船出/調査
「先日は本当に失礼いたしましたっ! どうかお許しを!」
「そんな事を言われましても……諸官の皆さまの前で小娘呼ばわりされた事実に変わりはございませんし……」
俺達の前に
彼は船の手配が済んだ旨を伝えに来てくれただけなのだが……
「シア。折角船の手配をしてくれたんだ。それくらいで許してあげてくれないか」
「船が出せるようになったのも、結局はヒース様が船員不足の問題に助力してあげたからですわよね? それが無ければ今頃どうなっていた事か……」
「シア殿、私からも詫びを入れよう。すまぬが許してやってくれんか」
リーナスだけでは
ミランダも同行していた。
「何しろ果樹園で有名なトレバーと、農作物の一大産地、ダンケルドの豪商相手に喧嘩を売るようなマネをしたのだからな。港町出身の貴族としては大変な痛手よのう」
「うっ……」
彼女の一言にリーナスが
リーナスの実家のサンティアゴ家は、首都の隣接領を治める貴族だ。
中心都市のポートクローは、首都トーラシアに並ぶ海の交易拠点でもある。
現在は領地を父が、ポートクローを長男がそれぞれ管轄している。
「ええ。ダンケルドについてはセレナさんの心証次第でしょうが……少なくともウェーバー家はサンティアゴ家への生産物の納入は控えようかと……」
「それについてはアーネスト商会も同意見だ。どうやら我々のような小娘では、交渉相手としては役不足だろうからな。その方がお互い嫌な思いをせずに済むだろう」
「そっ、そんな事を父に知られたら、私は
「あら、その点に付いてはご心配なさらず。リーナス様が勘当された
「!?」
リーナスが必死なのは、例の壊血病対策についての情報が出回ったからだ。
壊血病の対策には新鮮な農作物が不可欠。
そしてこの女性二人は、それらの流通に多大な影響力を持っている。
「さすが策略家のヒース様。このタイミングであのような情報をお流しになるなんて」
「すまぬがそれは全くの言いがかりだ。リーナス殿、真に受けないでくれ」
ミランダは相変わらず、愉快そうに笑っていた。
しかしこのまま彼を追い詰めては、余計な敵を作る事にも繋がる。
(こうして謝罪に来る以上、彼は自らを
「二人ともそれくらいにしておいてくれ。リーナス殿の父上の領地は中規模ながら、様々な交易品が集まる通商の要衝だ。良い付き合いをしておいたほうが今後、トレバーにもダンケルドにも大きな利になると思うぞ」
「まぁそれはそうですが……それはトレバー領次期後継者の婚約者としての発言で宜しいでしょうか?」
「ああ。トレバーの今後を考えての発言だ」
シアの発言を受け、セレナからも質問を受ける。
「では私も問うが、それはアーネスト商会の行商責任者である、わたしの婚約者としての意見という事で宜しいか?」
「ああ。アーネスト商会の今後を考えての発言だ」
シアは仕方がないという表情を、セレナはなぜか顔を紅潮させていた。
「リーナス殿。そういうわけなのでどうかお気を悪くしないで頂きたい」
「滅相もございませぬヒース殿。私にはそれほど力はございませんが、トレバーの関税撤廃については微力を尽くし、他領主との交渉に当たらせていただきます!」
「私も出来る限りの便宜は図ろう。伯爵令嬢なんかに大した力があるわけではないが、私は師団長だからな。ある意味戦乱の世になりつつある今こそ、ある程度の
「ミランダ様、それって職権
シアの指摘は
その彼女自身も、使えるものは何でも使うタイプである。
「ははっ! 貴族共が威張っているのだって職権濫用みたいなものだろう? 実体の無い貴族の権限に比べれば師団には実際に力がある。それが理不尽なものでなければ、何も問題無かろうよっ!」
確かに貴族の力の本質は、その貴族自体が持つものでは無い。
様々な力に働きかける事の出来る、いわば影響力だ。
そう言う意味では、この二人はトーラシアの中枢にいる人物。
協力者でいてくれるメリットは計り知れない。
「ああそうそう。今回の騒動のお詫びというわけでは無いが、これを……」
ミランダが差し出したのは、一通の書状だった。
「これは?」
「フェルディナンド公直筆の親書だ。シア殿とヒース殿の身分を保証する旨が書き記してある。何かの折に役立つだろうと思ってな」
「これは……大変助かります」
「なーに、礼ならそこのリーナスに言ってくれ。彼の提案に因るものだからな!」
「そうだったのですか。リーナスさん、恩に切ります!」
彼は俺の視線を受け、軽く会釈をした。
「まぁ事が丸く収まった所で、早速港に向かうか! 私が案内しよう」
行商用の馬車とはいえ、俺達が運んでいたのは生活物資と人だけだ。
旅の準備は既に済んでいる。
長かった馬車での旅は、一旦この港で終わりを迎える事になった。
◆ ◇ ◇
「おうまさんたち、ここでおわかれですか……」
「馬達にとって船旅は過酷でな。乗せるのは可哀そうなんだ」
プリムに事情を説明するミランダ。
ダンケルドを発ってから半年の間、一緒に旅してきた二頭の馬達。
率先して世話をしてきた彼女達にとっては大事な仲間達だ。
フェリーなどの大型船であれば揺れも少ないだろうが、こちらの世界にそのような巨大船舶は無い。
おそらく運べないという事は無いだろうが、馬たちにとって大きなストレスになるのは間違いない。馬たちの事を思えば、これも仕方がない事だろう。
「二頭は君たちが世話してくれたお陰か人に良く慣れているから、軍の施設で乗馬訓練の仕事を任せようと思ってる。トーラシアに寄ったらまた会いに来ればいい」
「はいです! 二人とも元気でね、アズキ、ムギ」
ニーヴとプリムが二頭の頭を撫でる。
馬達も何かを察しているのか、頭や鼻をすり寄せていた。
「荷物もそれほど多くは無いし、全て積む予定なのだが……おっと船長が来たようだな」
船員を何人か連れた、船長風の男がやって来る。
(彼は確か……)
「ヒースの旦那ぁ、先日はありがとうございやした!」
「船長ってグルージオさんの事だったのですね。お仲間たちの具合はどうですか?」
「それが旦那の仰る通りの食事をするよう伝えたら、それこそ嘘のように症状が軽くなりやしてね! 元々軽症だった者はもう既に出航準備が出来るくらいまで回復しておりやす」
「そうですか! それは良かった」
「これも全て旦那のお陰でさぁ」
グルージオの言葉に
「本当にヒース殿には感謝の言葉しか無いな。グルージオよ。彼はトーラシアの大事な
「それはお願いされるまでもありませんぜ、師団長閣下。ヒースの旦那は我ら船乗りの救世主みたいなもんですからなぁ!」
(救世主はちょっと行き過ぎな気もするが……)
「まぁそういうわけだヒース殿。トーラシアはいつでも貴殿の帰りを歓迎する。一通り用事が済んだ暁には是非、また戻ってきてくれ」
「そのつもりです。挨拶に
「そうか……出来ればその……アルフォードにも寄ってくれると嬉しいのだが」
「そうですね。なるべく都合を付けてお伺いするようにします」
少なくともトレバーとダンケルドは再び訪れるつもりだ。
アルフォードは……
エグモントの件もあるのでベァナと相談して決めたほうが良いだろう。
「それじゃ皆さん、そろそろ乗り込みましょうか」
グルージオに続き、彼の帆船に乗り込む一行。
船員達はよく訓練がされているらしく、既に出航準備が整っていた。
そして積み荷を全て積み終えると、船は
港に残ったミランダがこちらに向け手を振る。
何かと良くしてくれた恩もあってか、娘達もその小さな手を大きく振っていた。
そしてそれは互いの姿が見えなくなるまで続くのだった。
◇ ◆ ◇
ヒース達がトーラシア首都での日々を過ごしていた頃──
メルドラン軍によるフェンブル侵攻は、日に日に激しさを増していた。
フェンブル首都にはまだ至っていないものの、その衛星都市である中規模の都市は軒並みメルドラン軍によって陥落させられている。
紛争や戦争というのは、人の業によるものなのであろうか?
長い歴史の中で、それは今まで絶えず繰り返されてきた。
だが、争う事だけが人の本質では無い。
人は互いに十分な余裕さえあれば、相手を気遣う事だって出来る。
実際人々はそうする事で、より高度な文化を育んできた。
そして最も高度な文化と精神性を誇っていた国が、当のメルドラン王国なのだ。
そのはずだった。
周辺諸国との関係改善を率先して行う模範的な国家だった。
もちろん時のいたずらにより争いが勃発してしまったとしても、致命的な不和が起きぬように努力する国家がこの王国だったはずなのだが──
(これが……本当にあのメルドランの所業だと言うの……?)
廃墟と化した町を
彼女はフェンブル大公国に事情を聞いた後、メルドラン軍の調査の為に前線を訪れていた。
賢帝との
投降を申し出た兵士達を
悪名高い盗賊団の行いも
この町は数日前に襲撃を受けたらしい。
既に金目の物や使えそうな人間は
(しかし住民が一人も居ないのはわかるとしても、なぜ一体の死体も……)
人間は魔物と違い、即座に分解される事は無い。
この規模の町であれば、少なくとも数百人単位の兵士がいるはずなのだが……
その答えは、魔法協会の建物に近づいた時に判明した。
「これは……なんて数の!?」
そこには人のものではない骨が大量に転がっていたのだ。
それは魔物達と協会との間で、激しい戦闘が行われた事を示している。
だが大量の骨を生み出したはずの魔法協会は、既に廃墟と化していた。
「ゴブリンやホブゴブリン……トロールもいたみたいね。やはりメルドランは魔物を使役して……」
魔物は死の直後、何らかの力によって体の殆どが分解されてしまう。
そして体毛や骨、歯と言った分解しづらい組織だけが残る。
だが、人は違う。
(このような形で襲撃を受けたのであれば、命を落とした人間もいたはず)
だが町内に、人間の遺体はほとんど残っていない。
そういう意味でも、この町を襲ったのが魔物である事は明白だった。
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