Sailing ~ takes me away…~

 出航してから二日。


 初めは仲間達全員が広大な海の景色を堪能していたが、何しろ海である。

 どこまで進んでも代わり映えのしない風景に、一行はすぐに慣れた。


 そして時間だけは沢山ある為、それぞれが思い思いの行動を取る。

 セレナは甲板で剣術の稽古を。

 ニーヴとプリムは船内の探検やかくれんぼなどをして遊んでいるようだ。


 シアは船長に旅先の話を聞いていたり船員相手にトランプに興じていた。

 ただ、くれぐれも賭け事だけはしないように注意してある。

 賭け事というのは、勝っても負けても遺恨いこんを残すものだ。


 そしてベァナ。


 彼女と俺は今、食糧庫の確認をしている所だった。

 壊血病対策に有効な料理のレシピを考える為である。


「うわぁ、ピーマンやカブが沢山!」

「壊血病対策には葉物の野菜のほうが効果的なんだが……何しろ保存が効かないからね。ある程度日持ちする食材で大量に入手出来たのがこれだったらしい」


 今回の目的地であるフェルコスはさほど遠くない。

 風向きも良好らしく、この調子なら一週間もかからず到着出来るそうだ。


 これくらいの距離であれば壊血病になる事はほぼ無いのだが、今後の事を考えて船長から直々に食材やその調理法などを教えて欲しいと依頼されたのだ。


「なるほど、病気対策ですか」

「確か柑橘系の果物もどこかに積んであるはずだ。果物ならある程度保存も効くし、壊血病対策としては効果的だろう」


 一概にビタミンCの豊富な食材と言っても様々だ。

 しかし長期保存が可能なものになると、その種類は限られてくる。

 俺が知っている所ではカボチャやジャガイモあたりだったのだが、この周りの地域では一切入手出来ない。

 そもそも栽培されていないらしい。


 そしてそれらの作物は、そのどれもがアメリカ大陸原産だ。

 トウモロコシやトマト、トウガラシにサツマイモなど、元の世界でポピュラーだった多くの食材が、どの町に行っても見当たらない。

 この世界にも新大陸があるのだろうか?


(長期航海に重宝する作物が長い船旅の末にしか手に入らないとか、大航海時代ってある意味ムリゲーだよな)


 とにかく今は、手に入る食材でなんとかするしかない。


「確かピーマンは有効だった思うのだが、カブはどうだったかな……根菜類は葉の方が栄養があるって話もあるし」

「そうなんですか!?」

「まぁ栄養って言っても色々種類があるからね。今回の場合は全ての部位をまるごと使って、スープにするのが良さそうだね」


 さすがに全ての食材の栄養素まで覚えてはいない。

 確実に覚えている事と言えば、ビタミンCが水溶性だという事くらいだ。


「とことでヒースさん、その壊血病の予防に効く栄養ってなんなんですか?」

「こちらの世界には多分そういう概念は無いと思うが、ビタミンという栄養素があるんだ。人の体が本来持っている働きを補佐するような栄養素だな」

「ビタミン……それでその栄養はどんな働きを?」

「俺も専門じゃないので詳しい事はわからないんだが、人が体組織を作るとき……そうだな、例えば傷ってしばらくすると塞がるだろう?」

「はい」

「あれって人が自らの体の組織を補修しているから塞がるんだけど、ビタミンCという栄養が無いと、人はうまく体組織を作り出せないらしいんだ」

「そうなのですか……」


 俺の話を聞きながら何やら考えこむベァナ。

 今まで色々な人物に出会って来たが、彼女は特に食べ物の栄養にとても興味を示す女性だった。


(栄養学……そう言えば大学の授業で一緒だった檜原ひのはらさんも……)


 単眼の巨人キュクロプスとの戦いの後、眠りの中に現れた檜原さんは、いつの間にかベァナと入れ替わっていた。

 夢の話である以上、そこに深い意味は無いのかも知れない。

 だが決して多くは無いものの偶然とは言い難い共通点があり、そしてそれがベァナの夢とも一致している。


「そういえばベァナ。君は以前、夢で俺の世界の景色を見たと言っていたよね」

「はい。こちらの世界には無いものばかりでしたので、私はきっとヒースさんと同じ世界のものじゃないかと……」


 夢の話で自信が無いのか、彼女は伏し目がちに語る。


「実はその話、俺が授業を受けていた時と全く同じ光景だったんだ」

「それ、ほんとうですかっ!?」


 以前トレバーの丘の上で話した時には俺も半信半疑だった。


 だが単眼の巨人キュクロプス戦の後、深い眠りの中で俺が感じたもの。

 その時の俺の認識では、檜原さんとベァナは同一人物だった。


「というかそんな大事なこと、なんで今まで話してくれなかったのですか!」

「いやー、あの後色々な事が立て続けにやってきて忙しかったじゃないか。なかなか二人で話す機会も無かったし」

「まぁそれはそうですけれど……」


 ふくれっ面をするベァナ。

 こういう時は本気で怒っていない。


 その証拠に彼女はすぐに普段の表情に戻り、話の続きを催促した。


! そこに私は居たんですか!?」

「ベァナという名前の人物は居なかったけど……似ている女の子はいた」

「その子、きっと私ですっ!!」


 確かに俺のような人間がいる以上、その逆だって無いとは限らない。

 しかし……


「いや、残念ながら髪色は俺と同じ黒色でベァナとは全然違うし、実は一度も話をした事が無い」

「見た目が似てない上に話した事が無いって……ではどこが似ていたのです?」

「その彼女、ベァナと同じで食品とか栄養に興味があったらしい」

「私と同じ……」


 そこで俺は大学での講義を思い出した。




『同じ組成を持った生命体同士は、無意識下で情報を共有する』




 それは俺が元の世界で感じた既視感や、精神が丸ごとこちらに転移してしまった事から考えると、あながち間違いでは無いのかも知れない。


 そしてベァナ。


 彼女の雰囲気は檜原さんになんとなく似ているものの、見た目からして間違いなく同じ遺伝子を持った女性では無いだろう。


 だがそもそもチンパンジーですら、約98パーセントは人と共通の遺伝子を持っているとされていたはずだ。

 種の違いがたったの2%で決まるとするならば、見た目の違いというのは遺伝子のどの程度の割合を占めているのだろうか?


「とにかく私が見ていた夢が、全く関係無いものでは無かったって事ですよね?」

「そうかも知れない。何しろベァナが夢で見た座席の位置まで、その女の子が座っていた場所と一致していたからなぁ」

「やっぱり私の後ろに座っていた男の人、ヒースさんだったんですね! なんだか嬉しいです!」


 まるで旧友との再会を喜ぶかのようだ。


(こんな事ならもっと早くに伝えておけば良かったな)


 そして大学での話をするうちにもう一つ講師の言葉を思い出していた。



(杉崎先生は『精神』だけが異世界に干渉出来るとも言っていた……)



 精神。

 つまり『心』。



 俺がこの世界の情報を『既視感』として受け取っていたのは、この世界の元の自分……ヒース・フレイザー辺境伯の『心』が俺に働きかけていた結果と言う事だ。

 そうでなければこちらの世界の風景や、魔物の事を事前に知れるわけがない。


 しかしそれは逆に、元の自分……岡野紘也こうやの『心』が、ヒース・フレイザー辺境伯に働きかけていた可能性がある事をも意味する。

 もしかすると俺の精神が、この世界への転移に何かしらの影響を与えたのかも知れない。


 俺はこの世界に転移する直前の、自分の『心』の状態を思い出す。





『叶う事なら少しでも長く、彼女と一緒に居させてください!』





 それは俺の心の奥から出て来た言葉。

 そしてあれ程強い『心』の叫びは、それまで一度も無かった。



(もしあの強い情動が、この世界に転移する引き金だったとしたら……)



「……ースさん。ヒースさんってば!」


 ベァナの声で現実に引き戻される。


「ヒースさんって時々、どこか遠くを見ている感じになりますよね」

「ああすまん。それ、セレナにも言われた」

「それで……一体誰の事を思っていたのですか? セレナさんですか? それともシアさん?」

「いや。前にも少し話をしたと思うが、前の世界の相棒の事をな」

「ええと……シロちゃんでしたっけ」

「ああ。俺がこの世界に来る直前、彼女は死の淵にいて、俺は彼女のすぐ傍に居た」

「そうですか……それでそのシロちゃんは、こちらの世界には?」

「!?」



(シロがこの世界に!?)



 今まで考えた事も無かった。

 だが、もしも俺のシロへの思いがこの世界への転移の引き金だとしたならば──



(シロは俺と過ごした日々を、どう感じていたのだろう……)



 犬にだって感情はある。

 彼女もまた、俺と同じような思いを持っていたのだろうか?


 しかし、だとするならば──




 彼女の思いも、この世界へと繋がっていたのではなかろうか?





    ◆  ◇  ◇





「むー……さすがに飽きて来ました」


 うなるニーヴ。


 出航から数日。

 この時期は海が荒れる事は少ないらしく、何事もなく平穏な船旅が続いていた。


 しかしその平穏は、幼い二人には少々退屈だったようで──


「うみだからおさかなつりとかできると思ってたのですが……」


(プリムの事だから、焼き魚にでもするつもりだったのか?)


「出来ない事は無いけれど、移動中の魚の群れを見つけられないと難しいかな」

「おさかなって、みんなでいどうするのですか」

「回遊魚とかはそうだね。良い餌場を求めて移動するんだ」

「えさやりをするひとがいるですか?」


 彼女達に微生物の話をしても通じるだろうか?


「えっと池とか水たまりで緑色のどろどろした奴とか見た事ある?」

「ありましたです。どろどろねばねばです」

「ははっ、そうだね。あれも緑色なので植物なんだけど──そういう植物ってのは水の中だとだいたい浅い場所に沢山いて、陸の植物と同じ役目をしてる」

「木とか、くさとかですか?」

「ああ。そして葉っぱを食べる虫がいたりするだろう? それは水の中も一緒でな。田んぼの中とかで砂粒位の小さな生物が動いてるの見た事無いか?」

「ありますです! ピンピンはねてました!」


 ミジンコなどの微小甲殻類。

 海だとエビやカニ、ウニなどの幼生体なんかがそれに近い存在だろう。


「そうそう。あれが陸で言う所の虫みたいなものだな。そいつらが水の中の植物を食べて、さらにそのちっちゃい虫なんかを、魚が食べてるってわけだ」

「なるほど……」



 食物連鎖。

 元の世界ではごく、常識的な考え方だ。



 こちらの世界にもそういった考えが漠然とはあるだろうが、学問として体系付けられているかは少々疑問だ。


「そのしょくぶつは、なんであさいところにたくさんいるですか?」

「彼らも陸の植物と同じで太陽の光が必要なんだ。でも波とか潮の流れで海の底とかに流されると生きていけないだろう? だから浅瀬……特に波の少ないおだやかな場所なんかに沢山いる」

「光がたくさんひつようなんておやさいといっしょですね。うみのはたけです」

「海の畑か……なかなか面白い発想をするな」



 多くの生命の原点が太陽光である事は間違いない。

 ただ中には硫黄酸化細菌等、化学エネルギーにより生命活動を行う生物もいる。

 だが多種多様化した生命達から見れば、それらは極めて稀有けうな存在であろう。



 とにかく多くの生物が、植物を土台とした生態ピラミッドの中で生きている。

 だから光が無ければ、大半の生命体は死滅する。



(それにしても光って本当に不思議だよな。そういえば大学の専門選択で旋光性なんて言葉を聞いた事があったけど、あれなんだったっけ……食品学だったかな? 確か人工甘味料の話から派生していた気がするが……)


 ベァナとの会話もあり、大学時代に学習した内容を思い出す事が多くなっていた。

 それというのも考えれば考えるほど、この世界は元の世界にそっくりだ。


(だが物理の杉崎先生の話だと、俺達の住む宇宙とは別の宇宙が無数に存在するらしい。だがその無数の宇宙の中で元の地球とそっくりな世界に俺がいるなんて、それこそ天文学的確率になるはずではないか?)



 いくら考えても答えの出ない謎に思いを巡らせているうちに、マストの上から声が響いてきた。



「陸が見えて来たぞー!」



 真っ先に反応したのはニーヴだった。



「陸!」



 思ったより短い船旅だったが、最初はこれくらいで丁度いい。

 船での長旅は馬車での旅より、数倍も過酷なのだ。



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