啓示 ~Revelations~

 メルドラン王国もフェンブル大公国も大国と呼ばれるだけあり、発展した都市を国内にいくつか抱えている。

 しかしそれも整備された街道によって接続された一部の都市だけである。

 国境付近ともなれば途端に木の生い茂る山々や、地に光も差さぬほどの深い森林地帯が広がっていた。


 そして世界に点在するシンテザ教の拠点の一つが、そんな辺境地帯に存在する。


 大陸随一の流域面積を誇るエスカ湖。

 その南部に広がる大森林の、更に奥深くに眠る古代遺跡が彼らの拠点だった。



 その遺跡の一室には、この世界の文明レベルでは到底生み出す事の出来ないはずの奇妙な物体が並ぶ。

 見る者が見れば、それらは魔法協会が召喚魔法で呼び出す各種装置に酷似したものだとすぐに気付いたであろう。



 そして年に数度しか現れない神の遣いが、信徒達の前に顕現しようとしていた。



 部屋の中央の未知の金属で作られた円台。

 その上に、うっすらとした霧のようなものが出現する。


 だが普通の霧と違うのは、それらが瞬時に明滅を繰り返している事だった。



「おおっ! 使徒様がお見えになられるようだぞ!」



 霧は不定期に明滅を繰り返しながら次第に濃くなっていく。

 そして霧は、その場に立つ人の姿を形作っていった。



 正確に言うとその『使徒』は立っていたわけではない。

 その場に浮かんでいたのだ。




── おのが弱さを知る者はこれ、幸いなり ──




 使徒の声が響く。

 しかしその声は目の前にいる使徒の像からではなく、部屋のあちらこちらから聞こえているように思えた。



 彼らが崇める神『シンテザ』による、啓示の始まりを告げる声である。



 この遺跡は幹部クラスの信徒にしか教えられておらず、今この場にいるのは教団の中でもある程度の地位にある者達である。


 そんな彼らがひざまずく相手は、魔神シンテザかその使徒しかいない。



── 我々の目指すものは、人類の健全なる進化 ──

「「「我々の目指すものは、人類の健全なる進化」」」



 啓示前の通例儀式。

 使徒の定型句を、教団の幹部たちが復唱する。



── 行き過ぎた庇護ひごは、人類の弱体を招く ──

「「「行き過ぎた庇護は、人類の弱体を招く」」」



 復唱されている言葉は正に、シンテザ教団の教義そのものであった。


 彼らの教義は、人類そのものの進化。

 人が持つ生命体としての能力を向上させ、子孫に伝えていく。



── 人は自らの進化を止めてはならない ──

「「「人は自らの進化を止めてはならない」」」



 生ぬるい環境に浸かっていては、人は退化する。

 彼らにとって戦いとは、人の健全な進化に必要不可欠なものなのだ。



 魔法協会との考え方の違いはそこにあった。



── 偽善と傲慢ごうまんの象徴たる魔法協会に鉄槌を ──

「「「偽善と傲慢の象徴たる魔法協会に鉄槌を」」」



 ブラックボックス化された基準で人を選別するシステムや、どんな者であろうと庇護ひごしようとする姿勢。

 魔法協会のこれらの仕組みは、シンテザ教団からすれば人の健常な進化を損なう愚かなものだと見做みなされているのだ。



── 停滞と衰退の元凶たる魔法協会に終焉を ──

「「「停滞と衰退の元凶たる魔法協会に終焉を」」」



 そして魔法協会の教えもまた、シンテザ教団とは相反する。

 両者は数千年もの間、ずっと対立してきた。




── 鉄槌を ──


「「「鉄槌を」」」


── 終焉を ──


「「「終焉を」」」




 それらの復唱が終わると幹部たちはそれぞれ一人ずつ、遺跡にある怪しげな個室へと入って行った。




 シンテザからの『啓示』を授かる為である。





    ◆  ◇  ◇





 魔神シンテザからの『啓示』を聞き終えた信徒たちが、次々と広間に戻る。


「それでジェイド、そなたはどんな『啓示』を受けたのじゃ?」


 この場には少々場違いな程の高貴な身なりの婦人が、これまた来る会場を間違えたような燕尾服を着た男に話かけていた。


「これはこれはダニエラ王妃……それとも王太后たいごう殿下とお呼びした方が宜しかったでしょうか?」

「どうとでもお主の好きなように呼ぶが良い。余にとってあの国は既にどうでも良い存在じゃからの」


 ダニエラの表情はあくまで冷たかった。


 それもそのはず。

 彼女は正妻の一人であるにも関わらず、王からの寵愛を一切受ける事なく生きて来たのだ。


「そんな事よりもそなたの『啓示』じゃ。亜神による襲撃は失敗に終わったそうじゃが、それについて何か叱責しっせきされたのではないか?」

「いいえ、慈悲深い魔神シンテザ様はそのような事は一切おっしゃらず……そもそも協会支部の破壊も目的の一つだったのですが、報告によるとあの巨人はとんだ陰萎野郎だったようでして……女性に全く興味を示さなかったそうなのです」

其方そなたはあのような亜神にまで生殖行為をさせようと考えていたのか!? とんでもない奴だな……」

「あくまで交配実験の一環です。まぁ役に立たなかったという調査結果が分かったので、全く無駄というわけではございませんでしたが……」


 実際、他の幹部達も似たようなものだった。


 それぞれが思い思いの方法で目的の成就じょうじゅはげむ。

 そしてこの『啓示』というのは、それぞれの幹部に対する助言……攻撃対象都市の詳細情報であったり、研究に役立つ未知の知識であったりと多岐にわたる。


 それらの『啓示』で得られる情報は高度で、かつ正確なものだった。


「そう言えばダニエラ様は、戦いに生き残った強いオスを選抜し、その強い種により人の進化を促そうとしていらっしゃるのでしたね」

「ああそうじゃ。魔法協会を潰して回れば、仇敵きゅうてきの排除と強者の選別が同時に出来るではないか」

「まぁ、そういう考え方も出来なくはありませんが」

「余にはなぜお主やマラスがそんな回りくどい事をするのかさっぱり理解が……そう言えばマラスの姿を最近見かけぬが、奴の研究成果を奪ったのはお主であろう? 奴はどうしている?」

「奪ったとはこれまた人聞きの悪い! 私は彼を助ける為にちょっとした取引をしただけなのですよ? 彼の研究成果を、より有効活用する為に!」


 教団の幹部は互いに干渉する事はないが、己の目的達成の為に一時的に協力関係を築く事もある。

 現在では、王妃ダニエラとジェイドが正にそういった関係にあった。


 そしてマラスは教団内では協力者の多い幹部であった。

 というのも彼は魔法具の知識について精通しており、他の幹部に様々な道具を供与する事で活動資金を得ていたからだ。


 以前からマラスの研究に目を付けていたジェイドは、脱獄の手助けをする代わりに研究成果を全て提供させたのだ。


「彼が脱獄した後の事は一切知りません。彼の研究は素晴らしいですが、彼自身には特に興味はありませんからね……そんな事より、ダニエラ様がお受けになられた啓示はどうでしたかな?」

「余か? 余への啓示は今までと変わらずじゃ」

「例のフレイザー辺境伯でございますか」

「ああそうじゃ。彼が余の目的に最も合致した男である事に変わりは無いようでな。であるならば──捕らえ、種馬として存分に働いてもらうしか無かろう?」


 冷酷な表情だった王妃の顔が淫靡いんびに歪んでいく。


(この雌豚は強い種を生み出す事なんかより、むしろ自分がその苗床になる事を望んでるんじゃないか?)


 シンテザから享受された知識や魔法によるものなのか、ダニエラは実年齢よりも若々しく、一般男性から見れば非常に魅力的な容姿を保っている。


 だがジェイドの価値観からすると、それはあくまで見かけの美しさであった。

 彼は後天的な強さや美しさではなく、個体が持つ先天的な能力にこそ価値があるという信念を持つ。

 彼女よりも強く美しい女性など、世の中を探せばいくらでもいるのだ。


(しかし単眼の巨人キュクロプスを倒したのがそのフレイザー辺境伯だったならば……ひとまずは協力しておいたほうが良さそうですね)


「なるほどなるほど。もし辺境伯の動向がわかりましたら、私からもダニエラ様に遣いを出しましょうっ! 狼人族を大量に提供してくださったお礼としては、いささかお粗末とは存じますが」

「ヒース・フレイザーの情報があれば必ず伝えて欲しい。あと出来損ないの愚息と鉢合わせる事があれば、気が向いたらで良いので加勢してくれると尚の事ありがたいな。さすれば余も出来る限りの協力を惜しまぬぞ?」


 教団内での立場は同格とは言え、ダニエラは正真正銘の王妃である。

 実際ジェイドもかなりの支援を受けていたし、その影響力は計り知れない。


「有難きお言葉! 微力を尽くさせていただきましょう」

「余も色々と忙しい身でな。王都の古狸どもが離反せぬよう、色々と面倒を見てやらねばならぬ。すまぬが宜しく頼むぞ」



 年に数度しかない、神からの貴重な『啓示』の時は終わった。

 幹部達は各々おのおのの拠点へと戻っていく。



 ダニエラはメルドラン本国へ。

 ジェイドはフェンブル東部に構えた研究施設へと赴く。




 それぞれが違ったアプローチにより、共通の目的を達成する。

 そしてそれを成就する事を最優先にしたが為に、倫理と言う概念が消え去ってしまった研究者集団。



 それが、今のシンテザ教団の姿であった。





    ◇  ◆  ◇





 ジェイドのアプローチはダニエラとは少々異なる。

 彼の目的は、性質や形質の継承を解き明かす事にあった。

 そう考えるようになったのも、彼自身の生い立ちが強くかかわっている。


「王妃のお考えも分からないわけではありませんが……優秀な親から生まれる子供が必ず優秀とは限りませんからねぇ」


 彼はフェンブル東部の人里離れた地にある、彼専用の研究施設にいた。

 元々はかなり昔に打ち捨てられた砦の一つであったのだが、石造りの頑丈な建物であったが故に、改造し拠点としているのだ。



「……あっ……あぁっ……」



 地下へ続く階段の奥から聞こえてくる、若い女性の声。


「神はどのようにして、このような芸術品を創造されたのでしょうかっ!?」


 元々は地下牢であったが、ジェイドはこれを研究施設に改造した。

 そしてその階下にいたのは──



「本当に君たちはなんて強く、そして美しいのでしょう……」



 獣人達だった。



 数名の獣人女性が、手足にかせをされ寝かされていた。

 そして首には『縛呪の首輪』が。


 とは言え彼女達は囚人のように、そこで生活をしていたわけではない。

 普段は建物の上階にある、至って普通の部屋に軟禁されている。


 そして獣人達はこのように定期的にこの場に連れて来られ、ジェイドの部下達によって精神支配の実験が施されていたのだ。

 そしてその方法とは──



 あらゆる方法で快楽を与え続けるというものだった。



 淫らな行為ではあるが、欲に任せて乱暴を働くような部下は一人もいない。

 そんな事をすれば、ジェイド自らの手によって始末されてしまう。


(彼女達には誰があるじなのか、はっきりとお教えしなければなりません。間違った主に仕えるなど、彼女達の為になりませんからね)


 思いに耽るジェイドに、一人の部下が駆け寄って来た。


「ジェイド様、いつもの結果報告なのですが……」

「何かとても言いづらそうですね? 何かございましたか?」

「それがなかなか思うように進捗が進まず……ジェイド様が留守の間に隷属を誓った獣人はたったの二名でして……」

「はて? いつもその程度のペースでしたよね? 私はこの子達になるべく苦しい思いをさせたくありませんので、じっくり可愛がってあげなさいとお伝えしていました。特に問題は無いかと思いますが……」

「それが……獣人が二名、脱走いたしまして……」


 報告をした部下は、上司のそのような表情を今まで一度も見た事が無かった。


「それは……ちょっと聞き捨てなりませんね」

「本当に申し訳ございませんっ!」


 だがジェイドは感情だけで動くような人間ではない。


「謝罪は良いので、詳しい状況を教えてください」

「はい。脱走したのはまだ実験を開始したばかりの森狼族の姉妹です。いつものように定期実験を開始しようとした所、例の白狼族の少女が……」

「ほう? 彼女が?」


 ジェイドの目付きが変わる。

 彼の表情からはもう、怒りの感情は消えていた。


「はい。地下へ移動中に彼女から攻撃を仕掛けられまして。白狼族の少女はなんとか取り押さえられたのですが、姉妹はその隙に建物の外へ……」

「怪我は無かったのですか?」

「はい、お陰様でどの職員にも大きな怪我は……」


 ジェイドは普段、部下達を意味無く叱責する事は無い。

 だからその部下も何か勘違いをしていたのだろう。


「何をとぼけた事を言っているのです? 心配しているのは彼女に決まっているではないですか。白狼族は各地に点在する狼人族の中でも抜群の身体能力と知性を兼ね備えた、神の生み出した最高傑作なのですよっ!?」


 彼が部下に無駄な叱責しっせきを与えないのは、彼らに興味が無いからである。


 失言だと気付いた部下は、すぐに態度を改めた。


「そっ、そうでございますよねっ! 彼女に一切怪我はございませんっ! 何しろ我々では彼女を取り押さえるので精一杯でして──」

「そうでしょうそうでしょう。それで? 彼女は今どちらに?」

「ジェイド様がお帰りになられるとお聞きし、奥の間にお連れしております」

「乱暴なマネはしていないでしょうね?」

「はい。お言いつけの通り『脱力』の魔法しか使っておりません」

「なら宜しい。逃げた獣人達はどうせマナ不足でそう長くは生き永らえないでしょう。貴重な実験体を失ったのは残念ですが……彼女さえ無事であれば、他の些事さじは不問といたしましょう」

「ありがとうございますジェイド様!」


 部下はそう言うと大急ぎで持ち場に戻っていった。


「王妃くらい金も権力もあれば、もっと優秀な人材をふんだんに使えるのでしょうが……まぁ無いものねだりはいけませんね。既に私の手元にはこんなに素晴らしい個体がいるのですから……」


 ジェイドはそう呟きながら地下の一番奥にある、設置魔法の施された重厚な扉を開いた。


「おお……いつ見ても美しい……」


 そこに横たわっていたのは、真っ白な髪をした年若き獣人であった。

 『脱力』の魔法の影響が続いているのか、ぐったりしていて動く様子はない。



朦朧もうろうとした意識中で処置を行っても、精神へ影響を与える事は出来ませんからね。少し回復するのを待ってからお伺いしますね、愛しのお姫様」




 彼は静かに扉を閉めると、別の用事を済ますために自室に戻っていった。





    ◇  ◇  ◆





 再び部屋に一人残された、白狼族の少女。

 ジェイドが部屋に入って来た際、朦朧もうろうとしながらも意識はあった。


(起きていたら、また色々と不潔な事をされてしまう。そんなの絶対に嫌!)


 そしてその意識は次第に夢と現実を行き来するようになっていく。


 彼女は朦朧とした意識の中で、辛い現実を忘れようと白日夢を見る。


(にぃに……)


 一度も会った事のないはずの、一人の若者。

 彼女のおぼろげな記憶の中には、必ず彼の存在があった。



(ボクのご主人は兄貴にぃにだけ。にぃに、また会えるよね?)



 その姿は一切分からない。

 ただ彼女の心には、彼と過ごした幸せな日々の印象イメージがあった。



(ボクはこんな事をさせられる為に生まれて来たの? 教えて、にぃに……)



 存在しないはずの楽しき記憶と、辛い現実とのギャップ。



 そんな辛い思いを忘れるかのように、彼女は再び深い眠りに付くのだった。


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