民出身者が大多数を占めているというのもその理由の一つではないかと」

「では都市を魔物が破壊して回っているというのは……」


 大公の質問に返答したのは、長テーブルの端に座る女性だった。



「その件については私から説明いたしましょう」




 大陸きっての魔導士であり学者の、ティネ・ラセルである。





    ◆  ◇  ◇





 この場に呼ばれるには少し若過ぎる印象があった。

 実際、二十代の出席者は彼女しかいない。


 だがこれはフェンブルにとって、国の主要人物が集まる重要な会議である。

 そう言った意味では、彼女の参加に異議を唱える者など誰もいなかった。


 なぜならフェンブルに所縁ゆかりのある魔導士の中で、最も権威を持つ存在が彼女だからである。


「おお、導師ティネ! 国境沿いの偵察に行ってくれたのだったな。タイミングが合わずに挨拶もままならなかった。改めて礼を言う」

「元々お世話になっていた国の一大事ですから、これくらいは当然の事です」


 ティネはフェンブル軍に所属していた事もある。

 そのため、こういった場での対応にも卒が無い。


 だが──


(どうせ国境付近を調査するなら、ヒースくん達と同行したかったわ──)


 元々若くして軍を抜けたのも、研究の時間を捻出する為だった。

 大口の支援者パトロンであるマイネ伯爵家令嬢、ミランダ・マイネからの依頼で無ければ断っていた事だろう。


「導師の見て来た戦場の様子について聞かせてくれないか」

「はい。あれは決して戦争と呼べるものではございません。殺戮です」

「殺戮とは一体……?」

「私の赴いたターゲルカスの町には誰一人として生存者がおりませんでした。そこにあったのは破壊された瓦礫がれきの山と兵士たちに倒された大量の魔物の骨、そして……」


 ティネはそこで一旦口をつぐみ、意を決したように言葉を続けた。


「生前の姿を一切しのぶことが出来ない、骨のみとなった死体でした」

「骨のみという事は、魔物に……」

「ええ。住民達は魔物の餌食となってしまったようです」

「なんとおぞましい……しかしその状況であれば、ゴブリン共の巣分けの犠牲になってしまったという可能性は無いのか?」


 この世界で最もありふれた魔物であるゴブリンは、世界各地の様々な国で厄介の種となっていた。


 その原因はゴブリンの攻撃性と繁殖力、そしてその生態にある。

 彼らは増えすぎた集団を維持する為、まるで蟻や蜂のような行動を取るのだ。


 だが現場を間近で見て来た魔導士ティネは、大公の推測をやんわりと否定する。


「確かにこの話だけで判断すればそうなるでしょう。しかし残されていた魔物の骨を良く調べてみると、そこにはホブゴブリンだけでなく、トロールの骨も紛れておりました」

「トロールだと!? 山岳地帯に棲息するいう、あの巨人が!?」

「ええ。トロールは単独で生活をする種族で、群れは一切作りません。しかも今回の場合、ゴブリン集団の中に複数の個体が紛れていた様子。生活圏の違う他の魔族同士が連携する事など、通常ではあり得ません」

「となると、やはりメルドランの──」

「はい。元々魔物を使役する精神魔法は太古の昔から存在しています。今回はそれよりも大がかりな魔法か、またはそれに準ずる他の何かにより、魔物が操作されていたと見て間違いないでしょう」


 ティネの話を聞いた参加者達の表情が曇っていく。


 フェンブルとメルドランは長年、友好関係を維持してきた。

 もちろん鉱山などの各種権益を発端とした隣接領地同士のいさかいなどはあったものの、ここ百年以上全面的な争いは起きた事が無い。


 それは両国が互いに政治的な根回しや努力を続けて来た賜物である。


 独立国家となった今でも大公国と名乗っているのも、政治的な配慮の一つである。

 フェンブルは元々メルドラン王国から派生して出来た国家である為、その事実を今も引き継いでいるという、ある種宣言のような役割を持っているのだ。


 また現在、政治的に最も影響を持つのが、第三大公妃ソフィアの存在だ。

 彼女はメルドラン王レスターの長女であり、殉職した第一王子レオナルド、現在行方不明とされている第二王子アルフレッドと生母を同じくする兄妹である。

 強大な王国であるメルドラン第一王女ソフィアの存在は、三大国に挟まれているフェンブルにとっては国家安泰の最大の根拠であり、またその象徴でもあった。


 だがそれがここに来てそのメルドランから一方的に侵攻を受ける立場になり、しかも彼らは魔物を使役して都市を攻めているという。

 大公からの寵愛を最も受けているソフィアの立場も、今後危うくなるのは免れないだろう。


 そしてその事は大公本人以上に、文官や各騎士団が敏感に感じている。

 このタイミングなら、とばかりに黒鷹こくよう騎士団長が会話に加わる。


「大公陛下、僭越せんえつとは存じますが、是非北征軍の編成を!」


 参加者達の表情は、明らかに彼の意見に賛同するものだった。


 実際他の騎士団からも、既に同様の声が複数上がっている。

 またこれまで騎士団と意見の食い違いの多かった文官連中たちも、今回ばかりは騎士団の意見に全面同意している。


 だがそこを一歩踏み出せずにいたのは……


「いや確かにそうなのだが……メルドランと真っ向から対決姿勢を取るのは、ソフィアとの婚姻を快諾してくれたレスター王に申し訳が立たぬ」


 大公であるパトリックは非常に温厚で、多くの部下から慕われている。

 ただ同時に争いごとを好まない性格なため、戦などで騎士団を動かす事も少ないという面も持つ。

 世が世であれば活躍する機会が与えられない騎士団からだけでなく、無駄な軍を組織しているという事で国民からも不平不満を漏らされる対象となっていただろう。


 だがこの世界には魔物という、人にとっては害にしかならない生物が存在する。

 いくら争い事が嫌いな大公とは言え、魔物の討伐に対して躊躇ちゅうちょする事は無い。

 結果国民からは不平どころか感謝の言葉を贈られ、かつ騎士団員からの不平も殆ど出ないような好人物なのだが……



(大公様、いい人なんだけど──決断力って面ではちょっとねぇ。ソフィアも何かと苦労してるんだろうなぁ)



 ティネの感想は、大公の部下達の全員が感じている事であった。



 それでも君主の権限が絶対的なこの世界にいて、部下の意見を参考にしてくれる人物は貴重な主である。

 国民を苦しめる暴君ならまだしも、パトリック程度の優柔不断さをとがめるような部下はいない。

 もし居たとしても他の重鎮達によって激しい叱責を受け、場合によっては政治の場から退場させられるだろう。


 メルドランのレスター王やトーラシアのフェルディナンド公に比べ怜悧れいりな人物だとは言い難いが、暗愚あんぐと言うわけでもない。

 ただ、平時を治めるには十分な才能を持つ人物だとは言えるだろう。



(でも今は平時では無く有事。一歩間違えれば、国が滅ぶ可能性だってある)



 ティネがそう考えるのは、トレバーでの出来事がきっかけだった。



 元々彼女は、魔法協会・シンテザ教団の双方に対して不信感を抱いている。

 しかしシンテザ教団による大規模な行動を目の当たりにし、更にはトーラシア連邦の中枢にまで教団の手が迫っていた事実をミランダから聞いた。

 これらの事から、とりあえず現状では協会側よりも教団の動きをより注視していかなければならないと判断したのだ。


(ソフィアの為にも、あと一押ししてあげようかしらね)


 魔導士ティネは再び会話に合流する。


「大公様、実はもう一つ情報がございまして」

「情報? どのような情報か?」

「魔物の軍勢を指揮する者についてです」




 会議室にどよめきの声が走った。




    ◇  ◆  ◇





 魔物の軍勢に襲われた都市の住民は例外なく命を奪われていたため、その詳細についてはいまだ把握出来ずにいた。


「先程の報告によれば、侵攻が確認されている第四騎士団では無さそうだが?」

「ええ。魔物を使役している部隊は第四では無く第三です」

「第三と言うと、東方の治安維持が中心任務の部隊か?」

「はい。なぜ東部方面軍の第三が南下しているのかの理由まではわかりませんが、その部隊を指揮している人物については複数個所から証言を得ました」

「確証が高いという事だな……で、その人物の名は?」


 大公の元にもいくつか報告は上がって来てはいたが、そのどれもが近隣町村の住民からの報告であった。

 職業軍人ではない彼らからの話は、当然ながら信憑性が低い。


「指揮しているのは……アイザック第四王子です」

「まさか、単なる噂だと思っていたのだが……真実だったとは」


 彼らに襲われた都市の衛兵隊は、例外なく全滅させられている。

 つまり詳しい情報が全く入って来なかったのだ。

 ティネが偵察に駆り出されたのは、そういった事情もあった。


「しかしアイザック王子が先導しているとわかれば、こちらの対応次第ではレスター王やソフィア妃殿下の面子めんつを潰さずに済みます」


 女性魔導士の言葉に最も反応したのは騎士団長達だ。

 彼らは動こうにも動けぬ現状を、最も憂いている。


「どういう事か説明してくれぬか?」

「ええ。アイザック王子は第42代メルドラン国王を宣言していますが、病床にあるとは言えレスター王は存命です。もし生前退位をなされるなら、レスター王の言葉として宣言があるべきです」

「それは至って正論なのだが……王が病床にせていて国務がこなせない場合、次期後継者が代理で執行するというのは歴史的に見ても何も珍しい事では無い」

「ええ。おっしゃるる通りでございます」

「それにレスター王の後継者で生存確認が出来ているのは、アイザック第四王子とセオドア第五王子だけだ。セオドア王子はまだ成人年齢では無いし、そうなるとアイザック王子が継承しても何ら不思議はないだろう」

「そうですね。しかしもしそうだとしたら、なぜアイザック王子はこれほど性急に即位宣言などしたのでしょうか? もしメルドラン王室の噂が真実だとすれば──つまりアルフレッド王子がレオナルド殿下を見殺しにして自分だけ逃げ延びたという話が本当であるならば──継承権第一位はアイザック王子で確定でしょう」


 ティネはそのまま話を続けた。


「であるならばアイザック王子は別に急がなくとも確実に王位を継げるわけです。では、なぜそれほどまでに事を急ぐのか──」

「もしかすると……その話自体が全て偽りだと?」

「おそらくそうです。第二王子が存命中なのをアイザック第四王子が……いいえ、その母であるダニエラ王妃が知っていて、なおかつその足取りが掴めないからです」

「だが一緒に出陣した第一王子だけが命を落としたのは事実なのであろう? その話だけを聞けば、国民の誰もが疑いの目を向けるであろう」

「アルフレッド第二王子はソフィア大公妃殿下と最も仲が良かった弟君でございますよ? その方が実の兄を殺めるような、そんな不義理な行動を取られるとお思いですか?」

「いや……ソフィアがアルフレッド殿下の話をする時は、決まって楽しそうだった……私がうらやむほどに」


 苦笑する大公。その表情に嫉妬心は見えない。

 大公のパトリックにとって、ソフィア大公妃の行動はどれ一つとっても愛すべきものとして捉えられているようだ。


(ソフィアに夢中なのはわかるけど……他のお妃様も相手してあげてね!)


 ティネから見れば、メルドラン王室もフェンブル大公家も状況は同じだ。

 その婚姻のほとんどが政略的な意味を持つ以上、妃同士の駆け引きからは逃れられない。


「そのあたりの真実は置いておいたとしても、アイザック王子の行動が国家間の取り決めを勝手に踏みにじった行為である事は事実です。またレスター王からの正式な通達が無い以上、アイザック王子の行動はむしろ彼の所属するメルドラン王国への反逆行為だと解釈出来るわけです」

「つまり我々はメルドラン王国へではなく、あくまでメルドランの反体制勢力であるアイザック王子に対して対抗措置を取る、と?」

「そうです。ただそこまでしっかり大義を掲げなくても、メルドラン所属の騎士団がフェンブルを侵食しているのは確かですからね。国内で返り討ちにしたって、どこの国家からも文句なんて言われませんよ」


 ティネと大公の話を聞いていた参加者達から、今後の方針について次々と意見が出始める。


「パトリック陛下、これで我々には大義が出来ました! すぐに北征軍の編成をっ!」

「我々緑龍騎士団が参戦いたします!」

「いやいや、魔物の軍勢と言えば我々、銀狼騎士団の出番ではないですかな?」

「トーラシアと和睦を結んでいる今であれば、我々赤獅子騎士団が最も自由に行動できます! 是非我々の北征参加をっ!」


 騎士団の中心に次々と意見が出て来る中、これを好機と見たティネは座席を立ち、上座に座る宰相の元まで足を運んだ。

 そして小声で一言。


「ヴェルナー宰相。頼まれたご報告は全て終わりましたので、私は一旦これで失礼いたしますね」



 宰相の返答を聞くまでも無く、ティネはそのまま会議室を出て行ってしまった。




    ◇  ◇  ◆





 導師ティネは現在、大陸を代表する著名な魔導士の一人である。

 元々フェンブルの魔法大隊所属の魔術師だったが、数々の輝かしい功績を挙げたにも拘わらず、彼女は地位や栄誉を望まず自らの研究の為に除隊した。

 現在はトーラシア北部の町ダンケルドに工房を構え、国の依頼の合間に古代文明などの調査・研究をする生活を送っている。


 そして今回はその縁を頼りに、フェンブル大公がトーラシア盟主に頭を下げてまでわざわざ来て貰った、いわば賓客という立場である。


 依頼内容はメルドラン軍に襲われたとされる都市の調査と報告。

 会議への参加は大公が直接の報告を望んだからであって、当初の依頼内容には含まれていないものだった。

 仕事をきちんとこなしている以上、会議の途中で席を立ったとしても文句を言える理由は無い。


「それにこんな危険な業務だと言うのに、無報酬で良いと来ている。あのティネ殿がのぅ……随分と大人になられたものじゃ」


 ティネがまだ軍に入りたての頃、宰相は彼女と何度か話をした事がある。


 当時の彼女は腕がちょっと良いくらいの、少々生意気な感じの少女だった。

 ヴェルナー自身、彼女の言動をいましめた事もあった。



(まぁティネ殿は覚えておらぬとは思うがのぅ)



 それが今では世界的に有名な魔導士である。



 宰相のヴェルナーは時の流れに心なしか寂しさを感じつつも、及び腰だった大公の背中を押してくれたティネに感謝をする。



「諸侯の皆様。皆様の意見もおおむね一致しているようですので、メルドラン反体制軍については、積極的にこれを排除するという方向で宜しいですかな?」

「「「異議なしっ!」」」

「それでは議題を次の段階へと進める事にいたしましょう。まず騎士団の編成についてですが……」



 こうして宰相は、会議の取りまとめを再開するのだった。


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